No.024_交差する物語_01

 

 

 この間ひょんなことをきっかけにちょっと不思議な悟りの瞬間を体験した。文京シビックホールでコンサートを見に行ったある日の昼頃だった。開演20分前に会場に着き、昼ご飯を食べる時間がないが、コーヒーくらいは飲もうかと思って、地下鉄の駅構内にある販売機へ向かった。小銭を入れて、いくつかの種類の飲み物からとにかく温かいものを選んでから、ボタンを押した。音を立てて落ちてきた缶コーヒーを拾うためにかがんだ。悟りの瞬間はそのすぐ後だった。

 

 悴む手が温かい缶に触れた時、何とも言えないありがたさを感じた。飲み物を温めた状態で販売してくれる機械があるのは、なんという贅沢だろう。寒い季節にコンビニや自動販売機で温かい飲み物が買えるのは当たり前になっているが、それは当たり前のことではないと感じた。温かい飲み物が選べるのも、それを買うためのお金を持つのも、そもそも待ち時間をつぶすために「コーヒーでも飲もう」ということを考え出すのも、当たり前ではないのである。このような贅沢は平和な場所にしかないものだ。突然、私は平和な国に暮らしていると認識した。

 

 平和は当たり前ではないと思いついたその瞬間にものの見方が反転し、自分の周りをネガフィルムのように見ている感覚になった。買ったばかりの缶コーヒーで両手を温めながらシビックホールのロビーに戻って、晴れ着を着てコンサートを見に来ていた人たちの安らかな顔を見ながら、なぜか突然、平和ではない国のことが思い浮かんだ。ここ数ヶ月ニュースで聞いた、激しい内乱が続くシリアから数万人の人が地中海を渡ってヨーロッパ大陸へ避難しようとしていることを思い出した。それぞれの目的を持ってあらゆる集団が争う中、一般市民は自分たちの故郷がもう住めない場所だと判断し、命がけの旅に挑んで知らない場所へ向かう他は選択肢がないという状況は、騒乱に引き裂かれた国の悲惨な状態を語っている。

 

 一方、史上最大の難民危機に直面したヨーロッパの国々は焦って入国制度や難民申請に関する規制を強化したそうだ。ヨーロッパ大陸の沿岸近くで難民船が難破した時、EUの諸国が目をつむって乗客を助けようとしなかったことによって、幾世紀にもわたって築き上げられてきた人本主義的な価値を中心とした文化は完全に無効になってしまった。EUにおける人権政策は論理的には抜群だが、事実上の危機的状況に立ち向かわされると、建前の価値観は頼りにならない。先月の同時多発テロ事件がさらなる不安を引き起こし、人間同士を信頼できなくなったヨーロッパの社会体制は試されているような現状にある。

 

 世界中で惨事や災害が起こっているが、今特にヨーロッパ周辺に注目していることには二つの理由がある。一つはもちろん自分がヨーロッパに生まれ育ったことで、「欧州連合」という展開中のプロジェクトを内外から見てきたからである。「EU」は数十年間の努力を背景にして、ヨーロッパ各国が知恵と人材と資本をかけて立ち上げてきた企画なのだが、その連合の意義が期待されている肝心な時に失敗を繰り返しているのは痛ましい。

 

 もう一つの理由は、シリア出身の知人がいる。友達と呼べるほど近い関係ではないが、シリア騒乱や難民危機に関するニュースを目にするたびに、何回かしか話していないあの人の言葉がいつもよりも鮮やかに思い浮かんでくるのである。出会ったのはドイツに留学していた頃だ。自分と同じ学生寮に住んでいた彼は電気工学研究科の博士過程3年生で、他の寮生に比べていつも忙しそうで、あまりしゃべらない人だった。大学院に進むかどうかについて悩んでいた頃、彼に一度相談してみたら、とても丁寧に大学院の制度について説明してくれた。専攻を日本文学にしようと思っていると言い出した時、日本文学を勉強したいなら日本に行けばいいと、きっぱりそう言ってくれたたった一人の人だった。その正直さにとても驚いた覚えがある。回りくどい話しをする時間がないような人間だと気が付き、自分も口調を改め、気になっていたことを直接聞いてみた。大学院修了後はどうするのかという私の質問に、ドイツで就職して、少し安定してから家族全員をドイツへ連れてくると彼が答えた。私たちがこの話しをしていたのは2009年の冬で、シリア騒乱の発生が正式的に認められる前のことだが、あの時からすでにシリアはもう安全な場所ではないということが知られていた。

 

 紛争が止まない中、ずっと住んできた町を逃れることしか選べない人たちが隣の国へ、または海を渡ってヨーロッパ大陸へ避難してから、無人で廃墟になった町や村の様子を想像してみた。暴力が振るわれる地域の空は暗くて、煙に覆われているイメージが最初に思い浮かぶのだが、空は世界中のどこでも同じ色で、地上で起こっている悲惨を反映しない。永遠なる全てのものらしく、人々が互いに振る舞う暴力に対しても、人々の苦しみに対しても空は全く無関心で残酷なのだ。

 

 世界中の悲惨なことについての報道が流れる時、誰しも自分には何ができるかと自問自答する。自分の置かれた場所で精いっぱい自分の仕事をするほかは何もできないのではないか、ときっとみんな考えているだろう。ものづくりから形のないものまで、新しいものを創るのは最も人間らしい行為で、平和に暮らしているかぎり、どんどん新しいものを生み出すことに取り組むしかない。どこかで暴力と死がばらまかれるその勢いの、せめて倍くらいの意欲で別の場所で人が新しいものを創造すれば、人間が人間でいられる希望はまだあるだろう。

 

 こう思っているうちに、いつの間にか周りに増えていた人たちの往来に視線を奪われ、思考回路が途切れた。互いに笑顔で話し合っている人たちを見て、ここは平和だと改めて確信した。一瞬当たり前のことではなくなった平和に感謝しながら、これから聴きに行く演奏に期待を抱く晴れ姿の人混みに加わって、コンサート会場へ向かった。

ラモーナ ツァラヌ

 

 

 

 

シリア紛争史 山崎雅弘 戦史ノート シリアで何が起きているのか

 

 

 

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