この間、ちょっと仕事でマーケッターの人とZoomで打ち合わせしたら「このところスピリチュアル関係の商品がやたら出ててさー」って言うんだよね。え、今更?って思ったんだけど、シャレになんないんだって、そのブームってのが。「精神性を求めるようになるってのは悪いことじゃないと思うんだけどさ。どうも売れてるものを見てると、最近、人間が頭悪くなってんじゃないかって不安になるよね」だってさ笑。
その人は投資とかダイエットとか、まぁ世の中の人がフツーに欲望するものを商品に仕立てて、その心をさらに刺激するみたいなコピーライティングをして、っていうやつの超絶プロなんだけど。そんで最後に、りょんさんがちょっとそれをキレイにするって仕事なわけよ。で、近頃は引きがあるのが、スピリチュアル系の石とか占いとか、悩みを解消する書籍とか、そーゆーのばっかり続いてるんだって。
そのうちりょんさんにも、そういうやつのウェブサイトをデザインしろって来るんだろうね。まぁデザイナーにとっては中身が何であろうとあんま仕事はかわんないから、別にいいんだけど。だけど、なんでスピリチュアルになってんだろうなぁ、ってのはちょっと考えちゃったんだよね。もちろん昔から星占いはどこの雑誌の巻末にも載ってたし、その隣りの印刷の悪いカラーページではラッキーグッズを売ってたりしてた。「お客様の声」は恋愛がらみが多かったけど、たしかに相手のあることは自分の思い通りにならなくて神頼みしかないかもね。その神頼みってのもいろいろあってさー。大統領からそこらの社長から、いろいろあるわけよ。それなりに。
スピリチュアルと似て非なるもので陰謀論っていうのがあるけど。この陰謀論っていうのは、自分とは違う世界に住む、すごく力があってすごく腹黒いものが存在するって前提だよね。で、その陰謀の主体に政治家とかが名指しされることが多いんだけど、やっぱりそれって現実とずれてる。政治家だって、松田聖子ちゃんが言ったのと同じで、普通の人間なんだよね。ま、意外と普通というか、だけど中心にいるとやたらといろんな情報がもたらされて、その情報を持ってきた人の立場からすると、それぞれ一理あるわけだ。
こないだ高橋洋一さんだったかな、「首相になるような人、トップに立つような人って、やっぱりそんな意地悪な人っていない」ってYouTubeで言ってたけど、そうだと思う。そうすると最初から人を疑うなんてことはできなくて、ただ情報が多すぎて迷っちゃったとき、最後に占いに頼るっていうのは、わからんことないよ。で、もしかしてすごーくお高いレベルの占い師を、その政治家が自腹切って頼んでるってことになると、怪しいとか情けないとかよりも、そのぶん国のことでマジ真剣に悩んでるんだな、とか思っちゃう笑
社会に打って出る前の男の人、若い経営者とかで、座敷わらしを見ると成功するって言い伝えで有名な旅館に泊まってみたりするよね。そういうの、涙ぐましいっていうか、なんか心が揺さぶられるな。見たのは錯覚かもしれないけど、錯覚でもいいからとにかく座敷わらしを見たいって、一心に願っているような人は、結果として成功することが多いんじゃないかな。そういうふうに思いたい。
それと反対に、こんなこと言ったらまた怒られるかもしれないけど、女性とか若い人の好きそうな、よくあるスピリチュアル系のうんぬんって、あんまり感心しないんだよね。もちろん女性の政治家とか社長さんもいるわけだから、女でくくるのは昨今、問題あるのかもしれないけど、いわゆる女性が好きそうなって、そういうやつね。追い詰められた挙句にそこに至って神を見た、んじゃなくて、自分を甘やかすための口実が多い気がしてさ。スピリチュアルって言いながら、興味があるのは世界でも精神でもなくて、自分自身につまんないメリットがもたらされるかどうかだけだよね。それも天から降ってくればいいなあと思ってる。りょんさんも女だけど、その手の甘ちゃんスピリチュアルってまるで興味ないし、ちょっと正気かなぁって思っちゃう。それはどうしても否めない。
じゃ、りょんさんがそういうのないのかっていうと、きっと端から見てたらあるんだろうけど、自分じゃ気がつかない。つまり自分にとって当たり前、っていうようなことがその人にとっての本質的なスピリチュアルであってさ。他の人から見ると彼岸に行っちゃってるんだけど、自分じゃ確信もって現実の一部だと思ってるのがミソなんだね。これもまた狂気とどう違うのかっていうと、そこも微妙。その微妙さが大事なんだとも思うな。
