「モーツァルトとは〈声〉の音楽である」――その声をどう人間の耳は聞き取ってきたのか。その本来的には言語化不能な響きを、人間はどのように言語で、批評で表現して来たのか。日本の現代批評の祖でありモーツアルト批評の嚆矢でもある小林秀雄とモーツアルトを巡る、金魚屋新人賞受賞作家の魂の批評第四弾!
by 金魚屋編集部
十.
私の知りうる限り、この曲にするどくかつ正確に反応した先人は小林秀雄以外、寡聞にして一人しか知らない。本年三月に急逝した仏文学者の古屋健三である。古屋は「近代小説におけるモーツァルト的なもの」(『モーツァルト』没後200年記念出版〔3〕『モーツァルトの音と言葉』、海老沢敏、佐々木健一、柴田南雄、鷲見洋一編、岩波書店)という論考で、「近代という時代のなかで、モーツァルトがどのように鳴っているのかと考えるとき、真先に思い浮ぶ」ものとして、かの『ゴッホの手紙』の一節を掲げてから、こう述べる。
このように、近代においては、モーツァルトの音楽はまるで自然のなかから湧き出たように聞えてくるのだと言っていいと思う。それは人の手になる芸術作品というより、自然が生み出す音楽のように聞えてくる。音楽が鳴るにつれ、雨あがりの、緑したたる半島といった、ひとつの具体的な風景がくり拡げられていくのである。モーツァルトは描写音楽を目指していたわけではなく、書簡をみても自然には関心がないのに、なぜその音楽は聞き手の心に風景を喚起するのだろうか。
(同)
古屋はこの後、あの道頓堀のト短調シンフォニー体験を引用し、「ここでもモーツァルトの音楽はレコードから聞えるのではなく、いわば宿命の呼び声として鳴っている」という。そして「モーツァルトは近代の始めから風景のなかで鳴っていた」と続け、その具体例をスタンダールの小説『赤と黒』から挙げる。それはデルヴィル夫人がレナール家の庭からの眺めに感嘆して、「私にはまるでモーツァルトの音楽のようですわ」と語る場面である。
彼女は、やがて親友(引用者注・レナール夫人のこと。主人公ジュリアン・ソレルの愛人となる)の身に襲いかかる恋の嵐を予感したので、その重い宿命に慄然としたと言っても言い過ぎではないだろう。彼女は小林秀雄ほど意識家ではないから、明確に言語化してはいないが、小林と同じ怯えを味わったはずである。
こうみてくると、モーツァルトが聞えてくる風景とは宿命が露わになった、魂がみえてくる、きびしい風景であって、それはロマン主義の甘美で、感傷的な風景と似ているようでいて、本質的に異なる。
(同)
古屋が批判する「ロマン主義」の自然や風景とは、ひとによって囲い込まれ飼いならされた自然であり、作りこまれたヨーロッパの庭の風景である。モーツァルトやスタンダールや小林秀雄が対峙した自然の中には、人間がどうしようと囲うことも飼いならすこともできないものがある。セーレン・キルケゴールがその著『あれか、これか』で『ドン・ジョヴァンニ』に見出した欲望とエロスもそのひとつだが、ドイツの音楽批評家・アルフレート・ホイスはモーツァルトの音楽の根底にあるものをゲーテのひそみに倣って「デモーニッシュ」なものと呼んだ。
モーツァルトのパトス的天性をとくによく示していると思われる特徴は、まったく思ってもみないところ、本当なら少しもふさわしくないと感じられるところに、この上なく深いパトスに満たされた箇所があらわれることである。これこそ、「デモーニッシュなもの」という概念のひとつの要件である。唐突なもの、計算できぬもの、悟性によって間接的にコントロールし得ぬものが、その主な特徴であるからだ。
(アルフレート・ホイス「モーツァルトの作品におけるデモーニッシュな要素」一九〇六年、磯山雅訳、『モーツァルト探究』中央公論社)
