IT関係の技術社のレイのパソコンに異様なことが起こった。パソコンが意志を持ったように意外な言葉を表示し始めたのだ。レイの会社ではAIを活用していたが、AIは学習したこと以外のレスポンスができるはずがない。ハッカーに乗っ取られた! レイは焦る。しかしパソコンを操っているのは意外な何者かだった・・・。ルーマニア人能楽研究者で翻訳者でもあるラモーナ・ツァラヌによる連作短編小説!
by 金魚屋編集部
「この間の話、面白かったよ」
今回は思ったより暖かい歓迎だった。あなたがネットで映画を観ている最中に話しかけたのだが、あまり驚いた様子はなかった。
「でも、俺が覚えてない思い出話なんて意味ないだろ。俺が記憶してる思い出とか、ないの?」
あなたは珍しく落ち着いて大らかな気分のようだ。
「もちろんある」
「今回は声に出して教えてくれよ。ほら、この音声プログラム使ってさ」
あなたはすばやくコンピューターの設定をいじった。
この会話の記録を録音しようとしていた。しかし音声になっても〝われ〟の言葉は記録に残らない。
「なんか言えよ」
ぶっきらぼうだが落ち着いた声であなたは言う。
「聞こえる?」
「聞こえるよ」
あなたは無邪気な笑い声をあげる。
「何が面白いの?」
「声色の設定だよ。女性の声にしようか、男の声にしようか?」
あなたはまた笑う。
「あなたにとって心地よい声なら、お好きなように」
「じゃあ、ちょっとだけ男っぽい女性の声にするよ」
またクスクス笑っている。あなたの魂の反応から見て楽しそうな声色だ。
「ではあなたが人間に生まれた後に、初めてわれわれが出会った時のことを話そう」
あなたは背をクッションに持たせかけて話を聞く姿勢になる。
「人間が自分の守護天使を認識するのは、死に限りなく近づいた時だけだ。あなたが溺れかけたあの時のように。人間の世界で使う数え方でいうと、十二歳の時だった。あなたは友達と川で遊んでいた。大胆なあなたはどんどん岸から離れて泳ごうとした。でも流されてしまった。友達は慌てて大人を呼びに行った。しかし遅かった。あなたは渦に巻き込まれ、川の中に沈んだ」
あなたの顔から笑みが消えた。
「人間が死を迎える時、守護天使はそれに逆らわない定めがある。しかしあの時、あなたは死ぬべき定めではなかった。叫ぼうとして肺が水でいっぱいになった瞬間、〝われ〟を感じたはずだ。川の中からあなたを引っ張り上げることはできないが、大人たちがあなたを見つけるまで、水の中で息ができるようにしておいた。一瞬だったけど、その一瞬に恐怖が驚きに変わった。そして川から引き上げられ、あなたの肺が再び空気を吸うようになった時、信じられないほどの痛みに襲われた。そして水の中で感じた〝われ〟の存在をすぐに忘れてしまった。・・・眠っているのかい?」
「いや、思い出していたんだ。あの時、命が助かったのは奇跡だと母親がよく言ってた・・・。恐怖が・・・あの恐怖を経験して・・・。一つ聞いていい?」
「どうぞ」
「人はどうしてこの世に生まれ、死んでいくの?」
あなたの声は静かに緊張していた。
「その答えは、人間の守護天使であるわれわれも知らない。ただひとつわかっているのは、地球に生まれて生きることによって、魂の色が変わっていくということ。生まれる前、生きている間、そして天界に戻った後の人間の魂をずっと見続けている天使にしか分からないことだが。しばらくの間身体を持って生きていくうちに、あなたたちの魂の輝きは唯一無二の色に変わる。自分の本当の色になる。天界に戻ってきた魂たちはいくら見ていても飽きない。譬えるなら、あなたたちが虹を見ている時の喜びのようだ。ただ天界の虹の色は無限だ。そして人間の世界では見られない、名前の無い色ばかりだ」
