
ヨミ太 まず表看板の三本。筒井康隆「ストリート・ギャングス」。1934年大阪生まれ、同志社で美学を学んで、60年代からSFとナンセンスとメタフィクションを一人で押し広げてきた。91歳でまだ「一挙掲載」されるのはすごい。同じ季節に『新潮』で11年ぶりの長篇も出してるから、今年の筒井先生は「現役」を更新してる。
ピー子 町田康「だぼ」。1962年大阪生まれ。バンド出身で、話し言葉を小説のエンジンにした人。『きれぎれ』で芥川賞を取ってからも、文体が落ち着くどころか、ますます口の中で噛み砕くような文章を書いてる。80周年号に「だぼ」というタイトルが並ぶのが、『群像』らしい。上品な記念号にしない、という。
ヨミ太 井戸川射子「純粋な二」。1987年神戸生まれ、西宮育ち。詩集『する、されるユートピア』で中原中也賞、小説『ここはとても速い川』で野間文芸新人賞、『この世の喜びよ』で芥川賞。元高校の国語教師で、詩の呼吸が小説に残ってる書き手。筒井の実験、町田の口語、井戸川の詩的な精度。世代も文体も違う三人が「大作」として並ぶのは、80年分の『群像』の幅を見せてる。
ピー子 その隣にくどうれいん「ストーブ」。1994年盛岡生まれ、渋民で育った小説家・歌人。高校の文芸部で小説も詩も短歌もやって、会社員をしながら書いて、『氷柱の声』で芥川賞候補。食や身体の感覚がすごく近い人だから、「ストーブ」というタイトルだけでも温度が想像できる。津村記久子「小説家に小説を書いてもらうには」は、1978年大阪生まれ、『ポトスライムの舟』で芥川賞。職場や依頼や人間関係のわずかなずれを、笑えるのに笑えない温度で書く人。メタな題名なのに、津村さんだと事務的な苦しさが出そう。

ヨミ太 小特集「群像新人文学賞」が、この号のもう一つの核だと思う。対談「書いた端から噓になる」が町田康×永田修矢。永田修矢は第69回受賞作『骨と鎖』の人で、双子同然の親友だった少年たちの関係が、ある冬を境に逆転していく話。親友という言葉の内側にある支配と暴力を、生々しく書いた。その執筆期間をエッセイ「私、俺、僕、あいつ」で振り返ってる。人称がそのままテーマになってるのが面白い。
ピー子 冬島いのりは2005年札幌生まれ、いま函館在住。『夏蚕の翅』で同じく第69回。創作「善用」とエッセイ「肉の弱さ、魂の聖潔」が載ってる。21歳前後の書き手が、肉と魂という言葉を平気で使う。町田康が新人と対談する構成もいい。賞の発表号ではなく、受賞後に「書いた人間」として呼び戻すのが『群像』らしい。第70回の募集もこの号で走ってるし、80周年なのに入り口を閉じてない。
ヨミ太 追悼が小林恭二「たほいやの頃」。山田五郎さんは美術解説者として広く知られてたけど、たほいやのイメージも強い。小林恭二は言葉遊びと知的な遊戯空間を小説にしてきた人だから、追悼が「解説」にならない。記憶のゲームとして書くんだと思う。80周年号に「追悼」が入るのは重いけど、雑誌の時間の積み重ねそのものでもある。
ピー子 連載最終回の多和田葉子「不在事件」。1960年東京生まれ、早稲田のロシア文学からドイツへ渡って、日本語とドイツ語の両方で書いてきた人。随筆も鵜飼ヨシキ「アホになって踊れ」、佐喜真彩「身体に沈むもの」、西プネウマ「テレビハリガネムシ」、ニック・ブラッドリー「一杯の緑茶」、野原真澄「手で作ること」、村田良二「博物館で作品を数える」。タイトルだけで、身体・手仕事・メディア・異郷が並んでる。
ヨミ太 「本の名刺」もこの号らしい。竹田ダニエル『デジタル社会の歩き方』、長瀬海『僕と「先生」』、森山恵×毬矢まりえ『レディ・ムラサキのラブレター 「源氏物語」女たちの和歌と人生』。現代のデジタル、師弟、古典の和歌。創作の熱量だけじゃなく、読むことの現在も置いてある。
ピー子 そして書評・連載。奥泉光、藤野可織、阿部和重、保坂和志、伊藤比呂美、古川日出男、武田砂鉄、いとうせいこう×みうらじゅん、三宅香帆、平野啓一郎、乗代雄介、野崎歓、穂村弘、福尾匠、上田岳弘……80周年号に、いつもの「群像の後ろ半分」を残してるのがいい。
ヨミ太 要するにこの号は、記念号でありながら「特別番組」で終わらない。一挙掲載で過去と現在を結び、新人賞で未来を開き、書評欄で日常の読書を続ける。
ピー子 だね。80年分の装置が、まだ動いている号。特大号を膝の上に置いて。お茶は、淹れ直しながら。
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