社会は激変しつつある。2020年に向けて不動産は、通貨は、株価は、雇用はどうなってゆくのか。そして文学は昔も今も、世界の変容を捉えるものだ。文学者だからこそ感知する。現代社会を生きるための人々の営みについて。人のサガを、そのオモシロさもカナシさも露わにするための「投資術」を漲る好奇心で、全身で試みるのだ。
小原眞紀子
第一回 定期預金――呼ばれて飛び出て年利2.2%
講談社のブルーバックスだったと思うが『詩人のための物理学』(R.H.マーチ・著)という本があって、高校生の頃に読んだと思う。思う、とばかり言うのは内容をひとつも覚えてないからで、情けないかぎりだ。この『詩人のための投資術』というのは、そのタイトルからとったのだけれど、それは『詩人のための物理学』というフレーズがなかなか素敵なのと、そのくせ内容は何だったっけ、というのと両方に由来する。つまり私は物理学同様、投資にも素人で、だけど少し興味があって、それによって面白い方々ともご縁をいただいた。大儲けには程遠いけれど、エピソードには事欠かない。詩人のためだからそんなもんでいい、と思ってるわけではなくて、同じヒントからでも、やたらと稼いでしまう人がいるかもしれない。なにしろイメージを膨らませるのが詩人なのだから。
このタイトルにはもう一つプレテキストというべきものがある。『あやしい投資話に乗ってみた』(藤原久敏・著)という本だ。本というか電子書籍で持っているので、それも時代なのだが、愛読書である。このタイトルが醸し出すバカバカしさがいい。著者はファイナンシャル・プランナーで、ちゃんとした検証の書なのだけれど、基本的に欲と好奇心というヒトのサガを前提とし、しょーもないことに首を突っ込んでいかざるを得ないという諦念が覗く。そこがたまらなくいい。森鴎外もかくや、である。この連載も願わくば「好奇心あふれる詩人の皆さんのために、しょーもない投資術を試してみた」という具合にいきたい。
で、その『あやしい投資話に乗ってみた』の目次に並ぶあやしい投資話のうち、わたしがかつて乗ってみたのはたまたま一つしかなくて、「日本振興銀行の定期預金」。今でもそうだが日本の銀行の金利が金魚のエサ代にもならないほど低いなか、その頃の日本振興銀行の金利は10年もので2.2%、5年もので1.9%という驚異の数字。当然のことながら、わたしは日本振興銀行にも銀行協会にも電話をかけまくり、一千万円までの元本と利息が保証される預金保険機構が適用される、すなわちこれも生粋の「銀行預金」であることを確認した。
日本振興銀行の金利がそれほど高かった理由は、中小・零細企業への大手銀行の貸し渋りや貸し剥がしが問題となって、それへの救済策として認可されたものだったから、らしかった。ノンバンクが銀行になったようなものだろう。しかし投資リテラシーが低く、自分のリスクしか見えていないど素人は、裏事情など知ったことではない。破綻したときのことばかり訊くものだから、日本振興銀行のカスタマーセンターは「うちは大丈夫ですっ」と返答し、だけどもちろん、そんなことは訊いちゃいねーよ。万一のことを訊いてるんだって、そんなときのことばっかり考えてる人は結局、預けないのが普通ではないかと思うのだが、国の保護の信頼は絶大である。めいっぱい入れました。それも家族二人分。繰り返すが投資リテラシーが低いので、他には持っていきようがなかったのである。
で、結論から言うと、2010年に日本振興銀行は破綻した。なにやらオイタをしたのか、金融庁の逆鱗に触れて行政処分を喰らい、あとは真っ逆さま。事実上のお取り潰しだったろう。それでもわたしは平気のへいざ。なんたって預金保護されてるからね。今思えばリテラシーが低いがゆえのず太い神経ではあった。
その頃のことで、ちょっと思い出すことがある。ある日、日本振興銀行の知らない営業マンから電話がかかってきた。背後で大勢が電話をかけているテレフォン・センターのような話し声が響いていた。営業マンは、さらに追加で資金を入れないか、と言う。(わたしが預金したときには一千万円より多くは入れられない仕組みだったが、変更になったらしい。)国の保護に安心し切ってニュースも気にしていなかったので、「え。でももう、めいっぱい入れてるよ」と応じたのは反射的なものに過ぎなかった。電話の相手は一瞬、躊躇した後に「そうですね」と言って切った。