誤解しているひとはいまだにいるが、ホイスが言及しているのは、モーツァルトのパッショネートな短調作品についてのみではない。むしろロココ風で優美で社交的なしらべの中にさえ突発的にあらわれる暗鬱で不気味なもの、それによって曲全体のバランスと均衡が崩れついには混沌に陥りかねない要素を、人知では統御のおよばない力の介入ととらえ、これを「デモーニッシュ」と呼んだのである。
古屋はそこに「宿命」をみた。
ジュリアンが自然と向き合うとき、『罪と罰』のラスコーリニコフがネヴァ河をみつめるとき、かれらの自我は風景を鏡として、己の宿命と対しているといえる。そして、そのときモーツァルトの音楽が鳴っているのである。
(同)
自然とはこのとき、たんなる心象風景を越えて不可知の闇がいっさいを呑み込もうとする自己運動である。モーツァルトも自然もその闇において、闇の自己運動において共振しあう。このとき、おなじ風景を外化された表象として生み落とし、おのれ自身の闇と向き合う聴き手に現前するのである。
*
古屋が「モーツァルトの音楽はまるで自然のなかから湧き出たように聞えてくる」「それは人の手になる芸術作品というより、自然が生み出す音楽のように聞えてくる」と感じた理由はもうひとつある。
かつて私が勤めていた会社の先輩に、文字どおり三度の飯よりクラシック音楽が好きで、仕事も遊びもそっちのけ、週に三日はコンサート会場へ通い、休日は朝から晩まで膨大なレコード・コレクションを目玉が飛び出そうな値段のオーディオ・セットで聴いて過ごし、いつもオタマジャクシで頭を一杯にしているひとがいた。耳の良さはずば抜けていた。一緒にコンサートへ行っても、
「今夜の指揮者ね、×××はオケを掌握しきれてないな。指示がちぐはぐな箇所が四つあった。オケにナメられてるな」
「指揮者とコンマスの息が合ってないんだよ。指揮者じゃなくて、みなコンマスの方を意識している。オケをうまくコントロールしているのはかれだ」
「気づいたかい? あそこで第二ヴァイオリンのひとりがコンマ一秒テンポを外していたろう。集中力が切れたんじゃない。指示がちぐはぐなんだ」
「オーボエが若手に代わったな。冴えていた。今夜の一番の収穫だ」
「ぼくたちのこの席はね、いつも金管の音が少しかぶるんで、今夜のブルックナーはちょっと聴きづらいんだけど勘弁してくれるかな」
そのひとがあるとき二五番のピアノ協奏曲(K五〇三)をポータブル・カセットで聴かせてくれながら言った。
「きみね、モーツァルトという音楽をかなでるのにいちばんたいせつなことって何だと思う? 解釈? ちがう。テクニック? まさか。理念? とんでもない。感情? いちばんまずいのは感情をこめることさ。みなオタマジャクシに書いてあるじゃないか。曲の思いはただオタマジャクシに語らせればいいだけだよ。そんなことより、忘れてはいけない肝心なことがある――呼吸だよ。エドウィン・フィッシャーはね、演奏テクニックではいまどきの音大生にすらかなわないし、古色蒼然として誰も聴こうなんて思わないけれど、こんなに深い感銘を与えるピアニストは他にいない。なぜだかわかる? よく聴いてごらん、かれは弾きながらゆっくりと大きく呼吸しているんだよ、どんなパッセージでもね。ほら。これがモーツァルトの命なんだ。きみも一緒に呼吸してごらん。そう大きく。わかるでしょ」
