批評や創作の現場で、言葉にひそむ真理と物語構造を解き明かしてきた小原眞紀子。単に物語を楽しむ読者とは違う「創作者ならではの読み」を提示し、表現のヒントをひもとく。取り上げるのは、まさに創作の副読本(サブテキスト)となる古今東西の作品。必ずしも名作ばかりではないかもしれない、だからこその書き手を刺激する厳選レビュー。ページをめくり、創作のヒントを掴もう。あなたの物語に、新たな発想のスパイスを添えて。
by 金魚屋編集部
これはあまりにも有名な一冊、サン=テグジュペリの『星の王子さま』。ただし、これを書くにあたって、ちょっと気落ちすることがあった。最近、今の子どもたちにとっては『星の王子さま』はもはや必読書でも何でもなく、そもそも本棚という家具自体を持たない家庭もめずらしくないと聞いた。にわかには信じがたいが、住宅事情や読書の形の変化——電子書籍や動画配信サービスが子どもの時間の多くを占めるようになった現状——を思えば、あながち誇張でもないのだろう。かつては誰もが子ども時代に一度は手渡された、という定番の通過儀礼のような立ち位置にあった本が、今やそうした共有の基盤そのものを失いつつある。
しかし、我々は創作者である。あらゆるものからあらゆることを吸収する立場にある以上、こうした変化にかまってはいられない。この本が置かれている今の状況そのものも含めて読み解いていくべきだろう。一冊の本がその価値を保ったまま、しかし「必須」でなくなったという事実もまた、創作者にとって考察の対象になり得る。
サハラ砂漠に不時着した飛行士である「私」は、そこで小さな星からやってきた王子さまと出会う。王子さまは自分の星に残してきた一輪のバラのこと、そして地球にたどり着くまでに訪れたいくつもの奇妙な星と、そこに暮らす大人たちの姿を語る。数字ばかりを気にする実業家、権威にこだわる王様、酒を飲むことを恥じて酒を飲む酔っ払い——それぞれの星で王子さまが出会う大人たちは、いずれも何かに囚われている。地球にたどり着いた王子さまは、キツネとの出会いを通して「なつく」ということの意味を知る。キツネは、自分を手なずけてくれと王子さまに頼み、時間をかけて関係を築くことの大切さを教える。「大切なものは目に見えない」という、この物語で最も知られた一節も、この場面から生まれる。そして最後、王子さまはやがて自分の星とバラのもとへ帰るため、蛇に身を委ねて姿を消す。
マンディアルグとサン=テグジュペリは、ほぼ同年代のフランス人作家だ。今回は偶然そうなったけれど、思い返してみると、創作者として大きな影響を受けた本、資するところが多かった本には、フランス文学が多い。もっとも今や大学にはフランス文学科がほとんど残っていない。フランス文化というものが、かつてのような最高水準のものではなくなってきている、ということなのかもしれないが、それはまた別の話としておこう。
『星の王子さま』が与える最大のものは、やはり物語とは空間のものである、ということだ。よく考えてみれば、王子さまは宇宙からやってきた存在であり、その移動距離は、あらゆる物語の主人公の中でも最大級ではないか。地球という星ひとつの中で移動する物語がほとんどである中で、この作品の主人公は複数の星々を渡り歩いた末に地球へたどり着いている。これは今、この原稿を書きながらふと思った、つまり思いつきに過ぎないが、もしこれこそが、この作品が今なお傑作として世に残り続けている理由の核心だとしたら、ちょっと驚くべきことかもしれない(笑)。

もちろん、この空間移動のスケールの大きさは、そのまま内容のスケールの大きさに直結している。そうでなければ意味がない。俗世の損得や善悪から遠く離れた物語であるがゆえに、子どもはおろか親にも理解しづらい、という向きもあるだろう。「何かが学べる」、「役に立つ」ということがなければ子どもに本を買い与えるのは無駄だ、と考える人たちは、今にかぎらず昔から一定数いたのだと思う。それは一種の貧しさだとも思うが、人それぞれの価値観であるから、これ以上は言うまい。
今あらためて手に取って眺めてみると、『星の王子さま』が特別なのは、そこに描かれた絵の存在の大きさである。サン=テグジュペリ自身の手による、あの素朴なペン画は、単なる添え物ではない。たいていの物語の挿絵、あるいは絵そのものが最大のアピールポイントである絵本ですら、物語の内容とビジュアルとがここまで有機的に結びついている例は、なかなか見当たらないのではないか。どちらが欠けても成立しないというその強度は、物語に後から挿絵を付け足すという行為とはまったく別の水準にある。
それは、よくできた絵本、というようなものではない。物語にとって「空間」とは何かということを、非常に深いところで示唆している。これこそ創作者が今、気づかねばならないことだ。そのような有機的な構造、存在そのものを提示すること。そこには意味的な良し悪しやメッセージを無化し、相対化し、他でもない宇宙の塵芥のように吹き飛ばしてしまう力がある。子どもを育てることを一種の損得として考える親にとっては、それはむしろ危険なものに見えるかもしれないが。
『星の王子さま』は映画化されたり、専門のミュージアムができたりと、ビジュアルを前面に押し出す施設やサービスがよく知られている。だがサン=テグジュペリが描いたあのシンプルなペン画が宇宙の広がりそのものを感じさせる、その感性は、むしろこうした過剰な演出によって損なわれつつあるような気がする。まあ、それも言っても仕方ないことではあるのだが。
本棚から一冊の絵本が消えていくことよりも、この空間の広がりを感じ取る感性そのものが消えていくことのほうが、創作者としてはよほど恐れるべきだろう。今の子どもたちの本棚に『星の王子さま』があろうがなかろうが、この作品が示した「物語とは空間の運動である」という原理そのものは消えることなく、次の創作者の手の中でかたちを変えて生き続けていく。
小原眞紀子
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