偏った態度なのか、はたまた単なる変態か(笑)。男と女の性別も、恋愛も、セックスも、人間が排出するアノ匂いと音と光景で語られ、ひしめき合い、混じり合うアレに人間の存在は分解され、混沌の中からパズルのように何かが生み出されるまったく新しいタイプの物語。
論理学者にして気鋭の小説家、三浦俊彦による待望の新連載小説!。
by 三浦俊彦
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■ 街でおろち系と自称する少女たちを養成し始めていたのは、伊奈芸術大学言語情報センター助教授・印南哲治だった。
生来コプロフォビア気味であった印南哲治が徐々にコプロフィリアへ、すなわちおろちフィリアとなったいきさつは一風変わっている。フォビアのフィリア化あるいはその逆という現象は世にありがちであるものの、あまた伏在するおろちオタクやおろちマニアの中にも、これに類似したいきさつでフィリア化した者は二人とおるまい。印南は、二十三歳にしてEDとなった。青森から上京して以来四年間アパート一人暮らしで過ごした大学四年間は、宗教哲学科の大学院進学を決意していたこともあってほとんど部屋に閉じこもって読書と瞑想にふけり、時代錯誤的な学究生活を気取っているうち輪廻転生とビッグバン理論と観測者問題と無為自然にハマッてしまい、本から目を離さぬまま朝はカップたぬきうどん、昼はコンビニ明太子スパゲティ、夜カレーパンまたはカップラーメンという十年一日判で押したような能率的生活だったのだが(そのせいでたいていのメーカーの主なカップめんについては味の微差、特徴を舌と鼻で記憶してしまった)、卒業論文(『六大終末観の量子的解釈――最小の生命単位が存在しないことの証明』)を書き終えてさぁ遊ぶぞと繰り出したところ、全く「ダメ」になっていることに気がついたのである。勉学一筋彼女も作らず自ら扱きすらしなかった印南ゆえに四年間全く気づかざるべくして気づかなかったのだ。いや、学生時代に印南が全然異性と接触しなかったというわけではない。ゼミの一年上の先輩の兄がつきあっていた女というのを春休みの終わりに紹介されて、その先輩の口癖は、兄からの受け売りのようだったが「色ボケの不細工と男嫌いの美人ほど始末におえないものはないぜ、ったくよう」だったが、その二十七歳の「始末に負えない女」は、不細工ではなく、男嫌いでもなかった。そして故あって処女だった。春坂越美というその女は外見はそこそこの「凡庸な準美人」だった。問題のそれ関係はというとこれが、いや、決してこの種の女性が珍しいわけではなかろうが、春坂越美が特殊なのはその変貌ぶりである。越美は「欲情の夜にぶっとびブスに変身する」と勤め先の営業部宴会男たちの間で妖怪扱いを囁かれるほど有名で、実際、個性的でははないが標準以上の無難なB級女優的容姿に適度に惹かれて幾人かの男がうまい成行に持ち込んだはいいが事が迫るや越美の鼻息、赤らみ、乱れ、眉間の皺、うわ言、据わりつつトビまくった目つき、涎、げっぷ、よじれ……が途方もない下品さを露わにし、悶えにエロス点るわけでなく「私はいやらしい女です」的俗時間の身も蓋もない独り善がりに堕ち解れて、平素擬似端正の面相一変の落差にどの男も呆れ、白け、怖れをなしさえして、結局挿入に至ることはなく越美は個室体験三十三度にしてまだ純潔を保っている次第だった。三十四度目の相手たる印南哲治もその例に洩れず、越美の形相にもともと勃たぬペニスがますます萎えしぼみ股間にめり込み、どうもいかんかもしれぬとうすうす気づいておりながらあの女は特別だったからと高をくくっているうちに、卒業論文後いい女系五六人と続けて果たせずいよいよ弁明の余地なくダメになっていることに悟らされたのだった。