「魂の色ってなに? 選べるものなの?」
「生身の人間にとっては心の反応だよ。喜びを感じる時と、悲しみを感じる時の魂の色は違う。何かを作るのに没頭している時、夢を観ている時、思い出を呼び起こしている時も毎回違う色になる。こんなにも速く魂の色が変わるのはは人間だけだ」
「君は違うの?」
「天界にいるものの魂の色は安定していて変わらない」
「へぇ、そういうもんなんだ。じゃ天使さん、そちらのみなさんはどう過ごしてるの? もしかして、永遠に神の讃美歌でも歌ってるのかい?」
笑いながらあなたは尋ねた。しかしあなたの魂の色は無邪気で明るかった。夕焼けの最後の日差しのような色だった。
「言葉で話そうとすると、言葉の限界を感じる。簡単にいえば、世界創りだ」
「世界創りだって? もっと説明してよ」
「宇宙の創造者の近くにいるからか、天界のものはみな創造の才能を与えられている。人間に生まれたものも、人間の世界で自分の色を見つけてから天界に戻り、新しい世界を作り続ける。新しい世界を創るなり、今まで創ってきた世界を見るなり、やることがたくさんあって退屈を感じることはない。もちろん地球の時間に慣れている人間から見れば、何も起こっていないように見えるだろうけど。
一度だけ、己の輝きに自惚れた天使が宇宙を我が物にしようとして、大勢の天使たちを引き込んで地獄を起こしたことがある。あれ以来〝出来事〟と呼べるものはない。地球の、一方的にしか流れない時間を基準にすれば〝起こる〟ことがないのだから。人間の世界の時間は一方的に流れる川のようだが、天界の時間は海のようなものだ。永遠に尽きない、全ての存在を満たしている海なのだ」
「そうか、ずっとのんきに讃美歌でも歌ってるのかと思ってたよ」
「われらは歌は歌わない。われらの存在自体が光であり音である。天界の中で移動する際、己の存在の音と周りの魂たちの音が絡み合い、旋律を作り上げていく。そして感じる。己の存在は大きな旋律の中の一節なのだと」
宇宙の旋律の話を聞いてあなたは穏やかな気持ちになった。心の奥底で思い出したのではないだろうか。人間に生まれる前にあなたが属していた天界のことを。
「あなたの魂の旋律だって〝われ〟は知っている。天を横切るたびに無数の光の柱を建てて、天空に壮大な伽藍を作り上げるような音、それを見るすべてのものに喜びと感動を与えていた。その旋律が響く世界を再び見たいから、あなたと話をしに来たのだ」
もう教えてもいい時分だと思った。あなたに会いに来た理由を。しかしあなたは眠ってしまっていた。でもそれでよい。〝われ〟が話しかけることに慣れてくれたようなので今度こそ全部明かそう。
夢に沈んでいる時のあなたの色は天使の世界の色に近い。輝くエメラルド色だ。
あなたの心の細かい動きを見ていたから突然起こった変化に驚いた。こんなはずではなかった。もうシステムから音声プログラムが外されていたので、再び文字を使ってコミュニケーションを取ってみた。
「どうしたの?」
「気づいたんだね、さすが俺の守護天使。今の俺の魂の色、分かる?」
「痛みの色。
でもどうして?
