偏った態度なのか、はたまた単なる変態か(笑)。男と女の性別も、恋愛も、セックスも、人間が排出するアノ匂いと音と光景で語られ、ひしめき合い、混じり合うアレに人間の存在は分解され、混沌の中からパズルのように何かが生み出されるまったく新しいタイプの物語。
論理学者にして気鋭の小説家、三浦俊彦による待望の新連載小説!。
by 三浦俊彦
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■ ガスが溜まると必ず、オレのうたた寝顔の真上にしゃがんでブッ放す妹の癖は、高一になった今も治らない。
家でうっかりうたたね寝してると必ず、オレの顔にすわって屁をぶっぱなす高一の妹の、年間平均体重は九十三キロ。
九十三キロの妹(高一)がすかさずやってきて顔の上で屁をするので、家ではおちおちうたた寝もできない。
家でうっかりうたたね寝してると必ず、オレの顔にすわって屁をぶっぱなす体重九十三キロの妹は高一だ。
家でうっかりうたたね寝してると必ず、オレの顔にすわって屁をぶっぱなす体重九十三キロの高一はわが妹。
家でうっかりうたたね寝してると必ず、オレの顔にすわって高一、九十三キロの妹がぶっぱなすのは紛れもなく屁。
高一、九十三キロの妹がすかさずやってきて屁をぶっぱなすのはいつも、うたたね寝しているオレの顔の上。
屁は必ず人にかいでもらうもの、と信じつづけている妹(高一、九十三キロ)よ、なぜいつも寝ているオレなのだろう。
リビングのソファでうたた寝しているオレの顔に尻乗せて屁をするのが得意技という妹は高一、九十三キロ。
九十三キロの妹(高一)ははっきり言ってかわいい。オレがうたた寝するたびに顔にまたがり屁をかがせることさえしなければ。
妹(九十三キロ、高一)ははっきり言ってかわいい。オレの寝顔に尻でふたをして「隙あり!」なんて言わなけりゃ。
妹ははっきり言ってかわいい。オレの寝顔に屁をかましたあと「ヤッタね」じゃなくて「くさい?」くらいにしてくれりゃ。
妹ははっきり言ってかわいい。オレの寝顔にぶすーっとやったあと「ヤッタゼ」じゃなくてせめて「くさかった?」であれば。
妹が屁をしたくなると必ずオレの顔にケツを寄せてくると思うとむかつくが、ケツを寄せてくれば必ず屁をしたくなるのかと思えばチョイかわいい。
悪夢にうなされて目覚めると必ず、妹(高一、九十三キロ)が顔いっぱいにまたがって屁の余韻に浸っているところ。
高一、九十三キロの妹に顔屁かまされ目覚めるたびに懐かしい。にぎりっ屁ごっこで騒いでた子どもの頃が。
オレの寝顔に尻密着させて屁ぇこくのが何の仕返しだったか、もう思い出せないのに仕返しは妹が高一になる今も続いている。
オレの寝顔に尻密着させて屁ぇこくのが何のお祝いだったか、もう思い出せないのにお祝いは妹が高一になる今も続いている。
屁を一日中出さずにためて、寝ているオレの顔へまとめ出しするという特技を持つ妹は、高一、体重九十三キロ。
オレがソファでうたたね寝するたびに必ず顔にまたがって屁をかがせる高一、九十三キロの妹は、真顔でもえくぼがある。
オレがソファでうたたね寝するたびに必ず顔にまたがって屁をかがせる高一、九十三キロの妹は、ハイレグが似合う。
オレがうたたね寝するたびに顔にまたがって屁をかがせたがる高一、九十三キロの妹は、ボディシャンプーで下着を洗う。
ソファで寝ているオレの顔面に屁をするたびに「ヤッタね」と叫ぶ体重九十三キロの高一の妹は空中浮揚にコッている。
妹(高一、九十三キロ)に言いたい。寝冷えするよと注意してくれるつもりなら、なにも顔に屁をするまでもないだろと。
オレの寝顔にむかって屁をするのが得意な妹(高一、九十三キロ)に言いたい。鼻ではなくせめて耳にしてくれと。
オレの寝顔にすわって屁をするのが得意な妹(高一、九十三キロ)に言いたい。せめてズボンのときだけにしてくれと。
オレの寝顔にすわって屁をするのが得意な妹(高一、九十三キロ)に言いたい。せめてスカートはまくらずにしてくれと。
オレの寝顔にすわって屁をするのが得意な妹(高一、九十三キロ)に言いたい。せめてフリルのパンツはやめにしろと。
オレの寝顔にすぐまたがる妹(高一、九十三キロ)に言いたい。生理のとき一瞬ためらうくらいなら、屁そのものをやめてくれと。
うたた寝中のオレの顔にまたがっては屁をかがせる妹を、オレは最近本気で恐れている。やつの体重が八十キロを超えてからは。
屁のとき必ずオレの寝顔にまたがる妹が、ほんとに本気だとオレが知ったのは、放つ瞬間妹のかすかな息み声を聞いた最近だ。
屁のとき必ずオレの寝顔にまたがる妹の、屁直前のイキみ声にはなごめても屁直後のお気楽溜息は許せないのはなぜだろう。
うたた寝中の顔面にいつもしゃがんで屁攻撃を仕掛けてくる妹の、ケツにも腿にも指一本触れる勇気のない兄といえばこのオレです。
うたた寝中いつも顔面に屁をかまされてる諸君。高校生になってから妹のにおいがよそいきになったと感じるのはオレだけですか?