これではいかんと真面目な印南はただちに診察を受けたのだが、医師の診断では四年間一度もヌカなかった完全禁欲生活による性機能減退に加えてミネラル・ビタミン不足による慢性栄養障害+睾丸萎縮による器質性インポテンツ。睾丸萎縮の原因は、さすがに毎日のコンビニメニューでは体に悪かろうと割引で纏め買いした栄養ドリンク剤朝晩各一本カプセル剤各一錠というこれまた一見能率的な習慣が裏目に出たものだった。印南が毎日服用していた栄養剤は『強力バロネス』『プリズマホルモン精』『金蛇精』だったが、たまたまこの三種ともに「メチルテストステロン」すなわち合成男性ホルモンが含まれており、老年男性の精力回復には効力を発揮するものの、健康な若年男子が長期連用すると男性ホルモンの体内合成を不要と体が判断するに至らしめ、睾丸がホルモン分泌をサボるに至り、萎縮してゆくことがままあるのである。
印南は栄養バランスに気をつけるよう指示され、ドリンク剤カプセル剤をやめて自炊を始めたのだったが、四年間にわたる睾丸の自然縮小は、亜鉛欠乏×セレン欠乏×クロム欠乏×銅欠乏×マグネシウム欠乏×アルコルビン酸欠乏×葉酸欠乏×活性酸素過剰によるダメージとの相乗効果によって固定され、決して元には戻るまいと医師に宣言されてしまった。バイアグラを常用したとしても、決して性感はよみがえるまいと。
印南は高校時代の悪友で印南同様大学院進学へモラトリアム人生を更新したばかりの笹原圭介に四年ぶりの電話をして窮状を訴えたが、印南の精豪ぶりを知る笹原ははじめ本気にしなかったものの(そう、三日間やらないと鼻血が出るという体質で鳴らした印南が、何の因果かバラモン教の輪廻転生説にかぶれてしまい東洋哲学科在籍の女人禁制隠遁生活へと転換したその唐突ぶりも、印南の性機能の破壊に大きく関与していたものと思われる)、旧友の切羽詰った口調にぽつりと、それなら「軟尺」がいいだろうと教唆した。笹原は次から次とセックスの新手を編み出しては他人に伝授するのを趣味とする求道者とも言うべき男で、そこに印南も期待したのだったが、軟尺なる概念もさすがに初耳だった。軟尺は笹原独自の命名であるとはいえオリジナル新案ではなく、生尺、即尺につづくフェラチオ界第三のトレンド、ただし依然陰のトレンドとなって久しいというのである。(ちなみに即尺とはシャワーなしの生尺。もともと出張ヘルス用語で、ヘルス譲が訪れたところを駆けつけ一杯ではないがいきなりしゃぶらせる――洗わずにというのがポイント――ことで、この即尺を楽しみに思いっきりチンポおよびその周辺を汚く、風呂を何日も控えるなど臭気芬々にしておいて指名の美女にしゃぶらせ「汚ーい、臭ーい」とのけぞられることでのみ昇天できる輩を「即尺族」と一部で呼びチップの気前がいいことからヘルス嬢の口コミで大いに愛されたという。ただし確実なケースだけでも三人のヘルス嬢が即尺族に接した直後想像食中毒で入院、重体にまで陥っている。(食中毒:想像食中毒=妊娠:想像妊娠)。
その語形からうすうす実体が察せられる「軟尺」とは改めて何であるか?