すべてのいのちが息をするように、この音楽も呼吸している。『西遊記』に登場する仙人の瓢箪みたいに何もかも隔てなく吸い込んでは、体内でふしぎな化学反応を引き起こし、たったいま結晶したばかりの玉を吐き出してみせる。玉に大小の価値のちがいはない。一五番の『ソナチネ』(ハ長調 K五四五)はそれを証しするだろう。よく「初心者向け」と言われるが、とんでもない。ト長調のアンダンテのように小品ながらモーツァルトの曲作りのエッセンスが凝縮された、簡潔にして絶美な作品は他に数えるほどしかない。この曲もいわばひと呼吸で作られている。呼吸する音楽、つまり「自然が生み出す音楽」である。古屋がそう感じたのは、いたって「自然」なことだった。
あの先輩にはかれこれ四〇年近く会っていないが、どうしているだろう。
*
〈声〉のひと、という観点で小林を読むと、見逃してはならないことばが他にも散見される。何よりも意表を突かれたのは、杉本圭司も指摘しているが、昭和二十三年の湯川秀樹との対談である。二〇世紀を二〇世紀たらしめた大きな要因に、相対論と量子論に代表される物理学の発展があったことは周知の通りだが、日本人初のノーベル賞受賞者である湯川秀樹と相手の土俵で話ができる文芸評論家、という小林伝説はかれの死後もしばらく生きていた。
内容はしかし残念なものと言わざるをえない。随所で話が噛み合っていないのである。あたかも特殊相対性理論と対峙したベルグソンが、アインシュタインとの対話でどこか噛み合っていなかったように。次の一箇所を除いて。
湯川 話は少し飛びますけれども、「創元」に書かれたモオツァルト、あれは非常に面白かった。
小林 音楽お好きですか。
湯川 私は音痴で西洋音楽は一向わかりません。別にモオツァルトもベートーベンも鑑賞する力はないのですけれども、ただ私として面白く感じたところはどこにあるかというと、あるいは私が音楽を理解しないでそう思ったのかも知れませんが、とにかく音楽は時間的に発展していくものなんですね。数学とか論理と同じように、一つ出てくればそれから次へと、だんだん時間的に発展していくものでしょう。ところが、モオツァルトがいろいろな名曲を作ったときには、その全体が一度に直感的に出てきているということを詳しくお書きになった。そこが非常に面白いと思う。[中略] そこに新しい発見とか、あるいは創造的なものの本質が窺えるような気がします。
これは科学の世界でもやはり同じだと思いますね。一般に推論といわれるものは時間的な順序がある筈ですが、順序通りに次々に出てくるのではなしに、一ぺんにぱっと出てくるというところが、何ともいえぬ面白いところだと思いますね。
小林 ああ、モオツァルトの書いた手紙のことでしょう。妙な表現ですが、あの人の子供らしい文学的比喩だとも受けとれないところがあるのです。何か恐ろしいものを感ずるのですね。黙示録の止って了った時間というものも本当かも知れんというような感じがあるのですよ。いずれにせよ天才の直覚を合理的に解くことはむずかしい。
(「人間の進歩について」『小林秀雄対談集Ⅱ』、文春文庫)
「黙示録の止って了った時間」。思わずどきっとさせることばである。「止って了った時間」。これは湯川の言うとおり、時間的順序を無視していちどきに生じること、ひらめき、直観の世界を意味するだろう。音楽の世界に限らず、数学者や物理学者が新たな定理や証明や法則を見出すときにたびたび経験されることである。湯川はそこに共感しているのである。
それにしてもなぜ『黙示録』なのか。というのも『黙示録』の中には、時間が止まってしまうというニュアンスの記述はどこにも見当たらないからだ。
杉本圭司は『小林秀雄 最後の音楽会』で、このことばの背景に小林のドストエフスキー体験を読み取っている。『白痴』の主人公ムイシュキン、『悪霊』のキリーロフに直接あるいは間接的に語らせた、あの癲癇者のアウラ体験である。
「いや、未来の永世じゃない。この世の永世です。一つの瞬間がある。その瞬間へ到達すると、時は忽然と止まってしまう。それでもう永世になってしまうのです」