うたた寝中に妹(高一、九十三キロ)に顔にまたがられ屁をされた瞬間に自分も下腹が鳴るのは、オレだけだろうか。
妹(高一、九十三キロ)は最近本気だ。うたた寝中のオレの顔にぶっぱなす屁が無臭だったためしがないからだ。
妹(高一、九十三キロ)は最近本気だ。うたた寝中のオレの顔にぶっぱなす屁が悪臭だったためしがないからだ。
妹(高一)は本気だ。オレの顔に屁をするとき、ほんとに眠ってるかどうか確かめてからケツを乗せるようになったからだ。
妹(高一、九十三キロ)は最近本気だ。オレの顔にぶっぱなすとき、目を覚まさせまいというのかケツを両手でかき分けて音消し処置をしてるから。
妹は本気だ。屁のときオレの寝顔に尻をのせてする日課は、失恋らしきすすり泣きの日々も休まなかったから。
高一女子(九十三キロ)からなんべん顔屁をくらっても、リビングのソファでうたた寝習慣を続ける兄というのはこのオレです。
オレの寝顔を見ればまたがってくる妹(高一、九十三キロ)の屁は、正直言うと元カノの香水と同じにおい。
オレの寝顔にまたがって屁ッぴる妹(高一、九十三キロ)の日課がピタリと止んだのは、俺が股間テントを毛布で隠し忘れたあの日から。
以上はすべて、菅瀬慎次が『ヤングマガジン』BE-BOPアジア選手権に投稿するためノートに記したさまざまなバージョンの下書きだが、端的な事実の記述である。どれか一つが採用されたという情報もあるが、掲載号は突きとめられていない。(このシチュエーションからして、菅瀬慎次が本格的こっち系体質の蔦崎公一といずれ交わることになる因縁は察せられるだろう)。
■ ニセ怪尻ゾロが川延雅志を最も苛立たせたのは、その拙劣な模倣ぶりよりむしろ、ブツの温度がいつまでも新鮮な湯気を立てるレベルに保たれているという現象だった。チーマー退治に一区切りつけていた川延であるにもかかわらず、ニセより本家の方が優れていることを確認したいあまり、罪のないほろ酔い会社員を路上で殴り倒し、失神させて顔面脱糞、という所行を何度か繰り返した。チーマー退治の初心に抗して年齢層をあえて引き上げたのは、対照実験の基本――ブツの設置条件を等しくして比較するためである。結果は落胆ものだった。空気にさらされるや犠牲者の顔上で速やかに湯気を失ってゆく川延ブツに対し、その二時間も前に発見しておいたニセ怪尻ゾロブツは、モウモウたる湯気の勢いが衰えないのだった。
ニセ怪尻ゾロブツの上に自らヒリ出してみたり、ニセ怪尻ゾロブツを採取してきて自分のブツにトッピングしてみたりとさまざまな実験を試みたが、ニセ怪尻ゾロブツだけが(どんなちっぽけな断片だろうが)しっかり湯気を立て続け、川延ブツは速やかに冷めてゆく、という構図はまったく同じなのだった。
「なんで! なんでだ!」
川延は半狂乱になった。ブツの保温機能とは裏腹にニセ怪尻ゾロ本体の未熟さいい加減さを本能的に察知していた川延は理不尽感に身もだえた。平静でいられるのはい飯布芳恵と会っている間だけという有様だった。
探索的調査という輪郭をなぞりつつも、川延は紛れもなく「模倣路線」に迷い込んだ。ネオおろち系少女の間では、不審な「ニセネオおろち」の存在が囁かれ始めたのである。ニセを糾弾する川延自身が、ニセを演じてしまったのだ。のみならず自分自身の多重ニセモノと化していた――「ニセネオおろち」である以上に「ニセニセ怪尻ゾロ」になり下がっていた。保温などという恣意的側面にいかほどの価値ありやを確かめぬままその隠喩的含蓄を過大評価し錯乱した川延雅志。他者のニセモノであることからはそれなりの創造性が立ち上がりうるが、自己のニセモノに堕しては行き止まりである。そこを彼自身自覚できなかったところに、おろち史主要人物通有の悲運が象徴されていると言えよう。
■ ①みんなが本心うざったいと思ってるノーマルエッチを理屈総動員で否定してくれる。しかも道徳じみたお説教とはいかにも無関係のノリで。