■ もともと高校卒業後平常時19センチ勃起時31センチに目を剥きのけぞる女たちの反応には飽き飽きしていた笹原圭介だった。むしろ絶対に勃たせずに維持し、うなだれたままの19センチに女が期待しじりじりしやがて失望するさまにむしろ興奮するようになってはいたのだという。未勃起状態維持! そしてフニャチンをそのまま唇で舌で歯で上顎で頬で露骨に舐ってもらう、その快感はやはり勃起させたときの比ではなく、なんとか勃たせようと必死で頑張る女の表情こそがまたたまらなく、ボディコン系美女がプライドを傷つけられ自分の魅力に初めて疑いを抱かされてしょげる有様、ときには高慢美女に似合わぬ真摯な反省と意外な卑下や謝罪の言葉を呟いたりする表情がとくにタマラなくて、女が口離した瞬間トイレに駆け込みガマン汁省略のまま直接精液天井まで吹き上げてしまったこともあったという。東亜系エステの純情ウブ女たちの指先に比べて夜遊び系おねえちゃんたちの舌先は罪悪感と奮起とプライドの度がまた一段ストレートなのだという。なにせ東亜系のときとは違って今度は指ではなく口であるから(刺激の物理量は手の方が断然上だが口は表情込みで精神性が質的伝導されるためそれだけ耐えがたいのだと)、美女が心をこめて舐りまわす中を決して勃たせずおくにはそれなりの、というか莫大な意志の力が必要で、これは勃起後イカずに止めておくときの意志力とは比べものにならないのだという。笹原はこの未勃起をがんばりながら最後に女の見てないところで急速射精という軟尺を心身ともに堪能しつづけた挙句、最近では次のステージ、即ち女が失望と卑下のどん底であきらめて口を離そうとした瞬間、二秒で31センチへ急速隆起させ、女の喉を突き上げる。そしてそのまま射精する。不意の勃起と口中に満ちる生魚味粘液に女は面くらい、諦めて終わろうとした気配にいきなり勃起射出されたこの土壇場の逆転劇には、前触れ的手ごたえもない不意打ちだっただけに女子的自信を持ち直してよいのか感激に溺れてよいのかどうなのか急転あやふやなまま「はあ?」首を傾げてあとずさるしかない、これがまたイケイケすれすれ女が幼稚園児の可愛い盛りに瞬間戻ったような大スペクタクル快感だというレベル「瞬起」にまで至っているのだが、いずれにせよ笹原が印南に推奨したのは「瞬起」以前の単なる軟尺であったので、
「つまり勃たなくなってるおまえは有利なんだよ。自然体のまま、努力なしに軟尺の快楽を味わえるじゃないか!」
こう羨ましがられては、さっそく実行せずにはいられない印南哲治だったのである。
印南が最初に呼んだのは、なぜか春坂越美だった。その過程がどうであったか、その結果がどうなったか、詳細のみならず大略も伝わっていないが、想像することは容易なので越美段階は省略する。このあと印南が何人もの異なるタイプの女で軟弱快楽を試しつづけたということだけが重要である。
なお、ちょうど印南が相談した相手が都合よくインポテンツ廃物利用的手法を教示できたのはご都合主義的な暗合ではないか、という反おろち陣営の歴史家の批判的指摘は周知だが、それに同調してはならない。笹原圭介は前述のとおりあらゆる手法を編み出しては試みまくる体質の男であって、誰が相談をもちかけてもそれに適合する手法をリアルタイム教示できたことであろうから、そこに「偶然の一致」はないのである。加えて印南がインポ脱却法を相談した相手は笹原に限らず高校大学時代の同窓生十数名に及んでいたので、そのうちの誰かがグッドアイディアを提示してくれる確率は小ではなかったのだ。かくして二方面から、反おろち陣営の唱える「低確率ファインチューニングの不合理」仮説は否定される。同様に、おろち文化黎明期に何種類か見られる「偶然の一致」「奇跡的な遭遇」「元来稀少な反復」はみなあくまで見かけ上の低確率現象であり、同じような人間毛原理的機構で説明できることを念頭におくべきである。これについては後、適宜注記する。
