こんちはあぁあぁ。選挙すねー、自民党総裁選。しっかし選挙ってなんでこんなわくわくするんだろうね。なんかさ、登校拒否の子供を選挙戦に叩き込むと、いっぺんに治るって話を聞いたことがある。わかる気もするんだけど、それって結局、何が効くんだろうね。そいつがわかれば、べつに選挙戦に叩き込まなくても、常に使える解決策が見つかりそうなもんだ。
もっともその話は、今みたいに登校拒否だっていいじゃないかとか、無理にいかせて悲劇が起こるよりはとか、そういう論調がない、ずいぶん以前のもんで。登校拒否が一種の病気みたいに思われてた頃のことだから。ようするに原因のないウツみたいなものだったら、選挙戦に放り込むと治るよってことなんだよね。まぁ、この数日前からのわくわく感からすると、たしかにって気がするよ。
もちろん、面白い選挙とあんまし面白くない選挙とはあるけど、今回の自民党総裁選はわりかし面白い方なんじゃないかな。りょんさんのところは家族に一票あるもんだから、余計に楽しいの。100円で馬券買うみたいなもん? 面白い選挙は、やっぱり行方がわからないのと、対立がはっきりしてるのと、その一方でどっか和気あいあいのところがあったほうがいいみたい。罵り合いも度をすぎるとシラけるから。
りょんさんはさぁ、わりかし選挙の行方を当てるの。で、決め手はわくわくする方が勝つっていう笑。なんかちょっと面白いじゃん、って方の勝ちって、原理原則がある感じ。それって実は、入学試験とかでも言えてるの。すごく実力があって、合格間違いなしの人が意外と落ちちゃうことがあって、実力は全然届かないんだけど、なんかわけわかんない勢いで追い上げてるよねって方が受かっちゃったりすること、結構ある。
つまり世の中っていうのは、変化率を好むんだね。まだ変化にも至ってない、変化へのスピードそのものを好むっていうのかな。それはやっぱり5年とか7年とか先のことを考えたとき、今現在どうってことより、変化の角度が激しい方がうんと進歩してる。そういう見通しが立つからだろうね。直感的に、あるいは無意識的に。
今回の自民党総裁選が楽しいのは、4人それぞれに方向性が違ってるってこと。だけど一方で同じ自民党だから、決まってしまえば挙党体制で協力してやってくれるんだろうとも思うし。その辺が和気あいあいっちゃ和気あいあいの所以なんだけど、いずれなんとなく明るさを感じさせる。対立と融和、将来にとっては、この両方の要素が必要なんだよね。そんなにうまくいくかどうかわかんないけどさ。
実は、りょんさんは菅首相が辞任したのは結構、ショックだった。実際、今になって支持率が上がってたりするし、どんだけ仕事した人かっていう話が出てきて、みんな悲しくなってる感じ。たしかに発信力がないというか、説明なさすぎで、記者会見では目が泳いでるし、本気なんかい、ってみんな思っちゃったんだと思うけど。ほんとのところ、あまりにも仕事しすぎて、忙しすぎて説明なんかに気が回ってなかったってことなんだね。そういうことあるよね、我々の仕事だってさ。
ワクチンの接種率だってもう50%になるって、それって当たり前じゃん、こんなに時間経ってんのに、と思うけど、世界を見まわしたらすごいことなんだよね。それだけするのだってもう大変でした、だったら説明しろって言われたら、目も泳いじゃうよね。それどころじゃないっつうの。我々ってさぁ、日本国民の数がどのぐらいいるかってのを、日常的に感じないで生きてるからね。だいたい自分の周りの半径5メートルとか100メートルとか、せいぜい200メートルぐらいのとこしか目に入ってないよ。それで、それが全員だと思っちゃってる。
それを念頭に置いて総裁選の候補を眺めると、もう誰がいいとか、言う気しなくなっちゃうんだよね、いい意味で。思うところはあるよ、あるけど、それってその場の思い込みじゃない? こんな人絶対ヤダと思ったのに、なってみたら助かったってことあるよね。人には添うてみろって言うじゃん。
最近、思うんだけど、政治家ってほんとに偉いなって。昔はすごい権力者で、陰でいっぱいお金ももらってんだろうとか思ってたけど。このところはいろいろ透明になってきてるし、そういうふうに改革したのだって政治家たち自身だよね。で、見てると全然、割に合わないよね、政治家なんて。財産を公表していて、それはもちろん表向きの、氷山の一角でって考え方もあるけど、そもそも十分に財産がある人でなければ、とってもやってられないぐらいに割に合わない商売とも言えんじゃないの。昔の庄屋さんみたいなものでさ、やっぱりなんのかんの言って、みんなのためにやってんだよ。
