この前、しばらく連絡を取っていない地元の友達からメールが来て、クリスマスの次の日に共通の友人達の集まりがあるので、参加しないかと誘われた。クリスマスの時には帰省するのが当たり前なので、わたしも帰ってくると思っているのだ。
日本でもお正月やお盆の時には皆さんが実家に帰ると同じように、ルーマニアの人はクリスマスとイースターの時に地元へ帰省する習慣がある。クリスマスやイースターは家族と一緒に過ごすべき日である。お正月ももちろん大事な日なのだが、年越しの夜は友達と集まって、または親しい友達と一緒にどこかへ旅行して、わいわいしながら楽しく過ごしたがる人が多い。
家族と一緒に過ごす祝日の特徴かもしれないが、クリスマスの日の流れは大体決まっている。24日の午前中から、お母さん達は腕をふるってクリスマスの時にしか食べられない美味しい料理を作る。うちの家の話だが、クリスマスの前の日にお腹がすいてなにか食べたいと思っても、キッチンは母に独占されているので何も作らせてもらえない。なのでこの日は自ずから断食の日になる。または外で買ったジャンクフードばかりを食べる日だ。お母さん以外の家族は料理作りを手伝うか、クリスマスツリーを飾るか、家の掃除を担当することになる。みんなけっこう忙しい。
クリスマス・イヴの夜までには料理は出来上がっているはずだ。人が訪ねてくるからだ。まずクリスマスキャロルを歌う子ども達が来る。キャロルを歌いに来てくれる子ども達をできるだけ多く迎えるのは、幸運をもたらすことだと考えられている。子ども達が近所の家を順番に廻ってキャロルを歌うという習慣は、古くから存在している。昔はキャロルを歌ってくれたお礼としてお菓子や果物などをあげるのが主流だったが、現代は都市でも田舎の方でもお金をあげるのが一般的になった。少ない金額でも子どもは喜ぶ。たくさんの家を廻ればたくさん儲かるわけだ。クリスマス・イヴが子どもが資本主義の洗礼を受ける機会になってしまったことを嘆く人もいれば、仕方がないと思う人もいる。ただ本人たちは、そこまで複雑に考えていないだろう。苦労して稼いだお小遣いを大事に使うことを学ぶのだから、この件に関してあまり神経質になる必要はないと私は思う。
キャロルの話に戻ろう。毎年クリスマスの日に限って聞けるこの歌の種類は、東欧のキリスト教徒にとても大切にされている。西欧などの国にもキャロルと呼ばれる歌があるのだが、レパートリーの幅広さと古さから見ると、東欧のキャロルは独特である。歌詞の内容はキリストの誕生を物語として捉える非常にナイーブで単純な性質を持っている。その物語に登場するマリア様や天使たち、幼いキリストに贈り物を持ってくる王様たちなどは、身近な存在として描写される。メロディー自体も子守唄のような響きがある。キリストの物語を分かりやすく描くイコンのように、この種の歌はとても古くて、素朴な信仰心のあり方を伝えている。
キリスト誕生のイコン
年に一回この歌を聞くことは、キリスト誕生の物語、つまりキリスト教の出発点を思い出すことである。記憶の地図が更新されるわけだ。徹底的に宗教を勉強するよりも、キャロルを聞く方がキリスト教徒としてのアイデンティティーを保つのに大きな役割を果しているのではないかと思う。勿論これは無意識的な過程である。信仰がこのような仕掛けによって機能していることを意識できるようになると、宗教的な世界観に対してわりと冷静になれる。子どもの時から人前で歌うのを恥ずかしがっている私でさえも、キャロルなら歌っていたし、今でもイヴの時に口ずさむことがある。メロディーは優しくてきれいだから、歌いやすい。
キャロルを歌ってくれる子ども達の訪問は、暗くなると段々少なくなる。夜の9時~10時頃、近所は静けさに包まれる。その時間帯にみんなは街のイルミネーションを見に行ったり、外の寒さが厳しい場合、居間に集まって、クリスマスツリーのイルミネーションを見ながら夜遅くまでおしゃべりをしたりする。
クリスマスツリーも、キャロルと同様、この日に欠かせないものである。勿論もみの木だ。日本のお正月に欠かせない松の枝のように、めでたい。ツリー飾りは色々な種類があるが、赤いボールのようなものと、きらびやかな白い飾りはなくてはならない。あとはイルミネーション。温かく光る赤いボールは木の実りを象徴し、これから始まろうとする新しい年が豊かな年であるようにという願いを意味する。白い飾りは雪を象徴している。大雪が降るのは吉兆であり、実際に降っているかどうかにも関わらず、クリスマスツリーの枝に雪が積もっていることを表現している。赤と白はもみの木の常緑の葉によく合うので、この三つの色の組み合わせを目にするのが吉だと思われている。
そして夜が更けて家のみんなが休んでいる間は、魔法の時間だ。サンタが来る。家庭によって、色々なやり方がある。小さい子どもがいるなら、知り合いにサンタの衣裳を着させて、予め用意したプレゼントを子どもがサンタから直接受け取るようにする。このとき、素敵なプレゼントの代わりに子どもは幼稚園で習った詩を言ったり、歌を歌ったりしなければならない。いかにも優しそうなサンタでも、その存在の異様さに子どもは怯える。子どもの反応を見るのが大人たちの楽しみだ。
子どもが大きくなると、このトリックはもう利かない。そうすると、朝目覚めた時に、クリスマスツリーの下にプレゼントを見つけるのがみんなの楽しみになる。夜の間にサンタがどうにかして家に入り、プレゼントを残したというのが一般説だが、ある時期からサンタが自分の親だということが子どもにも分かるようになる。それを素直に受け入れる子もいれば、しばらく抵抗する子もいるのだが、人間の成長過程の中で大事な段階である。それは自分自身もサンタのように、人を喜ばせることができるようになるための第一歩だ。
クリスマスと次の日は休日なので、みんなはゆっくり過ごしている。教会のミサに行ったり、親戚を訪ねたり、または街を出て近くの山の冬景色を見に行ったりする。大事なのは、普段とは違う過ごし方をしながら、この日の祝祭的な雰囲気で気晴らしをすることである。
日本にいる自分も12月25日を特別な日にしようと思う。しばらく会っていない友達に会うか、前から読みたかった本を持って好きなカフェに籠もるなど、普段あまりしないことであれば十分特別に感じる。ちょっとした工夫によって気持ちを新しくすること、それこそがクリスマスの気分だと思う。
ラモーナ ツァラヌ
* 写真は著者撮影
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■