りょんさんにとっての当たり前で、端から見てるとスピリチュアルに見えるかも、っていうのは、りょんさんの仕事についての徹底的な楽観主義だな。世界のすべてがなるようになるかどうかは知らないけど、自分の仕事はいいように転ぶっていうか、どうせうまくいくと思ってる。大体すべては最初から決まっていて、それは悪いもんじゃないって信じてる。
これって、デザイナーとか文章を書くとか、ものを作る人の特徴だと思うんだよね。ものを作る人は最初にイメージができてて、たとえば彫刻家だったら大きな石を削ってても、まるでそれがその石の中に埋まってただけ、みたいに作り出される。できるものは最初からわかってるっていうか見えてんだよ。その途中の過程でガタガタあったって、たどり着くところは決まってるって思う。そうじゃなかったら、ものなんか作れない。
目に見えないものがはっきり見えていて、信じ込んでるっていうのは、他人から見たらスピリチュアルに見えるかもね。ある意味、確かにスピリチュアルなんでね、目に見えるものっていうのはたいしたことないと思ってるんだから。だけど、どんな仕事のプロだって、その辺の確信をもつようになることってある。さすがプロって思う瞬間て、そういうときだよね。ずっと昔なんだけど、近所のNTTに相談に行ったことがある。なんか電話のことで。それから何ヶ月か経って、また同じ件で相談に行ったら、窓口の人が「あ、〇〇○-〇〇〇〇のお客様ですね」って、顔を見るなりウチの電話番号を言ったの。人のこと電話番号で覚えているわけ。腰抜かしちゃったよ。
そういう特殊能力としか思えないことを発揮するのって、できない人から見たらスピリチュアル的だよね。だけどたぶん、できる人からしたら、ちゃんとした裏付けというか理由があってのことでさ。経験と集中力の賜物なわけよ。経験っていうのは積めば積むほど、究極的にはそれが精神的なものに見えるってこと。だから本当のスピリチュアルっていうのは経験に裏付けられて、別世界が構築されたもんだと思うんだよ。
この時代、スピリチュアルな案件が増えてるっていうのは、だから二つの意味があると思う。時代が本当に行き詰まってるっていうか、どん詰まりになっててさ。そうなるとこれから劇的に新しい展開が起きるに違いない。構造的にそうなるに決まってるし、多くの人がそれを予感している。それこそ経験的な予感なんだけど、なかなか言葉じゃ説明しづらいよね。そしてその予感こそがスピリチュアルに見えるというかね。そーゆー無意識の予感が、本当に新しい展開を作り出すエネルギーになるってことはあると思う。ただ、まだそれが具体的に見えてこないんで、手探りなんで、その表れとしてスピリチュアルに向かってるように見えてるっていうのが一つ。
もう一つは、時代がどん詰まりなわりには、やっぱりなんのかんので便利で気楽な個人生活になっててさ、その中で自分を甘やかすにはもってこいのツールがいっぱいある。そのツールを使って、起こったことを全部正当化したり、自分に都合のいい物語を引っ張って、半径5メートル以内に撒き散らしたり、それをまた自分でも信じ込んだりっていう循環が生まれてるよね。自分で都合のいい解釈をしがちな人が、それに対して自分で責任を取りたくないときに言い出すのが決まって「スピリチュアル」だからね。だから本当にスピリチュアルであるかないかは別として、SNSツールでワンサイドストーリーを発信するにあたって、それの裏付けとしての「スピリチュアル」が、さらに自分を安心させる材料として拡散されてるってのもあるかもね。
まぁでも個々人っていうのはさ、結局のところ何を言っても、自分の信じたいことを信じて生きていくんだよ。興味深いのは、その集積としてのマスがどういう精神性を見い出すかって、そこだけだよね。その時代の精神性が見える人っていうのは、そんなに数多くはないよ。昔、作家がオピニオンリーダーだったっていうのは、そういうことなんだよ。ジャンルはともあれ本当のリーダーっていうのは、そこから生まれるんだろうね。その人がすごくお高い占い師を自腹で雇うかどうかは、また別としてさ。
りょん
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