社会は激変しつつある。2020年に向けて不動産は、通貨は、株価は、雇用はどうなってゆくのか。そして文学は昔も今も、世界の変容を捉えるものだ。文学者だからこそ感知する。現代社会を生きるための人々の営みについて。人のサガを、そのオモシロさもカナシさも露わにするための「投資術」を漲る好奇心で、全身で試みるのだ。
小原眞紀子
第四回 IPO――年忘れソフトバンク祭りⅠ
さて今回は初心者にも馴染みのあるIPOだ。すなわち新規上場の未公開株を証券会社から分けてもらうやつである。上場と同時に何倍もの価格がつくことがあり、人気の銘柄は滅多なことでは手に入らない。銘柄には主幹事、幹事の証券会社があるが、ネット証券会社や証券会社のネット部門だと、厳正なる抽選が建前のことが多い。もっともネット証券会社の最大手SBI証券では、はっきり資金量によって当選率が変わる。一方で、資金のない人たちの楽しみとして、ポイントを貯めてここぞというときに放出し、当選率を上げることもできる。幹事証券会社のリアル店舗では、支店ごとに配分がある。ここでも抽選は抽選だが、裁量がはたらく。すなわち上客やそうなる見込み客に、恩を着せて分け与えるのだ。
分け与えられた新規上場銘柄は、初値で売るのが定石である。何も考えることはない。ところがそれとは別の手法も存在するという。IPOのセカンダリーというやつで、上場直後の激しい値動きを利用する。人気銘柄は初値がついてもさらに上がるから、初値買いをする。新規上場株は普通は空売りできないが、一部の証券会社にはそれができるサービスもあるので、天辺からの急落を狙う。また初日には買いが殺到して値がつかないことがあるが、翌日は条件が厳しくなる(即金で払える資金がある人のみ買える)ので、値がつく。その後の動きを読むとか、同時に上場した他の銘柄からの資金の流れを読むとか。
まあ、端的に言って、このセカンダリーは難しい。IPOになかなか当たらないから出てくる手法なのだと思うけれど、よくよく考えたらそんなにIPOにこだわらなくてもいいんじゃないか。何も考えずに初値で売れるのがIPOのいいところなんだし。
と、思い至ったのは、IPOの塾にちょこっと入った後であった。何でもひと通りはやってみないと気が済まないのだ。12万円のDVDが代引きで送られてきて、宅配のおじさんがびっくらこいていたが、なんのそんなもんIPOに一個当たればお釣りがくるではないか。わたしの投資スタンスはトントン狙い。別に儲からなくてもいい。好奇心が満たされ、経験値が上がればトントンで十分。たまたま儲かった分は全部、新しいことを経験するのに使う。
しかしこの、新しいセカンダリーというやり方…ひどい目に合いました。もういいです、というくらい。難しいです。ものの30分ぐらいで30万円ほどやられました。そりゃそうだよね。新興マザーズ市場とかの、それも上場直後のナイアガラの滝に打たれて覚醒しました。わたしのもうひとつの投資スタンスは、サトリは早く、粘らない。
しかしながらトントンにするのには、わりと粘る。DVDの別の章は「IPOの店頭配分のもらい方」。え。証券会社の上客になるの? それ真っ平、無理だし。が、やらねばならない…。詳しいノウハウは講師の先生に悪くて書けないけれど、わたしはテキストで指示された複数の証券会社の支店へ口座開設に向かった。「これ、このIPOもらわないと困るんですけど」という勢い。しかし独自に工夫したことは、とりあえず優雅に。お金持ちのマダムふうに化粧もちょっと変え、しゃべり方もゆっくりと。間違ってもそこらの、隣りの席の人と同じIPO目的と見破られないよう、まあ年末というシーズンから見え見えなんだけど、あらー偶然だわあ、ついでなんだけど、いいのあるのねー、申し込もうかしらみたいな…。
それで結果として、その年末年始、我が家はIPO祭りでした。その塾のほかの誰一人としてもらえなかった銘柄まで、なぜか転がり込んできたのである。それでわたしは塾代を埋め、ほかの学習コストを埋め、そのドS級IPO(っても100株だから大したことはない)をくれた若い女性担当者の言う通りに株を買ってあげて、ちょっと損した。いいのである。相手にも悪いと思わせないと、電話が毎朝かかってくる。
