社会は激変しつつある。2020年に向けて不動産は、通貨は、株価は、雇用はどうなってゆくのか。そして文学は昔も今も、世界の変容を捉えるものだ。文学者だからこそ感知する。現代社会を生きるための人々の営みについて。人のサガを、そのオモシロさもカナシさも露わにするための「投資術」を漲る好奇心で、全身で試みるのだ。
小原眞紀子
第八回 不動産――春は馬車に乗って
今回も不動産、しかしこれは砂上の楼閣、幻の計画である。誰の計画かというとわたしので、誰の所有にかかる話かというと、少子化に悩む大学だ。つまり人様のものについて、あれこれ頼まれもしないのに思いめぐらせたわけだ。しかし、どう考えてもその方がいい気がする。もったいないので書いておきたい。
週に一回、非常勤で授業する大学はいわゆるマンモス大で、神奈川県に広々としたキャンパスがある。端から端まで歩くとへとへとになるくらいだ。最寄駅は「◯◯大学前」だが、これは看板に偽りがある。「◯◯大学徒歩二十分(しかも坂)」とすべきだ。「前」というのは慶応の前の日吉のような駅のことだ。大学誘致と鉄道敷設、すなわち一体の土地開発が行われないと、なかなか真ん前に駅があるというのは難しいだろうが。
少子化は突然起きない。何十年も前からわかっている。大学も予備校も、経営が厳しくなる。そうだろうか? 通りのいい理屈だが、どうしてそうなるのだろう。まず定員割れ。さまざまな学科を擁するマンモス大学では、定員に満たないところも出てくる。が、一方で何倍もの倍率になる学科もある。そこで学部や学科の再編に意味が出てくる。人気のある学科もない学科も実態は紙一重だし、ようは単なるイメージ、見せ方に過ぎないのだから。次に受験者数減による受験料収入減。まあ、これは値上げをすればいいことだ。少子化で合格率が上がっていることだし。結局は一番大きいのは補助金かもしれない。
この場は大学ビジネスについて語るものではないし、そんなノウハウはもとよりないのだけれど、どうやら日々の大学運営より、校舎の新築など大きな出費で融資が下りないことが問題らしい。それで困っているという話を小耳に挟んだ。学費の値上げで、これ以上の負担を学生(の保護者)に求めるのも心苦しく、そのぐらいなら我々の給与を下げても、と考えるのはよき大学人のならいだ。けれどもいかにマンモス大でも、教職員の数など学生に比すれば知れているし、教師はともかく、このところ事務職員の態度が目に見えて不満げだし…。
やはり学生を資源とするしかないのである。2限の始まりや4限の終わり、いわゆるゴールデンアワーには駅から大学までの徒歩20分の道路に学生たちが溢れるようにひしめき合っている。初めての客にも道を教える必要がないくらいだ。これだけの人を集めて、資源が足りないということはあるまい。工夫すれば、汲めども尽きぬ泉となるはずではないか。そう思うくらい学生は校門から湧いて出てくる。
その徒歩20分の角かどには不動産屋があり、大学に近づくにつれて坂にも平地にもアパートが軒を連ねている。定食屋もたくさんある。学生を集める、というのはそういうことなのだ。コンサートや競技場に人が集まるのとはわけが違う。学生は衣食住、生活のすべてをともなってやってきているのだ。この山と町の中間みたいな特徴のない土地に。あるものといえば大学だけだ。
そんなに困ってるなら、学費だけをとっている場合じゃない、とわたしはブツブツ言った。広大なキャンパス、以前はバスまで通っていたという敷地に千人、二千人を収容できるシェアハウスをなぜ作らないのか。春先、新入生がやってくると同時に即時満室になるシェアハウスだ。これ以上に固いビジネスモデルはない。生活を取り込めば、さらにさまざまなニーズも生まれる。
シェアハウスは比較的、最近の不動産ビジネスだ。アパートと違うところは、浴室やキッチンなどの水まわりや食堂、視聴覚ルームが共用スペースとしてあり、それを囲むようにそれぞれの個室がある。寮のようなものだが、発想が違う。寮は基本すべてが共同生活で、個室といっても二人部屋以上も多い。シェアハウスの基本はプライベート空間の個室にある。常時使うわけではない水まわりを共用にし、せっかくの縁でコミュニケーションをとれるスペースも用意する、ということだ。共同生活を強要することはなく、ただ共用スペースを利用するからにはルールはある。もちろんアパートだってゴミ出しや騒音のルールはあるが。