たしかに「軟尺」は気持ちがよかった。しぼんだ亀頭を包皮ごと舌と上顎にはさんでグニグニつぶし舐ってもらう捏ねてもらう。これは勃起していたのでは決して生じえない大快楽といってよかった。もともと早漏に対する偏見への反省へのバックラッシュともども、遅漏への憧れめいた情緒が男にも女にも潜在してきたと思われるが、遅漏を極端化すれば「未勃起」となる。未勃起は、女に対しては「この男大丈夫?」的侮蔑と、「あたしの魅力大丈夫?」的罪悪感との境界線上的立ち位置をスリリングに強制するものであり、男にはその波紋を倍返し的に浴びせかける。印南はたちまち「軟尺」の虜になった。
しかし何か足りないのだった。何か昇りつめられない、這い上がれない、むなしい感じがするのだった。考えてみれば当然のことで、境界線のどちら側かはだいたい見ればわかるのであり、男が単なるEDで勃たないと思われている場合――印南哲治の場合EDが機能性ならぬ器質性の真実だったわけだからなおさらだが――女の軽蔑を買いこそすれ卑下反省は誘発できないだろう。そのような事態を防いで大快楽を確保するために師匠笹原圭介は(「瞬起」技法開発後も、さいごのオチまでは「このひとただのインポなのでは?」と疑われつつの軟尺では悦楽度激減であったから)、ナメナメが一段落したところで大げさに溜息をついて脇の週刊誌を開き、グラビアのヘアヌードを見てむくむくと怒張させてみせたものである。週刊誌を閉じて女がナメナメ再開し始めると、みるみる戻ってしまってもう勃たない。これで素人ボディコンの自己反省を確実化できるというわけだった。そう。笹原式のこれは印南にはできない芸当だ。なんといっても本当にただのインポに過ぎないのだから。女の軽蔑寄りの失望が印南の亀頭から染み込んで、完全なる軟尺の快感を妨げているのだった。
しかし印南哲治もただでは転ばぬ男、いやただでは横たわりつづけない男である。そのうちに、この軽蔑されながらの軟尺に、えもいわれぬ陶酔を覚えるようになってきたのである。不思議に思ってよくよく内省してみるに、どうやら女に軽蔑されながらというか憐れまれながらというか、舐り倒されることに正統マゾヒスチックな快感が点り始めているようなのだった。自分自身インポになって大狼狽したことから改めて自覚されたように、印南はもともとマッチョ志向というか、インポ野郎に強い軽蔑と偏見を抱いていた。勃たないのでは男としての資格ゼロであると思い込んでいた。それが自分の身に起こってみると、内向きの強烈な軽蔑が、自尊心解消的な、自我を溶かし去るような、ちょうど無人称の平坦なエアコン系環境音楽、さしずめウィーランド・サモラック『定常状態音楽』や角田俊也『フィールドレコーディング』の無我波動に溺れているような恍惚感を臍下丹田チャクラと幹脳にもたらすことがわかってきたのである。しかも、たかがペニスが勃たないというだけのことで男を軽蔑するような色ボケ馬鹿女の軽薄表情を眼前にすると逆に憐れみを覚え、それがマゾ陶酔と混ざり合って、いわば双方向的な軽蔑の散らす火花が亀頭にとてつもない快感を集中炸火せしめたのであるらしかった。だから、印南のいっこうに勃たぬシナクれペニスを舌でレロレロ弄びながら「ちっちゃくって可愛い……」などと心底喜んでいる柔軟かつ賢い女を相手にしたときは、どうもいまいち快感が薄いのだった。
こうして、ペニスの勃起パワーにのみ価値観が固着している保守的な馬鹿女どもを相手にした方が快感度大、という我ながら情けない境地へ落ち込んでしまった印南であったが、そしてそういう低俗女ばかり相手に選びつつ程度だけは超高度な大陶酔を軟尺によって繰り返していた印南であったが、人間とは不思議なものでやがてなんと、勃起の気配を感ずるようになったのである。枯渇したはずの睾丸がうずき、勃たないはずのペニスが充血しかけ、今にも怒張しそうな圧力を覚えるのである。しばらくはなんとか訝りながらこらえていた印南であったが、またも得意の内省によって悟ったことはこうだった。男の生理とはデリケートなものである。勃たせなきゃ、と意気込めば萎えてしまう。持続させねば、と頑張れば中折れしてしまう。出すまい、と耐えればイッちまう。そのグラフを過去へ伸ばしてゆくと当然、勃たせまいというプレッシャーのもとでは、勃ってしまうということらしいのだ。中学生のとき、教室では好きな女子のうなじを見ただけであるいはわけもなく勃ってしまい折悪しく先生に当てられては中腰に立って机で前を隠し通してなんとかごまかしたり、道を歩いていて鳩の尻を見て勃ってしまいポケットに手を入れてごまかしたりと、懐かしい記憶が蘇ってきた。中坊の頃は萎えさせるおまじないすら何通りか考えたものだ。
