小原眞紀子さんの連載評論 『 文学とセクシュアリティ 第 6 回 「紅葉賀」あるいはプレからポスト・モダンへ 』 をアップしましたぁ。『文学とセクシュアリティ』は『源氏物語』についての評論ですが、今回はポストモダニズムについてレクチャーされています。見事な分析をされていますのでご一読ください。
1980年代から90年代くらいの文学を知っている方はおわかりでしょうが、この時期にポストモダニズム思想が大流行しました。一世を風靡した感じです。中心になった批評家は柄谷行人さんでした。今になるとあれはなんだったんだろうとさえ感じますが、ものすごく柄谷さんの本が読まれ、彼が批評界のスターだった時期があるんですね。
2010年代の今になって言えることは、柄谷さんが提起した問題は、彼自身にのみ関係した問題であり、文学の問題ではなかったということです。またポストモダニズムは原則ヨーロッパ思想であり、実存主義などと同様、それに飛びつくことは、流行風邪を引くようなものだったということです。ずっと同じ愚行が繰り返されているわけです。
柄谷さんの登場は、現在の僕ちゃん主義的文学を確立するのに寄与しました。創作と批評の良好な関係は失われ、多くの批評家が批評を小説や詩と同質の創作として書くようになりました。批評対象は原発でも政治でも経済でもよかった。文学はいわゆる出世の足がかりに過ぎなかったわけです。遅かれ早かれこういう時代は来たでしょうが、創作への敵意として自己の批評創作物を世に送り出したのは、柄谷さんが初めてだったでしょうね。その意味で彼は先駆者です。
文学金魚は文学を、文章によって為される人文学の一つとして考えます。その意味で創作が中心であろうと、文学の世界にはその原理を探究する学問が必要です。日本文学の古典中の古典である『源氏物語』を論じる小原さんの批評は、最も文学金魚らしい評論です。
■ 小原眞紀子 連載評論『 文学とセクシュアリティ 第 6 回 「紅葉賀」あるいはプレからポスト・モダンへ 』■