②おろちを強要することは決してない。ホテルに入って講義を受けてから「やっぱやめる」と尻込みする子にも、残念だな、じゃあ半額あげよう、と気持ちよく送り出してくれたりする。(ちなみにそのような子の「リピーター率」は三割に及んだという。街角で〈キョーソ〉を探しても再び出会えなかった子も多かったらしいことを加味すると、実質リピーター率は六割以上になると推定される。)
③サンスター「歯すべすべクリアタブレット」とワーナー・ランバート「クロレッツクール粒ガム」を常時携行し、女の子にはその尻穴にすらおじさん族特有の口臭をかけまいとする配慮が感激。
④自分のおろちに関しては全く言及も尊重もしない。自分の場合はオナラがほんのわずか洩れそうなときですら、洗面所へ逃れてする。微妙に感激。
③と④は、自己の口中鼻腔と部屋内空気を無臭清浄に保ってビュアな環境でJK天然おろちの生の香りと味を堪能したいとの計算にすぎなかったのであろうが、女子高生らにはもっと通俗ポジティブに解釈されたようである。(利己主義に基づく利他的行為ほど効果的なものはないという巷の通俗教訓とおろち道徳と生物進化論との共通部分が図らずも満たされている。「「僕はきみと結婚できたらこんな幸せなことはない!」ってプロポーズと「きみを幸せにしたいので僕と結婚しよう!」ってプロポーズとでは君たち、どちらが嬉しいかい?」)
ともあれ〈キョーソ〉が彼女らにコペルニクス的開眼をもたらしたのは、生物進化論的基本命題「繁殖関係は男が前から女の下の中に放出するを基本とする」を疑うよう仕向け、「関係繁殖は女が後ろから男の上の中へ放出するのを基本とする」へ脱却するモチベーションを、金銭的報酬構造によって裏付けてやったことだった。
危険で面倒なノーマルエッチなしで、身体の接触すらナシで、いそいそとさもしい薄皮装着なんかのムード中断もナシで、すっきりできてお金もらえれば、潔癖な少女にとってそんなラッキーなことはないではないか。
〈キョーソ〉が彼女らの中で大きな存在となっているのはもう一つ、直伝おろちプレイの深み醍醐味がわかりかけてきたところで、肝心の〈キョーソ〉が姿をくらましてしまった謎がでかいという。袖村の眼前の少女二人は〈キョーソ〉に直接指導を仰いだことはなく、ネオおろち系としてのこの野外活動が超トレンドであることは学校の友だちからのまた聞きであるというが、もともとの発生源は、噂ではどうやら、最後に〈キョーソ〉の密室的教えを直接受けた子たちがなぜか何かの手違いだかハプニングだかで約束の報酬もらわぬままラブホテルの一室に置き去りにされてしまったとのこと。援交における対価踏み倒しなどとんでもないことである(あまつさえホテル代未払いの遁走だったという説がある)。そのときはまだ〈キョーソ〉は 〈キョーソ〉としての崇拝対象となりかけ段階だったため被害者たちはやがてキョーソとなる人物のまさかの背信行為にさぞ事情があったのかもなどと訝ることも考えず単純に腹を立て、第一印象敬愛の念抱けたおじさんだっただけに不意の幻滅押しつけられて憎悪倍増し、せっかく恥かしい思いをして大質量おろちを奮発した羞恥パワーのやり場ともども、代わりの金づる求めて一昼夜街をさまよっていると、ちょうどほろ酔い以上泥酔未満の馬鹿面五十男に声かけられたのを幸いついていったところが酔いがちと性欲を上回ったかホテルへたどり着く十数メートル手前にて股間に年甲斐なきテント張ったまま路肩に崩れ寝込んでしまった男。仕方ないので一同、眠り男の顔の上に背中合わせにしゃがみ込み、ぱんぱんに溜まっていた一昼夜分おろちをむっくりほっかり並べて内ポケットの革財布から〈キョーソ〉の約束額だけ抜き取った。これがネオおろち系の始まりということだった。
期待値の理論はいつどう関わってくるのか、そもそもキョーソ自身が期待値理論を吹き込んだのか、別の誰かが後から案出したものか、いまいち不明なゆえんだ。