萎えさせよという懐かしい意識的規範の襲来に印南哲治は戸惑った。EDからの医学的脱出に足掻いたばかりの身であるゆえにいっそう戸惑った。軟尺はもともと、EDの現実をしぶしぶ受け入れるところから緊急避難的逆説によって負け惜しみ的に依存した知恵だったはずだ。それが規範化してしまったのだ。
さらにいえば、勃たせまい、というプレッシャーは、もともと女の期待に応えようという通例のH的プレッシャーの全否定であるのは当然のことながら、こんな馬鹿な女の期待に応じてたまるか、こんな女にゃ理解できない軟尺を俺は延々楽しむのだ、という内密の自負に発するものであり、しかし軟尺プレイも回を重ねて快楽パターンがプログラム化されるにつれ、印南哲治流「しゃぶらせ体勢」に一種貫禄に満ちたオーラが漂うようになったので、そうなると勃起至上主義のアホな女たちもさすがに「このインポ男はただのインポじゃないみたい……」等々非日常の魅力を感じ取り恍惚と目を閉じて尊敬の念すら瞼ににじませてニフャチンに舌絡ませつづけるという状態が何度も続いたのだった。そうなるとこの未勃起持続プレッシャーは女の期待に応ずるべしという元来の凡庸セックスプレッシャーと合致することとなり、「勃つまい、勃つまい」という圧力が、印南の勃起中枢をいかなる強壮剤も果たしえなかった威力で刺激し始めてしまったのである。
そして挙句にとうとう、印南は勃起してしまったのである。実際、肝心のと言っていいかどうか、形式上メインパートナーとして定着しつつあった春坂越美以外のすべての女に対して勃起が発生するようになってしまったのだ。勃起を防ぐために、押し戻すために、軟尺の快楽を持続させるために印南はあらゆる努力をした。軟尺中に女の恍惚的尊敬の念に輝いた顔を見ずにすむようもっぱら69の体勢を求めるようにした。顔が見えなければ興奮度も抑えられ、軟尺が持続できようという理屈である。さらには、69ついでに自らのコプロフィリア的傾向を利用して、好きでもない肛門嗅ぎに専念して気を散らし勃起を抑え込んだり、ときには放屁してくれるよう女に要求したりしたのである(笹原の軟尺プレイの原点にSM女王様ダイアナの困惑ショボ屁があったことをヒントとしていることに注意されたい)。印南哲治は、ああみえても筋金入りのロマンチストである。女を口説く時にはフランス料理店でキャンドルの明かりで窓際で、というような、きわめて俗ながら五感的には非の打ち所ない状況設定を好むたちであった。大学四年間の間禁欲生活を自らに課していたのも、勉学に気を取られていてはロマンチックな恋愛はできまい、生半可な質悪の恋愛は遠ざけたいというオールオアナッシング徹底精神に基づいたものだったのである。EDに陥る以前においてはベッドインに際しても脱がせ方から前戯の溜息にいたるまで恥かしいほどセッティングにこだわってきた定型男の印南であるからこそ、軟尺などというアンチロマンチックな異端中の異端プレイに逆説的な興奮を得られたのだとも言えよう。俗な馬鹿女の定型勃起期待顔への軽蔑も、自己の定型志向を鏡に映す自己軽蔑的裏返しとしてこそあれほどの萌え素材たりえたのだ。そしてアンチロマンチックなふにゃらけ系現象の代表こそオナラだというわけで、日常性をどうしようもないほどまとっていながら定型逸脱性を帯びたこの脱力鳴動の瞬間が、ゆるんだ肛門の超近景が、ゆるゆるという性質で軟尺と繋がりつつ、軟尺維持の孕む内的緊張性・超俗的興奮性とは対照的な次元を導入し、印南本来のロマンチック志向への障壁を再設定しつつ勃起を遮断してくれるのではないかと期待されたのである。師匠笹原の原体験レベルへ一旦降り直し、印南自前の超笹原的軟尺レベルへの再起動の出発点になるはずでもあったろう。(ちなみに、印南が初めて69放屁体勢をプロに依頼したのがサンシャイン60階通りのファッションヘルス『さんしゃいん69』においてであったのは、印南のセッティング重視ロマンチストの真価が逆説的に懺悔されている。セッティング体質全履歴を風一陣で薙ぎ飛ばそうというのであろう。)