[中略]
「黙示録の中で、一人の天使が、時はもはやなかるべし、と誓っていますがね」
「知っています。あれはまったく非常に正確な言葉です。明晰で的確です。完全な一個の人間が幸福を獲得した場合、時はもはやなくなってしまいます」
(『悪霊』第二篇、米川正夫訳、岩波文庫)
主人公のスタヴローギンがキリーロフにいうその天使は、
もはや時がない。第七の天使がラッパを吹くとき、神の秘められた計画が成就する。
(「ヨハネの黙示録」第一〇章六―七節、『新約聖書』新共同訳、日本聖書協会)
と誓いとともに告げるのだが、少々ニュアンスがちがうようである。それならばむしろ、
小羊が第七の封印を開いた時、天は半時間ほど沈黙に包まれた。
(「ヨハネの黙示録」第八章一節、同)
誰もが固唾をのんで待ち受ける、このおそるべき時なき時のほうがふさわしい。
いずれにせよ、湯川のいう「創造的なものの本質」とドストエフスキーが作中人物に語らせた体験、モーツァルトの〝D調クインテット〟そして、かの偽手紙から小林が感じ取ったものは、根底において異なるものではなかった。それは何か。
ひとは時をつむぐこの世で唯一の存在である。
わたしたちは時に生き、時に呪縛される。
モーツァルトの音楽に聴き入っていると、時とはわたしたちの生のみちゆきのために与えられた壮大なまぼろしではないのか、と思えてならない。世のはじめから、そればかりか時の生まれる前から鳴り続けていたような音楽があるとしたら。それに一心に耳を傾ける者におとずれるのは円寂の時ではない。時の円寂である。波間に弄ばれた漂流者が力尽きて海中へ沈んだいまわの際、これまでに経験したことのない寂けさと平安に包まれるという。ドストエフスキーの「この世の永世」も「幸福」もおそらく紙一重でそんな「いまわの際」にある。「黙示録の止って了った時間」とはそういうことだろう。〈声〉のひと、小林秀雄はそれを「まざまざと見るように」聴き、そしておののいたのだ。
エピローグ
晩春の段葛は相も変わらず鶴岡八幡宮への参拝客で、車道まで溢れ出るほどに賑わっていた。
参道の途中、信号機と横断歩道のあるところで東側に降り、渋滞の列が続く車をかいくぐって清川病院の先から細い路地へと一歩踏み入れる。すると、それまでの喧騒が嘘のように静謐な空間が待ち受けている。狭いところでは人ひとりやっとすれちがえるほどの、石畳と砂利の小径が土竜の巣のようにめぐり、左右のブロック塀や生垣、松林の間からは、蔦の絡みついた壁面からその年季が察せられる、いかにも瀟洒な家並みがかいま見える。ブロック塀の上を二匹の栗鼠が追い駆けっこをしている。
昭和二十三年六月、鶴岡八幡宮の裏山の上、鎌倉の中でも指折りの眺望を誇る通称〝山の家〟に住まって二十七年余、駅に近く平坦で、一杯やって千鳥足で帰っても心配の要らない雪ノ下の立地へ小林が居を転じたのは昭和五十一年一月、七十四歳のことだった。
その小林邸を、友人と私の二人が訪問したのはそれから五年後の昭和五十六年、世を去る二年前だった。
穏やかな日差しに包まれた晩春の昼下がりだった。
まだ真新しいスウェーデン式プレハブ木造のさっぱりした平屋である。
斜め向かいには、吉田秀和夫妻の家があった。ありしころの夫妻の姿を偶々見かけたことがあるが、小林夫妻は一度もなかった。
おなじ大学の同期生だったこの友人は小林を敬うことひとかたならぬものがあった。かれが何よりも大切にしていたバッハのレコードを、どうしても聴いて貰いたい、それも直接会って渡したいと言ってきかず、案内人を私が請け負ったのだった。