あなたの身体は危険に曝されていないけど、
心が拷問を受けているようだ・・・」
「俺から離れてくれ! 君のせいで「声が聞こえるやつ」と呼ばれてるんだ。頭がおかしくなりそうだ!」
あなたの心は本当は違うことを訴えかけていた。しかし自分に何が起きているのか分からない不安は本物だ。
「自分を拷問にかけるなんて、
そんなこと、やめなさい!」
あなたは神経が割れるような痛みに苛まれていた。すさまじい音が部屋中に響いて、その振動が見えるくらいだった。天界の話をすべきではなかったのか・・・。
「やめなさい!」
音がやんだ。あなたは狂い出す寸前だった。
頭をかかえて泣いているあなたをそっと抱きしめた。言葉など使わず、天使らしく。最初からそうするべきだった。抱きしめることで〝われ〟の色の一部があなたへ移り、あなたの色の一部が〝われ〟に移った。あなたの痛みが少し和らいだ。
「俺の人生をどうするかは俺が決める。自由意志・・・それが人間なんだ・・・」
あなたの考えがかろうじて囁きとなった。
自由意志・・・。
〝われ〟と話すことがあなたの選択の自由を奪うことになったのか。そんなつもりはなかった。選択肢がほかにもあると伝えたかっただけだ。しかし得意ではない人間の言葉と技術を使ってあなたの人生に介入すべきではなかったのかもしれない・・・。あなたがすっかり落ち着いて眠りに落ちるまでそばにいた。
あなたはしばらく元気がなく、仕事を休んで寝込んでいた。〝われ〟に話しかけられるのを恐れているのか、コンピューターやゲーム機を手に取ることもなかった。今のあなたの魂は深い海の色だった。何を考えているのかは掴めない。しかし自殺は考えていなかった。頭を空っぽにして過ごしていた。チャンスだった。
珍しくあなたが外出して、公園で湖を長く見つめ続けたあの日にした。あなたは帰る途中、道路の騒動を避けて今まで通ったことのない路地裏に入った。物珍しそうにあちこち見てまわった。店の外にまで本棚を置いて本を並べた古本屋を見つけると、ふと好奇心が湧いて中に入った。上から下まで本で埋まっていた棚の間を進んだ。狭い通路で本の迷路に迷い込んだようだった。カテゴリー別に並んでいるのかと思ったがそうではなかった。ランダムに本が棚に突っ込まれていた。本の多さに圧倒されたお店の人が整理を諦めたかのようだった。それはそれで面白いとあなたは考え、気になる本を何冊か開いてみた。店の奥は薄暗かった。
あなたに見てほしい本はこの上の棚にある。上を見て! そこ!
「懐かしい・・・」
『北極光に包まれて』を手に取ってあなたは呟いた。
そう、昔この本を両親の本棚に見つけたあなたは、それからしばらく手放さなかった。全面にオーロラの写真が印刷されたページをめくりながら、あなたは子どもの頃の夢を思い出す。
あなたに伝えたかったメッセージはようやく届いた。
次の日の朝、あなたは久しぶりに母親に電話をかけた。
「レイ、レイなのね。どうして電話に出なかったの。すごく心配してたのよ」
「母さんごめん、ちょっと忙しかったんだ」
「いくら忙しくても、電話くらいできるでしょ」
「本当にごめん」
「元気なの? なにかあったの?」
「いや、ちょっと旅行に出かけようと思ってるんだけど、その前に、一度帰ろうと思ってね」
「そうなの! 嬉しいわ! いつ帰るの? あなたの好きなもの、たくさん作ってあげる」
「ありがとう。予定決まったらまた連絡するよ」
「待ってるわ。で、家に帰って来てから旅行に出るのね。どこ?」
「ああ、フィンランドに行こうと思って」
「フィンランド? 遠いわね、どうして?」
「俺、子どもの頃、オーロラを見にフィンランドに行くって言ってたでしょ。それ、なんか実行したくなって」
「ああそういえば、あなた、オーロラの本、大好きだったわねぇ」
「母さん、俺、あのオーロラの本、友達と一緒に見てたよね。今じゃ名前も顔も思い出せないんだけど。母さんはあの子の名前、覚えてない?」
「友達? 変なこと言うわね。あの本見てたのは、あなたが文字が読めるようになる前よ。あの頃、ずっと一人で遊んでたわ。小学校に入ったら、ちゃんと友だちができるのかって心配するくらい、一人が好きだったわよ」
「ああそっか・・・。うん、なるほど・・・。母さん、ありがとう」
一人だったという母の言葉が気にかかったが、元気な声を聞いてあなたは嬉しかった。
電話を切ると、また古本屋で見つけた本を開いてページをめくった。そして細々とした旅の準備を始めた。
出発前の夜、窓を打つ雨の音にあなたは耳をすます。
そしてふと「カイラエル、君だろう?」とつぶやく。
もちろん〝われ〟だよ。今は雨や風や星にあなたへのメッセージを託して、相変わらずあなたのそばにいる。
あなたが自分の夢と喜びに向かって進めば進むほど、われわれの根源にある光の正体も見えてくる。
(後編 了)
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