実際、オナラは効力を示した。意図的に放射しようとしてなかなか出るものではないオナラを、ヘルス嬢から顔見知りOLまでどの女も真面目に一生懸命印南の顔面めがけて出そうと努力したのであるが、というのもすでにフニャチンフェラチオなどという超俗的非日常的な現場に立ち会っていることの延長上でなんにでもノレる一種催眠モードに入っていた女たちだったからであろうが、ただし実際はオナラは十五回に一度も放射を遂げられなかったにもかかわらず、義務も責任もない可愛い系美女たちならびに深窓系十人並みならびに朗らか系醜女たちがそろって同じ姿勢で真剣に放屁しようと努力するというアホらしさそのものが、現実の放屁百連発にも匹敵する萎えさせ力弛緩力を十二分に発揮し、印南は良きしぼみ状態をしっかりとキープすることができたのである。69体勢でフニャチンをしゃぶりながら放屁体勢で気張って鼻息荒く気張っている女尻のピクツキを目前に鼻頭玉汗ムズムズ浮かべるという自らのナンセンスぶりに対しても印南は、脳をくすぐられたようにどんどんドンドン萎えしぼんでゆき、軟尺の物理的快楽を取り戻し、不条理感独特の弛緩的緊張に心身心ゆくまで蕩けさすことが再びできるようになったのだった。
しかし求道の流れとは皮肉なものである。きわめて誠実に印南の要求に従ってきてほとんどサブ彼女となっていた辻岡鮎子というショートヘアと堅実な銀縁眼鏡の似合う中学校教師(春坂越美とは対照的に、密室で密着すればするほどお淑やかになる女だった)が、軟尺放屁プレイ五十回記念日のクライマックスで、気張るあまり長大三十秒に及ぶ放屁とともに偉大なるミを速射してしまったのである。半下痢状態のもっともゲル状濃き真っ茶色が、小鼻膨らませて屁の余韻を吸い込みつつあった印南哲治の鼻孔にストロー原理で直入した。ゲルは口腔に溢れ、気道をふさぎ、「ゲボッ、ゲルッ、ゲボグボゲルガボッ……!」意識薄れる悶絶の中で印南は、予告なきミの奮発という思えば予想範囲内だけに却って超俗なる現象に立ち遭ったことで一挙オナラの俗化効果が雲散霧消、封印されていたペニス・ポテンシャルの急速勃起を自覚してしまった。膨張差の瞬発力はもちろん前立腺を埒外に置きはしない。辻岡鮎子の両眼めがけて初の顔射体験が見舞われたのであった。いっぽう辻岡鮎子の半下痢ゲルパワーはさらに顔射の比ではなく、気管の入口まで押し寄せて印南を危うく窒息死に追い込みかねない大咳き込み四十五分五十九秒間の苦悶に陥れたのである。その間、ほぼ臨死状態のまま印南のペニスは九分おきに勃起と射精と萎縮を繰り返し、四方八方に瀕死のコブラの頭さながらビクビクのたうち続け、咳き込みの危機から我に返ったときには印南は――貴きインポテンツから永久にオサラバしていたのである……。
このときから印南は全く確実に、春坂越美以外のどの女に対しても勃起するようになった。のみならず街のバスターミナルを横切っていて、ふっと舞い降りてきた鳩の尻を見ても勃起しポケットに手を突っ込んでごまかさねばならない思春期のあれがそっくり戻ってきてしまったのだ。
インポ脱却がいきなり黄金窒息によってなされたことの意義はおそらく極太である。黄金窒息プレイなどというものは、笹原圭介ですら思いつかなかった荒療治で、それこそ笹原の言う貴重な「マニュアル外的突発事項篇」だったのであるが、しかしむろんこの時の印南にとっては軟尺挫折のショックが単に大きかった。
ただ、肝心の春坂越美との間では決して勃起が生じないという事実が頼みの綱と思われた。