やがて、今や行方不明の〈キョーソ〉を崇拝しつづける少女たちの間で弁神論が囁かれ始め、ああキョーソはただ意味不明に逃げたのではない試練をくださったのだあたしたちは試されたのだと気づいたときにはもうこの「ネオ・オヤジ狩り」がすっかり定着し、後戻りできない普及ぶりを示していたのである。むろん、勘違いだったからといって「ネオ・オヤジ狩り」をやめる必要はなかった。それどころか、これこそおろち文化の正統的な実践であり、これを続けてさえいればこの精進ぶりを目に留めた〈キョーソ〉がまた私たちの前に再臨してくださるのだ、という再降臨伝説までが細部微妙に異なるさまざまなバージョンの劇画風ストーリーを伴って語り伝えられていたのである。
むろんこの少女たちの語る「ネオおろち創世記」はほぼ真実を伝えているのだろうが、決定的な一契機が抜け落ちていると思われる。少女らが袖村に語ったネオおろちとは、例の川延雅志を苛立たせた「ニセ怪尻ゾロ」と同一であることが明らかだからである。抜け落ちている契機とはだから、「元祖怪尻ゾロ」川延の暗躍である。ネオおろち系は、怪尻ゾロの模倣ではなく、〈キョーソ〉起源の独自のモチベーションに突き動かされていたという可能性ももちろんあるにせよ、行為の類似性に鑑みると模倣仮説は棄却できず、元祖怪尻ゾロのチーマー退治の現場もしくは痕跡が、ネオおろちの卵たちに目撃されていたという背景があってこそ〈キョーソ〉による教育+失踪がネオおろち系デビューを可能にしたことはどうも明らかであろう。ここに、印南哲治のおろち系養成/布教活動と、川延雅志の怪尻ゾロ/ゲリラ活動との接点――印南系統と川延系統との二重決定作用の接点があり、同時にこれはおろち文化史上超重要なネオおろち系=ニセ怪尻ゾロの誕生を導いた分岐点だったということができよう。(教訓。接点こそ最大の分岐点。)
■ 袖村茂明とネオおろちとの遭遇の時点では、「さわらせ屋」を始めとするソフト売春少女のほぼ九割以上がネオおろちに改宗していたと思われる。また現役女子高生に限らず第三次風俗バイト娘、すなわち自分では体を張らない無形サンドイッチウーマン遊撃系――たいてい二人で組んで、逆ナンパを装って男をつかまえ飲みに行き、盛り上がったところで「私たちの行きつけの店があるんだけど行かない?」とボッタクリバーに誘い込むキャッチガールなど――も、それ系バイトから次々足を洗ってネオおろちに転向しはじめていたという。折々の摘発で営業中断が珍しくないボッタクリ店をスポンサーとすることにはステディなバイトとしてもともと限界があったことに加え、キャッチガールが以前だました会社員に繁華街でふたたび出くわして後をつけられ、殴られたりレイプされたりといった報復を受けた事件が三、四件報告されたため、同じく体を売らずにすみ、後々報復の心配もないネオおろち方式に人気が集まったのだという。
■ 路上脱糞パフォーマンスとは、夕闇迫った路上で不意にしゃがんで脱糞し通行人の反応を隠しカメラで撮るという、ネオダダ時代への憬れ露わなハプニング芸術的二人一組の活動であるが(その最終形態については、相原コージ『コージ苑』第一版「愉快犯」の項に記録されている)、後に怪尻ゾロの噂が金妙塾に伝わった時点で、犯罪との関連を恐れ中止された。このあたりの経緯は、後に刊行される『先駆者・川延雅志伝』(金妙塾出版)に詳述されている。
金妙塾名物とも自称された糞山ゲリラというのは、男または女だけで10人のグループを形成し、駅やデパートのトイレで個室内に二人ずつこもって排便し、水を流さず入れ替わり立ち代り2×5排便を重ねてゆくというだけの迷惑ゲリラである。あくまで芸術活動であって保安上の警戒を呼ぶ必要はなかったので同一トイレでは二度と行なわず、時間を置いてしかも地理的に離れたトイレにおいて計二十回実行した。十人分の糞山で便器から溢れるほどの壮観を実現し後続の利用者を驚かせるにあたっては単なる量的驚愕ではなく体質的驚愕を起こさねば芸術とはなりえず、よってただ一人の超人的体質の人物による孤高排便であるように見せるためになるべく色と組織を一致させる必要があった。虹合宿で体得した色合わせの成果が試されるのだ。トイレの機能が麻痺するか否かにかかわらず純粋ビジュアル面で驚愕を呼び、新聞や雑誌に報道されるほどの傑作を生むことが目標だったが、ついに一度も報道されずに終わった。ただし相当数の人間が個別に驚愕といおうか、人間の腸の生理的可能性に関して故なき認識に打たれたことは事実であり、後のおろち文化の発展に不可視だがいや不可視なればこそ重大な貢献をなしたことは間違いない。
