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 『スター・トレック』50周年記念特集がある。今更ながら50年という歳月に驚く。1966年当時、他にもSFドラマは制作され、それなりに人気を博していた。『宇宙家族ロビンソン』とか、リアルタイムに知らなくても郷愁を誘うではないか。それと『スター・トレック』との違いは何だったのか。

 

 『スター・トレック』にせよ『スター・ウォーズ』にせよ、それがなんとか現代に届く、その気になれば今でも続編をこしらえることができる、という点がレトロな過去コンテンツとは多少の、しかし決定的な違いをもたらす。もちろん『宇宙家族ロビンソン』の現代版だってできるし、今考えたら結構、面白いような気もするのだけれど、それはかつてのそれをヒントにした別物になるだろう。

 

 つまり最初の器の大きさ、すなわち構えの規模によって、コンテンツの寿命というのはおおかた決まる、ということだ。志とかスケールとかいう言葉を使うと、それ自体に価値を見い出すことになるが、寿命が短い = 悪い、というわけではない。その時代特有の空気感を伝える抒情的な感慨は、短命なコンテンツでしか味わえないし、それらの積み重ねがすなわち時代なのだ、とも言える。

 

 スケールの大きなコンテンツは、ある意味で非情なまでに抒情性を排している。そのエピソードについては抒情的であったとしても、それを相対化する視点を持つ。そうでなければ同じ構えで、次々と時代の流れを作り出してゆくことはできない。単独の年代記は、フィクショナルな各時代への愛惜とその滅びのミルフィーユで構成される。

 

 とはいえ、枠組みだけで中身がすべて入れ替わってしまうことも多い。それがシリーズと言われればそうなのだろうと思うが、実際のところは設定を踏まえた別の物語を読まされているだけ、ということになる。もちろん時代が違えば登場人物が違うのは当然だし、同じ登場人物の外伝ばかりが増えていく、というリゾーム状の作品世界というのは二次創作、三次創作の領域に近い。

 

 我々がひとつの作品世界として認めるのは、まず登場人物のアイデンティティだが、それによって保証されるのは思想の一貫性だ。何を是とし、何を否とするかの価値観が主人公と取り巻く人物たちの価値観として定まることになる。人物が変わるということは、作品を支える価値観が変わる可能性がある、というかたちで読者を脅かす。年代記を繋ぐのがしばしば親子であるのは、この不安を軽減する方途でもある。

 

 しかし、ということは価値観の一貫性が保証されるなら、どんな変化も読者は受け入れる、ということでもある。『スター・トレック』の世界観、現実世界に対する批判的なスタンスが一貫している以上、『スター・トレック』はいつでも、50年を経てもやはり『スター・トレック』だ。

 

 矛盾するようだが、そのような一貫性の保証がない作品ほど、一方で登場人物の入れ替わりを必要とする面もある。入れ替わっても変わらぬものを、むしろ読者の側で見い出すことを期待するかのようだ。確かに作品世界で何十年、百年が過ぎようとも、読者の少なくとも感覚は不変だからである。

水野翼

 

 

 

 

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