不動産投資家目線でいえば、シェアハウスには大きなメリットと同時に運営の難しさがある。最大のメリットは、水まわりの圧縮だ。設備費・修繕費ともに水まわりが大きな割合を占める。水まわりを一ヶ所にすることによって、シェアハウスの利回りはアパートの比でないほど高くなる。デメリットはルールを守らせる難しさ、共同生活のトラブルや軋轢からの退去者の増加だ。
賃借人目線でいえば、シェアハウスのメリットはまずアパートに比べて賃料が割安なことだ。また水まわりに費用がかからないぶん、シアタールームなどそれ以外の施設が豪華なものもある。女性の場合、一人暮らしよりも安心感があるだろう。ただ、そこでの出会いやコミュニケーションに期待することは、すぐさまそれによるデメリットにも繋がる。どんな集団にも主のように振る舞いたがる者はいて、その顔色を見ながら暮らすのは割に合わない。この点は運営者が最も注意を払い、主人面したがる入居者はうまく退去させなくてはならないが。
つらつら思うに、大学が運営するシェアハウスには、シェアハウスのデメリットというものがほとんど存在しない。正確にいうとデメリットはメリットに紛れ、見えなくなる。学生にとって人間関係の摩擦こそ、学費を払ってでも経験すべきものだからだ。ルールを守り、プライベートと社会との距離感を掴むことは財産になる。そもそも学生一人ひとりにキッチンと浴室なんて、必要ないではないか。そんなものより先に与えるべきものがある。
大学が自ら、学生相手の不動産賃貸業に乗り出すのには前例がある。同じ神奈川県のとある中堅大学で始めたところ、当然のことだが、周辺の大家さんたちがパニックに陥ったそうだ。そこで慌てて売りに出されたアパートを、さらに大学がうんと安く買い叩く、というのはどうだろう。
大学と周辺地域とは仲よくやっていかなくてはならないから、という苦言も聞いた。たしかに中堅大学ならできることでも、地域に多大な影響をおよぼすマンモス大ではかえって憚られる、ということはあるだろう。それでも結局、背に腹はかえられないはずだ。周辺の発展にまで気を配れるのは、まだそれほど困ってない、ということに他ならない。つまり安心していいということだ。
それでも自分たちが集めた学生から、周辺の大家が年間何十万、何百万も吸い上げていることに理不尽は感じないだろうか。安い定食屋が体育会系の学生向けに、大量のホイコーローを供する、というのとは違う。以前、わたしはある不動産コンサルから金町のアパートを紹介された。理科大が来る、という話だった。前回までに書いた理由でアパートへの興味はなくなったが、大学が来るというこの話には、とりわけ危うさをおぼえた。よそ様の事業にのっかれば、すべてそれ次第になる。厚木の奥の森の里というところに一部移転した青山学院大学が、とっとと撤退したのは記憶に新しい。青山から森の里ではギャップがありすぎたのだろうか。
シェアハウスといえば、さらに一般に記憶に新しいのは、例の女性専用シェアハウス「かぼちゃの馬車」だろう。頭金なし、30年間家賃収入を保証(サブリース)の触れ込みで800人ほどの会社員などをビジネスに勧誘した。数億円規模のローンを組ませたオーナーへの賃料支払いが滞り、建築・運営会社が破綻。特に問題なのは、物件価値を過大評価し、不正な融資を行ったスルガ銀行が、当初からほぼグルだったことだ。家賃は保証、物件価値も銀行が保証。おんぶに抱っこで、素人なら誰だって安心だと思うだろう。スルガ銀行はもともと評判のかんばしくないところで、プロの不動産投資家はつなぎ融資には使うが、あまり信用してはいない。今回やったことは、銀行として間違いなくお取り潰しになる、そのぐらいひどいことだ、と著名な株式投資家が言っていた。彼はスルガの空売りで大儲けしたそうだが。
大学前の大家さんたちにとって、客付けの勝負は年一回。春だけだそうだ。空室は春、大学が運んでくる新入生で埋まる。春に埋まらなければ、来年まで空いている。もし大学が移転するか、学内シェアハウス経営に乗り出せば、この世の春も終わる。
小原眞紀子
* 『詩人のための投資術』は毎月月末に更新されます。
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