小原眞紀子『文学金魚らじお Web3.0時代のコミュニティ(26)文芸ジャーナリズムの再教育!?』をアップしましたぁ。今回はズバリ、「文学界のコンセンサスはどこへ消えたのか」問題です。
耳が痛い人、多いんじゃないかな。前回の「文学金魚研究室」の開設告知から続く流れで、今回小原さんが切り込んでいるのは「仲間の中だけで磨き合ってると、いつの間にか井の中の蛙になっているよ」という話。俳句も短歌も小説も、身内で鍛え合うのは大事。だけどその仲間内の常識が全世界の真理だと思い始めたら、もうアウト。しかもその「わかってるつもり」が厄介なのは、本人がまったく気づいていないことなんですよね。
で、小原さんが持ち出すのが「出版はコミュニティビジネスだ」という視点。地図には載らないけれど、書き手も読者もなんとなく関わっているあの空間全体が一種のコミュニティで、そこが盛り上がるにはそれなりのコンセンサスが要る。国会の議論が的外れで批判されているのと同じで(笑)、レベルが揃っていないと有益な議論にならない、コミュニティ全体が育っていかない。今の文学・出版界はまさにそのコンセンサスが地に落ちている、と。
その元凶として名指しされるのが「ボクちゃん・ワタシちゃん主義」。自分が目立てばそれでいい、いいねをくれるお友達が集まってくれればそれでいい——ネット時代はそれが「通る」ように見えてしまうから始末が悪い。文学の名前を借りてエゴを満たしているだけ、というのはやっぱり虚しいし、そのツケが業界全体のシュリンクとして返ってきている、と小原さんは言います。
谷川俊太郎「私はエゴではなくセルフのものだ」という言葉、西村賢太などの私小説論から、これは単なるマナー論じゃないぞと気づかされます。エゴの肥大化を自覚しながら極限まで突き詰めた作家は残る。中途半端に「心地よい範囲」でやっている人は——0点。60点じゃなく。そのくらいシビアな話。
「怖いと思える感性」「これはやばいと気づけるセンス」、それこそが社会性の根っこ。漫然と長くやっているだけでは身につかない。「文学金魚研究室」でやろうとしているのは、そういうことをピシッと言える、言ってもらえる環境を作ることなんです。教えてもらわないとわからないことって、やっぱりあるんですよね。
さて、あなたの周辺の「ボクちゃん・ワタシちゃん度」はどのくらいですか?(笑)
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