わたしがお金持ちのマダムでも上客でもないとばれれば、二度はない祭りは終熄する。それでIPOからはさっぱり足を洗うことにした。もちろん、ネット証券会社で厳正なる抽選に毎回参加することはできる。が、向き不向きの問題で、わたしには続かない。くじが楽しみ、という気持ちはよくわからない。わたしはくじを引くより、引かせる側にまわりたいタイプだ。また上場する会社の業績を分析し、倍率が低くても掘り出し物のIPOを見つける、というのにもまったく興味がない。世界情勢に関わる分析ならともかく、コインランドリーの市場がどうとか、串カツ屋のテレビCMの反響がこうとか、そんなのどうだっていいじゃないか、と思ってしまう。それって結局、原稿ネタとして汎用性が低いからかもしれないが。
かくして12万円のDVDは無用の長物と化した(ほしい人いたら格安で譲ります)わけだが、夏目漱石も言う通り、一度始まったことはなかなか終わらない。まだ一個もIPOをくれてない、とある中堅証券会社の営業マンが、ともあれ資金を置いてくれと言う。営業電話がかかってくるのが面倒だが、資金があるだけでも彼の成績になるのだろうから、言う通りに集めて入れてあげた。銀行に置いといてもつまらないし。そうすると、ときどき頼みもしないIPOをくれようとする。それは初値が暴騰するものではなく、もしかしてちょっと儲かるかも、というランクのものだ。ランクはどのように決まるかというと、業績や知名度もあるが、主に需給だ。株式発行枚数がやたら多いと、価格が下がって最悪の場合には初値割れする。わたしジャブジャブ嫌い、といつも断っていた。安心して見ていられるドS級かA級、でなければほしくない。
それでもあるときB級のIPOをもらい、忘れていたら「16万の利益が出た」と電話がかかってきた。それは意外と、と思ったら初値では売ってないと言う。担当者の判断でセカンダリーに持ち込んだ、と。ありがたかったが、ちょっと不審ではあった。そんなことって、勝手にしていいんだっけ? でもこちらも資金を置く以外、投資信託も何も買ってあげてないし、多少でも利益が増したのだから文句は言えなかった。
その担当者からまた最近電話があり、最寄駅までやってくると言う。内心辟易だが、夕方の買い物ついでになら、と返事をした。その日は上司まで連れてきて、「新規上場のソフトバンク携帯会社のIPOをぜひ全力で」と言う。全力とは全資金投入という意味だ。普通は全力でも100株当たるかどうかだが、ソフトバンク携帯会社は過去最大のものすごい株数を発行する。ジャブジャブの極みなのである。しかし割れない、絶対割れないと言う。(もちろん「絶対とは言えないが」という註釈付きで、絶対割れないと言う。)
テレビCMもバンバン流れて、一般の方たちからすごい問い合わせだし、知名度はバツグンだし、もし割れでもすれば孫社長のメンツが潰れる。そもそもこういう大型案件は割れたためしがほとんどない。主幹事である大手証券会社のグループが全力で支えるから、などなど。えっらいチープなものではあったが手土産までもらい、スーパーまで歩きながら考えた。たしかに割れさえしなければ、一株あたりの利益はわずかでも、たくさん買えていればそれなりの金額になる。今回、もし全力であたれば半分くらいとれるらしい。割れないならチャンスではある。いろんな大人の事情で、絶対割れないスキームが存在するなら、だが。
しかし同時に、コイツら何言ってんだろう、とも思った。そもそもソフトバンク携帯会社のIPOの件を最初に尋ねたのは、わたしの方だ。それというのも某大手証券会社の慶応出のお兄ちゃんから電話がかかってきて、ぜひ全力で、と強く勧められたのだ。慶応閥・三井系はのんびりしていて、このお兄ちゃんも滅多に電話なんかよこさない。何も買えとはしつこく言わないし、資金を0まで抜いても知らん顔だ。その人が声を枯らしてるのだから、ちょっと同情もした。そのときたまたま連絡してきた中堅証券会社の担当者に「どう思う。資金を一時的にまわしてもいいかな」と訊いたら「さあ。あんまりいいとは思いませんねー」と言っていたではないか。もちろんウチから資金を抜くのに反対、という意味でもあろうが。
状況が変わったということか。今思えば、主幹事でもない中堅証券会社にも厳しい販売ノルマがまわってきたということだったろうが、そのときは担当者と上司が言うように、ソフトバンク携帯会社の株の人気が上がってきたということもあるのかな、と思ってしまった。我ながらまだまだ甘いのである。ここから2週間ほどにわたる、大げさに言えば日本中を巻き込んだソフトバンクIPO祭りの、その日は単なる幕開けに過ぎなかった。(続く)
小原眞紀子
* 『詩人のための投資術』は毎月月末に更新されます。
株は技術だ、一生モノ!
■ 小原眞紀子さんの本 ■
■ 金魚屋の本 ■