© Karina Botis
自国ルーマニアの話をどこから始めればいいか、長らく戸惑った。ルーマニアの社会は実は、非常に速いペースで変わり続けるのであって、国の現在の様子は把握しにくい。日本の皆様にとって遠くて、どこか不思議なルーマニアのイメージはどのようなものであろうか?そのイメージがより明確になるために、何を加えればいいかと、しばらく自問自答し続けた。あそこで生まれ育った自分の思い出を語るべきか、それとも現在あそこに住んでいる人の生活について色々書けばいいか。あの国が誇る自然の話から始めるか、それとも町の風景などを描写すればいいか。
ルーマニアは、西と東の狭間にあるとよく言われる。それが何を意味しているかというと、東洋と西洋の文化を両方反映している部分があり、ルーマニア文化においては東洋と西洋を代表する価値観が出会い、ぶつかり合うのだ。行動主義や技術的な進歩を重視している理屈っぽい西欧の文化に比べて、東洋の文化はのんびりしたペースを持ち、物事の意味をめぐって沈思する傾向があるといわれる。勿論このような論は物事をひどく単純にしてしまうのだが、大雑把な捉え方は便利な入り口なのだ。そもそも現実を言葉にしようとする時、大体いつもその現実を単純に割り切ることが避けられない。
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ヨーロッパという大陸ではよくある話だが、ルーマニアは元々三つの国からなり、その三国が統一してから実は100年も経たない。その三国はずっと昔から存在し、それぞれが周りの大国の政治的、文化的な影響の下にあった。具体的にいえば、ルーマニアの東の半分であるモルダヴィア地方はロシア文化圏の近隣にあるのに対し、南の方にあるワラキアはバルカン半島の文化の特徴を持つ。そして、西方にあるトランシルヴァニアは一番西欧文化に近いといえる。各地方には、ルーマニア人以外に色々な民俗の人も住んでいるのはいうまでもない。それぞれが自分の言葉と文化の特徴を保ちつつ、ルーマニア国民として共存している。隣の文化圏の特徴はそれぞれの地方に住んでいる人たちの生活や考え方、町並みの風情などに表れる。
あれほど互いに違う文化の特徴を反映している三つの地方がどうして一つの国になれたかというと、常に移り変わる表面の裏に、この三つの土地は共通の歴史によって緊密に結ばれていた。その上、ルーマニア語を共通としていたのだった。しかし、三つの方向から異文化の風潮が絶え間なく入ってくる中で、文化の渦のようなものが生じ、その動きはルーマニアの社会を常に変化させてきた。
2007年にルーマニアが欧州連合(EU)に加盟してから、その変貌ぶりは一層速度を上げた。EUの国として認められるため、幾つかの経済的、社会的条件を満たさなければならなかった。1989年に東ヨーロッパにもたらされた政治的革命の後、中欧と東欧の間の生活状況の間にあまりにも深い差があり、ルーマニア社会は何年間も積極的にそのギャップを埋める努力をした。ルーマニアがEUに加盟したのはどれぐらい大事な出来事だったかというと、その公式発表の日に、外国に友達がいる人にその友達からお祝いの電話が来たり、応援の言葉が届いたりした。「おめでとう」という言葉は、15年間以上にわたる努力に向けられていた。応援の言葉は、これから始まる努力に向けられていた。EUの国としては、それなりの責任感と覚悟が必要だったからだ。
90年代に子どもだった私と同じ世代の人は、ヨーロッパ的な意識を促すような教育を受けた。ヨーロッパの言葉を少なくとも二つ学ぶことがその教育の一つの表れだった。それ以外、自分たちの将来をヨーロッパという広い枠の中で考えることなどもあった。このような事情のため、ルーマニアが今、欧州連合の一つの国だということは無視できない事実だ。今のルーマニア人の日常は、自分たちが意識している以上に、その現実に影響されている。
個人的な印象にすぎないが、ルーマニアの変貌ぶりは驚くほどペースが速い。毎回国に帰るたびに、町の風景から人の服装、表情や考え方までも少し変わってきたことに気付く機会が少なくない。自分が育った社会より現在のルーマニア社会はずっと明るくて、力強くて、未来に向って成長しているように見える。これは大変喜ばしいことでありながら、当事者にはあまり自覚されない事柄で、自国から少し離れて生活している者の特権的な感覚だといえるかもしれない。
ただ変わり続けるルーマニアには、変わらないものも勿論あるはずだ。古今東西のルーマニア人が自国のものだと認識し、懐かしむものは何かといえば、おそらく山の風景だ。カルパチア山脈の線を目で追うと、ルーマニアの北から中央までたどり着いたところで急に西に向い、南西の辺りで隣の国へと続く。国の中央は山だからか、ルーマニア人にとって、もみの木で覆われた険しい山の風景は「懐かしい風景」だ。
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その風景がいつまで経っても変わらない。山は動かないものだし、真直ぐに空に向っているもみの木も、深く土に根付いている。その常緑の葉の色も、変わらないものの象徴になっている。変化と進歩にどんなに憧れて、未来に向って頑張っているルーマニア人でも、やはり変わらないものに安心感を感じている。ルーマニア人の性格のその辺は、少し保守的で古風で頑固に見えるかもしれないが、空に向って真直ぐに立つあのもみの木のように、みんな伸び伸びと成長したいという気持ちと、広いこの世界の中で自分たちに与えられた役割が果したいという願いを抱いている。
ラモーナ・ツァラヌ
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■