二世が多いってのも、損得感情は抜きでさ、なんか親がやってたから、とにかく地盤を継がなきゃって、気がついたら政治家になってたって、そういうことなんじゃないかな。そうでもなきゃ、こんな割の悪いことやってられませんよとも思ってるかもね。だって一生懸命やったって無茶苦茶言われるんだもんね。すごいストレスだと思うよ。
いろんな商売それぞれ、原理的な価値観っていうのがあってさ。最初に学んだ商売のやり方が、商売替えしてもついて回る、ってことがあるんだよね。それがプラスになったり裏目に出たりとか、いろいろなんだけど、ようするに最初に叩き込まれた社会的、原理的な価値観ってなかなか変わらない。逆に言えば、若い頃に最初に叩き込まれたその商売の価値観が身につかなければ、その商売を長く続けることはできないと思う。
お医者さんだって、エリート然とした、ちょっとナルシズム入ったような人でも、目の前で患者が苦しみ出すと、髪振り乱して慌てるからね。そりゃそうだよ、助けるためにやってんだって、学生の頃に教わってる。 二世・三世なら、親の様子を見て身につけた雰囲気で淡々とやってる。
政治家だって同じじゃないかな。まぁ、何のためにやってんのかって思える人もいるんだけど、結局そういう人は長続きしないから。名前が知られたような政治家に関しては、やっぱりみんなのためにやってるって意識がないと、そこまでたどり着けてないはずだよね。そう考えると、たとえば総裁選とかで自分の贔屓の人がいると、それ以外の人をついディスりたくなるわけなんだけど、それぞれ7回とか8回とか当選して、支持者がいるってことは魅力があるんじゃないですかね。実際、たまたま政治家の誰かと直接会って、ナニかのアレで昼食なんか一緒にしちゃった人の話を聞くと、すごいファンになっちゃってることが多いよね。冷たいイメージの政治家であってもさ。
で、総裁選の報道を見てて、ちょっと不思議に思ったのは、テレビ番組とか記者クラブの質問の仕方が偏ってるってことらしいんだけど。まぁ具体的には、かつて総務大臣だった高市早苗さんのことをマスコミが怖れて、彼女が不利であるかのように事実を歪めて伝えているとか。だけどフツーはさ、選挙のときって、ほんとは余裕で勝てそうなのに、「あと一歩ですっ」とかって叫んで投票を促すってのが常套手段だった気がするんだけど。河野さんが余裕で勝ちそうって触れてまわることは、河野さんの有利になることなの?
たしかに国政選挙と総裁選では、候補者に求められていることは多少違うかもしれない。みんな7回も8回も当選してるわけだから、国政選挙のやり方は飲み込んでいると思うんだけど。それで野田聖子さんが「今まで主役になれなかった女性や弱者」とか言って、またいろいろ言われててさ。だって朝の連ドラの「主役」って、いつも女性だよね。揚げ足とるわけじゃないけど、まぁその「主役」って言葉が、ふわっとしてんだよね。国政選挙だと、ふわっとした感じで共感を得たり、ドブ板で「あと一歩!」って叫んで入れてもらったりっていうのオッケーなんだけど、総裁選はやっぱりちょっと違うかな。なんてったって総裁なんだからさ、同情でやってもらうわけにはいかないっつうか。
高市さんについては、成長したなんて言うと失礼だけど、成長を感じたとしか言えないぐらいびっくりした。二世でもなく、女性であれば、すごく苦労しながら、ものすごくたくさん仕事してきたんじゃないかなぁ。それが窺える成長ぶり。だから女性が苦労するってことに目くじら立てるって立場もあるけど、苦労が身についてこんなに成長するんだったら、苦労させられる立場ってのは財産だよね。そういう考え方ができる女性が、朝の連ドラで主役を張ってるって思うんだけど。違いますかね。
岸田さんのことは多くの一般ピープル同様に、りょんさんもまだピンと来てないんだけど。どこかの記事で、何か官僚がレクチャーしてても眠そうで聞いてないみたいで、突然、「その答弁で国会乗り切れるか」って言ったりするんだって。しびれちゃうよね。夫婦別姓の問題点の指摘も、すごくクレバーだった。岸田さんにもさせてみたいなぁ。誰も彼もいいところがあって、させてみたい人たちが複数いるって、自民党は幸せだ。それで結局、選挙で勝てるかっていう喫緊の必要に迫られて、政局が動いたりするんだろうねぇ。うん。
りょん
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