
池波正太郎の書く食べ物は、ずるい。
ずるい、というのはすなわち、読んでいる間中、腹が鳴り続ける。ぼんやりとした空腹ではなく、今すぐ卓の前に座りたいという具体的で切実な欲望である。鬼平犯科帳の長谷川平蔵が、密偵の彦十や忠吾を連れて馴染みの飯屋に入る場面、あるいはひとりで屋台の蕎麦を手繰る場面、どれを読んでも同じことが起きる。池波の食描写は、読者の身体に直接訴えるものだ。
池波が食に執着した作家であることは、彼自身のエッセイを読めばわかる。『食卓の情景』や『むかしの味』には、幼少期から親しんだ東京下町の味、戦後の闇市で覚えた逞しい食欲、料理人への深いリスペクトが縦横に書かれている。池波にとって食べることは単なる栄養補給や娯楽ではなく、人としての存在意義、品格に関わる問題だった。何を食べるか、どこで食べるか、誰と食べるか。それらすべてがその人物の生き方を映し出すと彼は信じていたと思う。だから鬼平の食描写は、単なる時代考証の彩りではなく、登場人物の人となりそのものの描写として機能している。
軍鶏鍋が鬼平の世界で特別な位置を占めるのは、それが「仕事の前後」に食べられるものだからだ。探索の合間に立ち寄る五鉄の軍鶏鍋、あるいは一仕事終えたあとの、無言で向き合う鍋。軍鶏の肉は地鶏よりさらに歯ごたえがあり、旨味が濃い。噛みしめると、肉の繊維のあいだから汁が滲む。それは柔らかさや繊細さとは無縁の、力強い旨さだ。鬼平という登場人物の優しさと凄みが同居する人格に、軍鶏鍋はよく似ている。
池波の食描写で私がとりわけ好きなのは、食べながら何も言わない場面である。鬼平と密偵たちは、鍋を囲んでいるとき、必ずしもよく喋るわけではない。酌をして、肉を取り分けて、酒を飲んで、また黙る。その沈黙の中に信頼と親しみがある。言葉より雄弁な、鍋を囲む時間の静けさ。池波はそれを過剰に説明しない。ただ描写する。その抑制が、読む者の印象に残る。
軍鶏はいまや入手がやや難しい食材になり、骨付きの地鶏もも肉で代用する。大切なのは火加減と出汁の誠実さである。手を抜かず、しかし気負わず。それが池波流だと思っている。
【五鉄風・軍鶏鍋(二〜三人前)】
材料
・骨付き地鶏もも肉(ぶつ切り) 500g
・木綿豆腐 一丁
・白ねぎ 二本
・三つ葉 一束
・生麩 あれば適量
・昆布出汁 800ml
・酒 大さじ3
・醤油 大さじ2
・みりん 大さじ2
・塩 小さじ1/2
作り方
① 鶏肉は熱湯をまわしかけて霜降りにし、水気を拭く。これを怠ると出汁が濁る。
② 昆布出汁に酒、みりんを加えて中火にかけ、煮立ったら醤油と塩で調える。鬼平の店のつゆは辛めと決めている。
③ 鶏肉を入れてアクをこまめに取りながら十五分ほど煮る。骨のまわりまで火を通すのが肝要。
④ 斜め切りにしたねぎ、豆腐、生麩を加えてさらに五分。
⑤ 仕上げに三つ葉を散らして、卓上の土鍋ごと食卓へ。薬味はねぎとおろし生姜。
酒は熱燗がよい。ぬる燗でも構わない。冷やはこの鍋には合わない、と私は思っている。
【応用:翌朝の雑炊】
鍋の翌朝、残った出汁に飯を入れて雑炊にする。鶏の旨味が溶け込んだ出汁は、一夜おいてさらに深くなっている。溶き卵をまわし入れ、三つ葉を散らす。
池波ならこの雑炊も、きっと黙って食べる。そういう旨さである。
次回もまだ決めていない。今年も残りわずかになってきた。
三日月クイイジーヌ
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