前回はクリスマス関連で少し東欧のキリスト教の話をした。実は東欧の国々だけではなく、ヨーロッパ全体について何かを語ろうとすると、ある段階から必ず宗教の話に入らざるを得ない。あまり認められていないことだが、西洋の人にとっては「教会」という施設の存在は、自分たちが認識している以上に日常生活のあらゆる側面に影響を与えているのだ。
色々な宗教または宗派があり、みんなが人間同士の相互理解を目指しているのに、宗教こそが争いの原因になったりするのがいかにも皮肉だ。人間と神様の関係を運営していると自任する機関は、自分の本来の意味と役割自体を忘れているのではないかという疑問が現在生じている。日本では、宗教のことをあまり深く考えないですむのがとても楽だと思っているのは、正直な気持ちだ。
しかしヨーロッパにおける「宗教」という制度の現状はどうであれ、人は昔から自分たちの信じている世界像に対して色々な想いを抱き、その想いが場合によっては生き甲斐になり、あらゆる物作りの出発点になり、人間としての成長の動機にもなった。そのため、宗教をただ時代遅れの精神的な枠組みとして片付けられない。人が大切にしているものがそこに内在しているからである。
例えば、ルーマニアの場合、外国から来た人が一番よく選ぶ観光先はやはり教会だ。ルーマニアの外から来た人には、教会にはキリスト教の古い形がまだある程度存在しているというイメージがあるのかもしれない。現代を生きながら純粋に信仰を持つ人たちの生活はどのようなものか、自分の目で見たいとみんなが考えているであろう。ある意味で、外国の観光客がルーマニアの教会を訪ねる時は、「異国」のものを見たいという気持ちよりも、「過去」を覗いてみたい気持ちの方が強いのではないかと思う。
ルーマニアの教会は、地方や建立の時代によって様々な特徴を見せる。自分の出身地であるブコヴィーナ地方の場合、15~16世紀に建てられた壁画の教会群が広く知られている。15~16世紀といえば、戦争がよく行われた時代だった。隣国は大きな帝国として発展中であり、国として潰されないように国民は抵抗していた。敵がいつ侵略してくるのが分からない状態で毎日を過ごしていた人たちは恐怖に生きていてた。そのような日常の中で人の慰めになったのは、信仰だった。
人間の力は限られているが、神様の力は無限である。そのため当時は神様の力を揺ぎなく信じていれば、敵から守って下さるだろうという希望があった。このような時代精神を背景としてたくさんの教会が建てられた。教会はお祈りをする場所であると同時に、神様への捧げ物でもある。しかし、当時聖書はまだ現地の人の言葉に訳されていなくて、教会で使われていた言葉は古代スラブ語だった。少数の教会関係者を除いて、一般の人は神様にまつわる話をもっと聞きたいと思っても、一言も分からない。
そこで考え出されたのは、教会の壁に聖書の内容を描くことだった。壁画を担当していた画家たちは才能と知識を振り絞って、キリストの教えをできるだけ分かりやすく、そして表現豊かに描くことを目指していた。彼らによって開発された壁画の技術は、絵の構造や色彩などに拘り、美術的な基準から見れば、繊細でレベルの高いものだった。神様への捧げ物として、誰でも感動するような美しい絵を作る、それが当時の画家達の念願だった。
結果としてキリストの教えだけではなく、絵を通してある種の美意識も同時に人の心に届いた。そのためルーマニアの昔の人にとって、初めての美の体験は教会の中にあったといえる。教会の絵、つまりイコンは聖なる世界を覗き込む窓だという考え方が芽生えたのである。言い換えれば、教会の雰囲気に感動した人間の目には、美しいものは神秘性と結びついているように見える。
ブコヴィーナ地方にあるフモル修道院の教会
信仰の世界と美学の関係に関してもう一例を挙げよう。ルーマニアの南方にある、16世紀半ば頃に建てられたクルテア・デ・アルジェシュ聖堂には昔から一つの伝説が伝わる。その伝説によると、国の君主が世界で一番美しい教会を建てたいという願望を抱き、もっとも上手な12人の大工の名人達を集めて教会の建立を命じた。大工の棟梁はマノレという男だった。彼が企画したのは、君主の希望に応える、世界で類似のないような美しい教会だった。