それは晩年を迎えたアルベルト・シュバイツァー博士(1875-1965)が弾くドイツの教会でのパイプオルガンの演奏で、コラール前奏曲が七曲、プレリュード、幻想曲あるいはトッカータとフーガ、あわせて十数曲を収めた米国オデッセイ盤二枚組のLPレコードだった。バッハの研究者としても著名だが、オルガニストとしての盛名は日本ではほとんど知られていない。
おどろくべき演奏である。EMIの国内盤にも二曲ばかり入っていたが、おなじ演奏と思えないほど音質がちがうので、その真価に気づいた者は誰もいないだろう(後年リマスターCD盤がコロムビアから出たが、二〇二五年七月時点で入手困難)。
友人の耳はたしかだった。
十六世紀スペイン、カトリックの聖人として名高い十字架のヨハネの詩に、
愛するかたよ、あなたの目を、そむけてください。
私は飛んでいってしまう……
最後の二連で、
そよ風は吹き
やさしい小夜鳴きどりの声がきこえます。
森とそのうるわしさ
澄んだ静かな夜に
焼きつくして、しかも苦しませない
ほのほが燃えて……。
たれも それを見ませんでした。
アミナダブも姿を見せません。
包囲はとけました。
騎士たちは 水を見て
降りてゆきました。
(『霊の賛歌』東京女子跣足カルメル会訳)
とうたわれている、たぐいなき霊性の歩みを、わけても最後の三行を音で象った奇蹟のような演奏である。演奏というより、祈りそのものである。
誰よりも小林秀雄に聴かせたいという友人の強い思いは、私にはよく理解できた。
とは言えどこの馬の骨とも知れない学生二人、それもアポ無し訪問者などに会うはずもなかったが、それは承知の上だった。それでも玄関の扉を開け、中まで招じ入れてくれた夫人が、
「主人はいま、お昼寝をしておりますので……」
そう言うと、友人は全身コチコチになりながら早口で、
「いえじつは、小林先生に是非聴いて頂きたいレコードがありまして、失礼を顧みず参りました。先生ならきっとこのレコードのすばらしさがお分かりになると思います。どうか先生にお渡し頂けないでしょうか」
甲高くうわずった声でかれがそこまで言うと、返事もきかずレコードをその場に置いてペコリと頭を下げたまま、二人は逃げるように退散した。さっきの路地を駅の方へ向かって歩いていくと、ある屋敷の大きな庭いちめんに、白い絨毯を敷きつめたように射干の花が群れていた。射干の多い鎌倉でもめったにお目にかかれない、みごとな大群落だった。
おそらく、この手の訪問客はすくなくなかったろう。はたしてレコードを聴いてくれたかどうか。反応らしき情報は、その後も得ることができなかった。
「あれさあ」
後日、友人は言った。
「ルオーの〝サラー〟とおなじなんですって、伝えてもらえばよかったかなあ」
友人はしきりに残念がった。
〝サラー〟とはジョルジュ・ルオーが最晩年に描いた油彩画で、かれの最高傑作の一つである。このころの小林は音楽をほとんど聴かなくなっていた。自室にルオーの版画を掛けて、取り替えては眺めていたらしい。
「ミセレーレ」という言葉、キリスト教に関する私の浅薄な知識の片隅にある此の言葉は、驚くべき版画技術が創り出した奥行きの、奥の奥の方で、不思議な音と化して鳴る。独りで机に座っていると、己れの心に面と向う事が多いが、音は、確かに心の奥の奥の方で鳴っているから、聞き損いようはない。
(「ルオーの版画」『小林秀雄全集第十四巻』、新潮社)
仕事に精神を集中して、じいっと考えていると、兄の頭には、音楽がきこえてくるのだという。その音楽をまたじいっときいているうちに、そこから、書こうとすることばなり、表現なり構想なりが、出てきそうになる。なんとかなりそうだ――そういう時に雑音がはいると、それはぷつりときれてしまう。あとでまた仕事にとりかかろうとする時には、なんにもなくなっている。兄はまたいちばんはじめからやりなおさなければならないのである。
