小原眞紀子さんの『Ongaku & Bungaku by Kingyo』『No.016 『インビジブル・ウォー』 ジュリア・フォーダム』をアップしましたぁ。おおっ、ジュリア・フォーダム姉さんですか、という感じです(爆)。この方、特徴的な声の持ち主であります。小原さんは『母性的というと嫌らしくて、野太くて温かい低音から透明感のある高音まで幅広い表現力があり、なおかつまるで抱き込まれるように響くという一貫した特徴がある。生まれつきの声質に恵まれる、ということは絶対的にあると思う』と書いておられます。
小原さんはまた、『シンガーソングライターは歌詞から痩せていく、というのは本当だ。ジュリア・フォーダムの CD はいつしか買わなくなったが、ファースト・アルバム「ときめきの光の中で」には、タイトル曲をはじめとして文字通り、最初に世界と対峙したようなときめきの感覚が声にもサウンドにも、そして歌詞にも溢れている』と書いておられます。不肖・石川も、ジュリア・フォーダムではヒット曲の『ハッピー・エバー・アフター』くらいしか思い浮かばないですぅ。
ミュージシャンも物書きも、いつもギリギリのところで勝負しているのは同じだと思います。でもやっぱミュージシャンの方が圧倒的に成熟が早いですね。十代から二十代の初めに大人の世界に触れ、その衝撃を楽曲にしたソングライターは多いです。ビートルズが『ヘルプ』を発表したのはレノンさん二十五歳の時で、『僕が若かったとき、今よりずっとずっと若かった時』と歌っていますから、十代の時の心情を歌詞にしておられます。つーかレノンさん、二十五歳で自分はもうずいぶん年を取ったと認識していたわけです(爆)。
ジュリア・フォーダムさんも似たようなところがあって、最初の方の曲は新鮮でしたが、それ以降、世界の中に謎を、新たな新鮮さを見つけ出すことができなかったやうに思います。小原さんは『結局のところ音楽は快楽であり、快楽はすべての理屈を乗り越える』と書いておられますが、ソングライターの場合、この快楽は年齢を重ねていく自己と社会との関係を正確に捉えられないと表現できないやうに思います。子供のままであってはダメですし、大人の嘘を覚えてしまってはなおダメになる。こりは物書きも同じですね。
■ 小原眞紀子 『Ongaku & Bungaku by Kingyo』『No.016 『インビジブル・ウォー』 ジュリア・フォーダム』 ■