大工達は素晴らしい教会を建てるために、一生懸命仕事に取り組んだ。しかし不思議なことに、彼らが昼間作った壁は夜の間に崩れてしまった。不吉だった。君主は怒り狂い、教会が完成しなければ大工全員を処刑すると脅した。みなが絶望にとらわれ始めた頃、マノレは夢でお告げを受けた。夢の中に天使が現れ、世界で一番美しい教会を完成したければ、朝一番に工事現場を訪れる、大工達の一人にとって一番大切なものを壁の下に埋めるようにとマノレに告げたのである。彼はすぐに仲間に夢を打ち明け、全員で夢のお告げに従うことを誓った。
朝になり、足場の上にいたマノレは、遠くの方から妻アンナが建築現場にやって来るのを見た。マノレにとってアンナが一番大切なものだった。彼はお告げの意味を瞬時に悟り、身を切るような悲しみを覚えた。どうかアンナが工事現場に辿り着きませんようにと、心の中で神様が彼女の足を止めてくださるよう祈った。神様はマノレを哀れみ、嵐を起こしたが、アンナは嵐など気にせず歩き続けた。愛する夫に少しでも早くご飯を届けるためだった。
工事現場に辿り着いた彼女は、夫の顔を見るのが嬉しくて笑っていた。マノレは一層悲しくなった。大工達の厳しい視線が二人に注がれた。マノレは一言も言葉を発せず、妻を作りかけの壁のところへ連れて行った。マノレはアンナを石の上に座らせ、彼女の周りに壁を建てはじめた。アンナは安心しきっていた。何かの遊びだと思っていたのだ。やがて動けなくなり、苦しみにとらわれた彼女は、泣きながら自分の命とお腹の子の命を助けてくれるように夫に哀願した。しかしマノレは石を石の上に載せ続けた。アンナの体が完全に石に覆われるまで壁を建て続けた。彼女の悲鳴も聞こえなくなってしまうと、彼の心は空っぽになっていた。仲間の大工達が教会の壁を建てる作業を再開した。見る見るうちに立派な教会が出来上がっていった。君主の依頼どおり、誰も見たことのないような素晴らしい教会だった。
君主は狂喜した。しかしもしかすると、大工達が他の所でこれよりもっと美しい教会を建てるのではないかと疑い始めた。建築作業は最後の段階に入っていた。大工達はみな教会の屋根の上で作業していた。君主は家臣に命じて足場を破壊させた。高い屋根の上から下りられなくなった大工達は、木の板で翼を作り、それを使って地上に降りようと試みた。だが全員落下してみな絶命してしまった。マノレが落ちた場所には泉が沸いたとされる。その泉は井戸に作られ、今でもクルテア・デ・アルジェシュ教会のすぐそばにある。この井戸で汲んだお水は涙の味がするといわれる。
クルテア・デ・アルジェシュ聖堂 (Alexandru Babos 撮影、Wikipediaより)
マノレとアンナの物語には、世界中どこにでもあるような生贄伝説の要素が窺える。古代の人々は、共同体のために大事なことを成し遂げたい時には、神の協力を得るための犠牲が必要だと信じていた。しかしマノレの伝説が伝えているのはそれだけではない。物語には、犠牲の上に建てられた教会が美しいのは当たり前だというようなメッセージも織り込まれている。つまりここでも美学と聖なる物の世界が結びついているのだ。
信仰の枠組みの中で美の意識を養われた人間の場合、美の追求の裏には聖なるものへの理想があるのではないだろうか。これは自分にとってよく考えなければならない問題であり、様々な観点からこのテーマにまた触れたいと思う。今回は教会の例を使って、自国の人たちが思う美の体験がどれほど深く信仰の世界と関連しているのかについて考えてみた。個人的に宗教の世界に対して色々な疑問を抱いても、信仰本来の形には人間が根本的に大切にしているものがある。そのような根本的価値を見捨ててはいけない。
また神秘の世界に根付いている美学といえば、日本文化の場合「幽玄」という理念が思い浮かぶ。幽玄については次の機会に考えてみようと思う。
ラモーナ ツァラヌ
* クルテア・デ・アルジェシュ聖堂の写真以外の写真は筆者撮影
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