(「兄小林秀雄との対話 人生について」高見澤潤子、講談社現代新書)
ニイチェは音楽を愛した。彼ほど音楽を愛した哲学者は他にあるまいと思っていたが、嘗てニイチェの書簡集を読んでいて、「私が骨の髄から音楽家であることは、神様だけが御存じだ」という文句にぶつかり考え込んで了ったことがある。
(「ニイチェ雑感」『作家の顔』、新潮文庫)
私もまた、すっかり考え込んでしまった。そして思った。小林が「骨の髄から音楽家である」ことを、モーツァルトの霊だけは知っていたのだとしたら。
友人の思いはとうに小林のものだったかもしれない。ルオーの画を一心不乱に眺める小林の心の奥の奥では、いつも鳴っていたであろうから――シュバイツァーのかなでるコラール前奏曲が。そうだとすれば、鳴っていたそのコラールには、小林がかつてひたすら聴き入ったモーツァルトの〈声〉もまたそっと入り込んで、かれの中で共鳴(ともな)りを起こしてはいなかっただろうか。だが「空想はあまり遠くまで走ってはよくあるまい(章番号8)」。とは言いながらも「音楽の霊は、己れ以外のものは、何物も表現しないというその本来の性質から、この徹底したエゴティストの奥深い処に食い入っていたと思えてならないのである(同)」。
H.C.ロビンズ・ランドンはイギリスの評論家、ドナルド・ミッチェルの引用と断ってこう述べる。
モーツァルトは時代ごとに変わった見方をされてきているが、それはつまり、いずれの時代も、自分たちが求めるものをモーツァルトの中に発見しているということである。彼の音楽は相手がどんな角度から求めてきたとしても、相手を満足させてしまうことができるのである。彼の芸術的個性は多くの異なった方角からの捉え方を可能にするが(そのうちのあるものは、より偉大な側面であるが)、どの側面もすべて真実なのである。
(『モーツァルト』 石井 宏訳、中公新書)
このことは一般に古典の必要条件であるといってもいいが、なによりモーツァルトにあっては、その音楽的本質に由来するのである。つまり、かれ自身にはおよそ正体というものがないのだ。このことがモーツァルトのおどろくべき「多様性」の意味である。
モーツァルトの〈声〉は聴くひとのふところ深くいつの間にか浸透し、そのひとの存在の最深部へと至り、共鳴りする。たとえ音楽につうじていなくとも、〈声〉に招かれた精神には必ずやその果報がおとずれることだろう。柳田少年や永井均のように。それを「白昼、天空に煌く星たちを視ること」と言っても「ドクドク流れる血」と言ってもいい。またそうでないひとでも「なぜかしらうれしくならずにはいられない」。なぜなら「その共鳴は全世界を満たすから」――これが〝世界音〟である。
おなじ経験を「黙示録の止まって了った時間」とも表現した小林秀雄は生粋の教養人であり、近代人だった。二〇世紀の近代批判の先鋒としての数々の言説をも含めて近代人そのものだった。モーツァルトの〈声〉に呼ばれながらも、自意識のなかで幾重にも武装された論理のことばで対峙しようとしてところどころで空回りし、ほころびを生じた。評論『モオツァルト』が世間的には高い評価を得ながら、残念な作品に終わったのはこのためである。それでも小林が大きく過たずにすんだ理由はほかでもない、音楽がかれの生そのものだったからだ。かれの音楽的生は〈裏声〉によって、正しく応えていたのだった。
萩野篤人
(第06回 最終回 了)
縦書きでもお読みいただけます。左のボタンをクリックしてファイルを表示させてください。
*『モーツァルトの〈声〉、裏声で応えた小林秀雄』は24日にアップされます。
■ 金魚屋 BOOK SHOP ■
■ 金魚屋 BOOK Café ■