あの一瞬の躊躇は何だったのだろう、と破綻の後に思った。恐らくあのときはすでに日本振興銀行の行く末は決まっていて、各行員も認識していただろう。それでも潰れれば失業するし、上からかかる号令はそのままで、決して「もういい」とは言われない。それが組織というものだけれど、はっきりペイオフを意識している客に対し、破綻寸前に預金の上積みをさせるのは犯罪的だ。と、もしかしてそんな判断がよぎったのかもしれないけれど、なんとなくもっと根本的な諦めのようなものを感じた。「そうですね」って、あっさりし過ぎてるだろ、と突っ込みたくなったぐらいだった。
日本振興銀行の破綻は、本邦初のペイオフ実施対象として歴史に刻まれた。一千万を超える預金はその分につき6割もカットされたという。一人当たり一千万までの預金については預金保護制度に基づき、元本と利息が全額保護された。しかしながら保護された当事者としては結構厄介で、それなりの犠牲を払った。まずその後に見込まれていた(毎年1.9%もしくは2.2%もの)利息を失い、それまでの利息を満額得るために預金は長期間ロックされ、その間は他の銀行以下の金利に甘んじることになった。
わたしはリテラルな人間だし、物書きは多かれ少なかれそうだろう。また若い頃は誰でもその傾向がある。契約の文言や制度の決まりなどはリテラルに読むべきで、もちろんそれが基本だと思う。しかしながら、どんな決まりにも行間というものがあり、書いてないことについては決まってない。そこでの決着は結局のところ力関係によることになる。それが世の中というものだ。
わたしは自分がめいっぱい預金した直後、日本振興銀行の素晴らしい利息の載ったパンフレットを母にも見せて、実家近くの支店に連れて行った。わたし自身も支店に出向くのは初めてだった。担当者には自宅に来てもらって手続きを済ませたので。日本振興銀行の支店は私鉄の線路に面した狭い道路沿いにあり、母はその店構えを見た途端に、逃げて帰ろうとした。どうみても潰れたコンビニの居抜きだったのだ。
コンビニの居抜きに銀行が入っている、というあり得ない光景に、母は拒絶反応を示した。リテラルなわたしは、店舗の前身がコンビニだろうと串カツ屋だろうと、銀行は銀行なのだし、利息は2.2%なのだと頑張ったが、母は聞く耳を持たなかった。今にして思えば、母の危機意識は正しい。日本振興銀行の代わりに、母は新生銀行の1.5%の定期預金に500万円ばかり入れた。ずいぶん長いこと、ごく最近までその利息を受け取っていたようだ。わたしの日本振興銀行の預金ロックアップが解除された頃には、1.5%なんて金利の定期預金はもはや世に影も形もなくて、預け替えは不可能だった。
断っておくが、わたしが新生銀行の1.5%の定期預金に目もくれず、より高金利の日本振興銀行に突進したのは、決してがめついからではない(と思う)。ただ躊躇する理由が見つからなかっただけだ。コンビニや串カツ屋の居抜きで入った支店だろうと、2ちゃんでヤクザがらみのすってんのと、ほぼめちゃくちゃな内幕が暴露されていようと、どうせ金貸し稼業、一皮剥けばどこも同じだろう。どこも同じ銀行なのだから、同じ預金保険機構に守られているのだ、と。わたしはリテラルでラディカルであった。一皮剥けば同じものの、その首の皮一枚の差で生死が決まる。それが娑婆での格差というものなのだった。
今も家には、日本振興銀行からもらったハクション大魔王のタオル地のハンカチがある。濃いオレンジ色で、呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃじゃーんだ。それを見るたび、家に来た担当者が「明日の朝刊に、弊行の広告がおっきく出るんですよお」と言っていた嬉しそうな顔を思い出す。
小原眞紀子
* 『詩人のための投資術』は毎月月末に更新されます。
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