電車内クソゲリラというのは、入塾試験のように電車内という不特定多数空間を重視する金妙塾の枢軸的活動で、満員電車内で初期の頃は放屁、ついで緊急を装って小便失禁や大便失禁をし乗客の反応を撮るという二人一組の活動である(大小便失禁が行なわれはじめたのは放屁ゲリラの実行役が何度か誤ってミをも漏らしてしまうことが重なったからもはや余計な自粛を解除して容易化したということだった)。
その希釈版とも言える放屁ゲリラは、最古参の塾生たる主婦・雨宮祥子六十三歳が、かつての自分の経験を反復再確認したい旨を塾に提案するところから、公式人間観察プログラムとして開始された。雨宮祥子のかつての経験とは、彼女が二十五歳のときのある印象深い体験で、奇しくも遠藤周作のエッセイに記録されている。
A君は毎日、中野駅から東京駅まで出勤するサラリーマンなのですが、寿司づめの国電の中で若い女性に体を押しつけられる時と、スカシ屁を誰かがした時ほど辛いことはないと言っていました。いつだったかA君が汗ダクで国電に乗りこみ、やっとつり皮にぶらさがった時、突然、異様な臭気があたりに漂いだしました。誰かが例のスカシ屁を一発やったんです。A君はその震源地は彼の前に腰かけている妙齢のBGだとすぐにわかったのですが、そのBGは平然とした顔で、平然どころか、いやまるでA君が犯人であるかのような眼つきでじっと彼を見上げているじゃありませんか。「臭いなあ」たまりかねて、車中誰かが叫びました。「ひどい奴だな、この中で屁をするなんて。どいつだ」BGはまだじっとA君を見ている。そしてその唇のあたりに軽蔑的なうす笑いさえ浮べたのです。あんたでしょう。おナラをしたのは。まるでそう言っているようだ。(ボクじゃない)A君は叫びたかった。(ボクじゃない)しかし彼女のいかにも自信ありげな顔をみると、気の弱い彼は、(ボクじゃあ、ないんです。いいえ。ボクかもしれません。ボクでした。申しわけありません)だんだん、そんな心境にさせられてきた。そして自分がスカシ屁の犯人のようにうなだれ、眼を伏せ、東京駅まで苦しみながら乗りつづけた、というのです。「ぼかあ、モスクワ裁判なんかで、被告が自己批判をした気持が、今こそよくわかりました」彼は後になってそう申しておりました。(遠藤周作『ぐうたら人間学 狐狸庵閑話』講談社文庫、p.252~3)
雨宮祥子は金妙塾月例会でこう語っている。「これ私、抗議の手紙送ったんですよ、『宝石』にこれが載ったとき。編集部宛に。遠藤先生のエッセイは楽しみにしてましたものでね、あ、あたしのことだ、とびっくりして、嬉しいやら恥かしいやら、いえ、だから書かれたことに抗議したんじゃありませんよ、別に実名出されたわけじゃありませんものねえ、私は行きずりのBG――懐かしい言葉ですねえ――ですから。解釈なんですよ、不満だったのは。あれっと思って。違うんですよ、全然。事実はこのとおりですけどね、たしかに私が満員の国電の中でオナラをしてね、で前に立ってるサラリーマンと目が合って、悟られちゃったみたいだったんで開き直ってじいっと見つめて笑いかけたことは事実なんですけどね、あの男がこんなふうに受け取っていたなんてねえ。いえ、このA君なるサラリーマンに関しては、勘違いもいいでしょう、でもそれを本人から聞いて記録する遠藤先生は小説家ですからねえ、真実を解釈してくださらないことには。A君と同じ勘違いをそのまま記録されたのでは……小熊さんなら、小説家でいらっしゃるから本当の解釈はおわかりですよねえ」