よってその後も印南は軟尺の回復へとさまざまな努力を重ねた。もはや勃起遮断装置とも言える春坂越美を相手に何度もあらゆる種類の体位、とりわけ正常位(マッチョ印南として生来最も興奮的な定型体位)を試み確かに勃たないのを確認すること五十回も繰り返して条件反射回路を形成しようとしたが他の女のときは大勃起、むしろ生来の小ぶり9.5センチが今や12センチにまで漸次膨張しつつあるという逆効果を生み、それもそのはず春坂越美の変わらぬ通俗的醜態ぶりは他の女との差異を印象づけるのみで、条件反射どころか他の女での興奮度を拡大し続ける方向に働かざるをえなかったのである。(ちなみに印南の下半身的真剣さを愛の真剣さと勘違いした越美は印南に賭けるあまりあれほどの発情女にして印南以外の男には不感状態に陥ってしまい、その事情を印南に知られることなく、生涯独身を通すこととなる)。
軟尺回復の努力は無駄だった。あまりに抑制的意識的努力に気をとられると肝心の軟尺感覚堪能がお留守になってしまいかねないのと、しょせん勃起力を抑えることができなくなっているらしいことと、ますます唯一最愛の恋人となりきりつつあった辻岡鮎子自身が、厳格な両親のもとで二十八歳四ヶ月にしていまだ九時門限に服しているお嬢様育ちの身にして初めての顔射経験ショックによる条件反射であろうか、軟尺体勢から必ず放屁・脱糞へと繋がる回路に固着して抜け出せなくなっていること、したがって放屁どまりのプロセスに頑なにこだわるあまり肛門周辺の湿気をモロ吸い込みつつある印南の鼻孔口腔に半下痢を(いつも決まって同じ色と密度の半下痢だった)を注入、悶絶させることが繰り返されたこと、等などから、いや、それよりなにより、もはや勃起を否定する必要はないじゃないか、心地よければそれが一番じゃないかという原点にやっと気がついたという次第なのであった、印南が軟尺プレイを黄金プレイへと潔く路線変更したいきさつは。
健全マッチョ→ED→軟尺戦術→おろちフィリア という印南哲治の変遷を押さえることが、後年、おろち系およびネオおろち系少女たちに対して示したあの情熱――アンチ正常位的価値観布教の理不尽なほどの情熱、アンチ挿入を訓告する親目線の熱情を理解する鍵であり、初期おろち史の巨視的理解の礎となるのである。
印南哲治がかくも物理的曲折と心理的内省を重ねた末に自己言及的脱却を遂げたのとは対照的に、辻岡鮎子の方はほとんど何も考えることなく印南に合わせるうちに自ずとおろち圏へ誘われたという感じだった。二人の表面上の相性の良さが、深層におけるおろち化経緯のズレと不調和を起こしたことが、長期的には印南の精神的、そして短期的には鮎子の身体的悲劇をじわじわと招き寄せたのかもしれない。
そう。しかし確かに、インポテンツに決定的終止符を打った大便臭は、新生印南哲治のセクシュアリティの新たな原点、特異点となったのである。鮎子二十九歳の誕生日に印南と鮎子は結婚した(印南と結婚できるものと確信していた春坂越美がストーカー的無言電話を二ヶ月間毎日繰り返したが印南夫妻は川崎へ転居して振り切ったという)。哲治と鮎子は毎日硬尺黄金プレイを楽しんだ。実は結婚以前も以後も、ふたりはセックスをしたことがなかった。鮎子は印南哲治の鼻の中に口の中に排便し、印南は噎せ咳き込みながら全量を嚥下し続けた。毎日。そのたびに愛の電流がふたりの体内を貫いた。鮎子三十二歳の八月の誕生日、すなわち結婚三周年記念日、炎暑のショッピングから戻って印南の口の中にボフウゥッッッッ、と火のように熱い大量の猛臭ガスと少量の大便を放った鮎子は、でないわあ…、と呟いて立ち上がりかけ、腹を押さえて気を失った。印南が慌てて立ち上がりざま「あちちちっ!」吐き出した便の色は、真っ黒だった。印南の舌は先端と両縁が火傷していた。ここ三ヶ月ほど味が苦味と酸っぱみの両極をたゆたうように微妙に変化してきているとは思っていたのだ。鮎子は入院先であと一ヶ月、と宣告された。直腸ガンが全身に転移し尽くしていたのである。
印南はよろめいた。鮎子は妖精だった。天使だった。印南は両親の、そして多くの親戚のいのちを奪ったガンの、断末魔の苦しみと醜さを思い描いた。俺がそれを受け継ぐならともかく、まだ両親も姉妹も健在である鮎子、まさか美しい俺の妻の、わが新生ペニスの、コプロフィリア的価値観の原点となった女の体内が……。
(第14回 了)
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■ 予測できない天災に備えておきませうね ■