
「人物特集 生誕一〇〇年 前登志夫を再び読むために」が組まれている。巻頭の日高堯子さんの論考「人の亡びを星星かたる」を読んで「ああ」と思ってしまった。
銀河系そらのまほらを堕ちつづく夏の雫とわれはなりてむ
『樹下集』
永遠の非時間のそら鳴きわたるほととぎす見ゆ銀河に映えて
『靑童子』
つばらかに日暮をゆけよのちの世は人の亡びを星星かたる
『野生の聲』
究極の歌のこころか大空の星のひかりに燃えつくるわれ
同
われはいま静かなる沼きさらぎの星のひかりを吉野へひきて
同
かつてわたしは、山の中腹に、空に向かって築かれた前登志夫一族のみが眠る墓地を訪れ、そこが宇宙と交信する基地であるように感じた記憶がある。山人としての歌人が、銀河系の中で燃え尽きる光景を、墓地からの眺めとして見ていたようである。あらためて振り返ってみても、前登志夫の歌には今を生きるヒントなどという単純な言葉は一つとしてない。あるのは、歴史の堆積に耐えて生きるという厳しい方位のみである。そしてその方位がもたらす寂寥とかぎりない優しさである。
日高堯子 論考 前登志夫論「人の亡びを星星かたる」
日高さんには優れた前登志夫論『山上のコスモロジー』などがある。前登志夫短歌は高度に観念的で完成度が高い。ただ改めて引用されている歌を読んで「前衛短歌の時代は終わったんだな」とつくづく思ってしまった。前登志夫短歌は短歌文学の大事な遺産である。しかし今現在このような歌を規範とすることはできないだろう。「二〇世紀前衛は遠くなりにけり」が実感として迫って来た。
現代から未来へ続くだろう短歌の実質的基本書法は俵万智さん『サラダ記念日』(昭和六十二年[一九八七年])と穂村弘さん『シンジケート』(平成二年[一九九〇年])の口語短歌である。彼らの口語短歌が揺るぎない現代短歌の表現パラダイムになっている。しかし三十年以上が経過している。当初口語が持っていた可能性は試し尽くされすでに文語か口語かは大きな問題ではない。むしろ過度に口語にこだわることがハイリスクになっている。
ニューウェーブ短歌は口語だけでなくおおむね現在形の書法へと進んだ。この方向は短歌の絶対基盤である〈私性〉、つまり私はこう思うこう感じるの自我意識表現を相対化する方法としてあった。過去の日本語である文語も文法的過去形も排した口語現在形を使えば決定的私性は表現されない。というか表現できない。それは当初新しい可能性の一つだった。しかしこの書法は究極的には短歌が非―自我意識文学になることを求める。それは不可能である。
叙景であれ心象であれ〈私〉の決定的表現を避ければ当然歌の修辞は複雑になる。決して行き着けないゴールを目指す言語表現が奇妙な形で歪んでゆくのだ。ただ現代詩のような超難解な表現にはなっていない。たいていは疑問やはぐらかし、微かな詠嘆、多義的な物や風景に私性を投影して韜晦する書法がほとんどだ。それは半ば当然で現代詩的書法は前登志夫を始めとする前衛歌人がほぼ試み尽くしている。またかつての前衛歌人が有していたイデアは今ではもう失われている。
橋のある町に住みつき廿代を十一月の陽差に渡らしきたり
存在のかくひそかにも移るとき空ゆくもののうつくしき糞
詩に没頭し、吉野という辺境の地から文芸誌「望郷」を、そして詩誌「詩豹」を出し、中央に発信し続けた純粋な情熱を、いともたやすく掬い取ったのが歌という伝統詩型だったのである。だが、詩を棄て歌に入ることはたやすいことではなく、詩人としての執着や未練はなお引きずっていたことはまちがいないだろう。むしろ、歌人という仮面をかむり、詩人としての残滓を棄てきれず、その素顔を隠し続けてきたのかも知れない。
喜多弘樹 論考 前登志夫論「詩の岩漿」
人間には生まれ持った資質がある。前登志夫は高い歌人の資質を持っていた。ただ前登志夫が最初に出した作品集は詩集『宇宙驛』(昭和三十一年[一九五六年])だった。喜多さんが指摘しておられるように二十代の前登志夫は自由詩に魅了されていた。当時の戦後詩と現代詩の影響を強く受けた詩人だった。
日本には短歌・俳句・自由詩の三つの詩のジャンルがある。このジャンルの敷居は原則超えられない。俳句は非―自我意識文学だが(拙著『正岡子規論』参照)短歌と自由詩は自我意識文学である。しかしその方法が違う。短歌は社会の中での私の感情・思想を表現するが自由詩の私は社会と対立する。戦後詩は作家の強固な自我意識と社会との対立・軋轢を描き現代詩はその逆に自我意識を作品背後に縮退させ、単純なら単純、複雑なら複雑な社会を言語的鏡像として構築した。前登志夫短歌の方法は現代詩に近しい。
夕闇にまぎれて村に近づけば盗賊のごとくわれは華やぐ
暗道のわれの歩みにまつはれる螢ありわれはいかなる河か
岩の上に時計を忘れ來し日より暗綠のその森を怖る
白馬をわれはもたねば罔象女しづまる河に額をひたしつ
鈴つけて山道を行く鳴り出づるひそけき環にて死者とへだたる
弟のかなしみなればひたすらに海に來にけりきさらぎの海
みなかみに筏を組めよましらども藤蔓をもて故郷をくくれ
天の一枝を折りて土に差す靄ふかきかなわれの國原
硝子窗におほみづあをのうすみどりわが書きし手紙すべて死者あて
前登志夫は「吉野の山人(歌人)」と言われるが素直に吉野を詠んだ歌は少ない。吉野という土地を超えて日本文化の源泉探求へと向かう高度に観念的な歌が代表歌である。非常にこなれた表現なのでその日本文化探求は短歌独自のものだと思われがちだ。しかし前登志夫の方法の根幹は現代詩由来のものである。
前衛短歌の時代に自由詩の詩人たちが魅了されたのは前登志夫よりも塚本邦雄や岡井隆だった。塚本や岡井も現代詩の思想・手法を取り入れたが非常に性急だった。荒ぶる私の日本文化探求であり同時代の日本社会への異和を鋭く表現した。技術的に言えば塚本・岡井の戦後詩・現代詩的方法の方が未熟で乱暴だった。短歌的な強烈な自我意識と荒削りな現代詩的方法が自由詩の詩人たちを魅了したわけだ。
前登志夫は現代詩的方法を正確に理解している。代表歌は日本文化の鏡像としてスラリと成立している。では現代詩のように作家の自我意識が作品背後に縮退しているのかと言えばそうではない。
夜の庭の木斛の木に啼くよだか闇蒼くしてわたくし見えず
作品を日本文化の鏡像として構築すれば「わたくし見えず」になる。しかし見えないのであって消え去るわけではない。純写生ではなく自我意識表現を取る限り短歌ではそれが限界である。
前衛表現を言えばポスト口語短歌歌人たちは口語現在形のニューウェーブ短歌を見切り、伝統的自我意識表現に回帰しながら新たな修辞を模索し始めている。ただその中に短歌的自我意識の希薄化(消滅ではない)が含まれているのも確かである。高度情報化社会の歌人は伝統短歌はもちろん前衛短歌のような強烈な自我意識を持ちようがない。変容した自我意識はどう表現されるべきなのか。反転のヒントは非常に高い完成度を示した前登志夫短歌にあるようなわずかなホツレにあるかもしれない。
鶴山裕司
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