デビューして間もない小説家小熊誠子三十歳が応えて「もちろん。現代の小説家にとってはこのシチュエーションの解釈は初歩レベルですね。狐狸庵御大とはいえ当時ではねえ。雨宮さんは、決して罪をなすりつけようとか、軽蔑しようとかしたんじゃないんでしょう。わかりますわかります。どぉお、いい匂いでしょう、嬉しい? うれしい? う・れ・し・い? って目でお尋ねになったんでしょう、そのサラリーマンに」
「そうですよもちろん。私は全然しらばっくれてなんていなかったんですよ、ただ一人気づいたらしいそのサラリーマンに、そう、あたしがやっちゃった、嗅げてうれしいでしょー、うれしいっておっしゃい、うふふふふって」
「雨宮さんはおきれいですもんねえ、二十五歳のときってったらさぞかし」
「てっきりそのサラリーマンも車内偶然フェチプレイを楽しんでたものとばっかり……、それがこんな勘違いだったなんて、ショック……」
「なるほど」と他の面々も「軽蔑だとか濡れ衣だとかそういう突っ放した対立的なことじゃなくて、心理プレイというせっかくの包容的・融合的なコンセプトだったんですね。行きずり放屁SM、なんてしかしその頃の一般の人には、いや遠藤周作レベルの文豪でもちょっと洞察できなかったのかも……」
「いや、だけど雨宮さんは当時すでに理解しておられたんだから」
「いつでも文学者より一般人の方が感性は進んでるんです、文学者はせっせと追いつかなきゃならん定めなんです」
「皮肉なことに、そのタイムラグの分が文学的価値なんて言われたりするんですね」
「一般人が簡単に理解できることが理解できない鈍さゆえに、文学者はシャカリキに書いて安定を保たにゃならんのです」
「遠藤先生は私のこの、というよりA君のこのエピソードを『語るにたる〝気の弱い奴〟』という表題で紹介されてるんですけど、このA君てサラリーマンは「気の弱い奴」じゃなくって単なる「鈍い奴」ですよ。私があんなにうれしい? って以心伝心波を送ったというのに……」
「いや、そういう行きずりオナラフェチの機微なんてのは、やっぱ高度成長期の通勤途上にある一市民にわかれといっても無理ですよ……」
「でも私が当時同棲していた彼氏は」と雨宮がうっとり夢見る眼つきで「オナラプレイが大好きで。だけどそうそうオナラって出せないでしょ。いつもベッドの中じゃ私のお尻の真ん中にじっと鼻をうずめて待ってるのが、それ自体が、オナラ出ても出なくても楽しみみたいでした。三十分でも一時間でも、そのうちその格好のまま二人とも眠り込んじゃったりして、翌朝まで彼が私のお尻に顔埋めっぱなしなんてことが何度かありましたっけ。私ほかの男は知りませんでしたしだから殿方のお尻的感受性ってのはほんの目交ぜでわかりあえるものとばっかり……、その思い込みがこともあろうに遠藤先生のエッセイで裏切られるなんて。大ショックでした。で『宝石』編集部気付で遠藤先生に解釈を改めるよう手紙を出したんですけど反応はありませんでした。訂正も載らなかったし」
「いや、私は遠藤先生を尊敬しとりますからね。先生がわかってなかったはずはありません。ちょっと読者には難しすぎると判断されたんでしょうねえ……後ろ下ネタの好きな先生だったけど……」
「そういう迎合的姿勢? それだと逆に、遠藤先生は大衆作家にすぎなかったと認めることになりますよ。いかにエッセイとはいえ、です」
「でね、そのオナラマニアの彼氏って実は後の主人なんですけど。おととし膵臓癌で逝きましたけど、あの頃はねえ……、いえ、だからそう、今ならあの時のシチュエーションを再現して、目の前のサラリーマンを悪戯っぽく見上げてやれば、きっと車内オナラプレイが実現すると思うんですよね……」
(第12回 了)
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■ 三浦俊彦さんの本 ■
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■