偏った態度なのか、はたまた単なる変態か(笑)。男と女の性別も、恋愛も、セックスも、人間が排出するアノ匂いと音と光景で語られ、ひしめき合い、混じり合うアレに人間の存在は分解され、混沌の中からパズルのように何かが生み出されるまったく新しいタイプの物語。
論理学者にして気鋭の小説家、三浦俊彦による待望の新連載小説!。
by 三浦俊彦
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■ 体質……
体質……この一語により、印南は蔦崎公一や袖村茂明の域には永久に辿り着けない己れのDNA決定論的宿命を悟ることになる。今日の観点からすると印南哲治自身が蔦崎食ワサレ体質や袖村ビジュアル体質とレベル的に遜色なき「達人体質」の持ち主であることがわかっているのだが、当時の印南本人にはそのような正当な自覚はなかったようである。
達人体質?
しかし本当に達人体質?
印南哲治にいちおう本当に袖村茂明・蔦崎公一並みの体質、「達人体質」が備わっていたという証拠によく挙げられるのは、金妙塾にわずか三か月だけ在籍していた便利屋事務所経営の男性の告白調書が物語っている。金妙塾に関わり始めたばかりの印南がたまたま聴取役兼記録係となった「告白大会」の一幕だったのだが、そもそも在籍歴浅い男から当該レベルの告白をすんなり引き出した事実自体が、印南哲治の「達人体質オーラ」を証拠立てている。のみならず、この男の行ないがそもそもなされたのは……、いやその前に調書の内容を要約的に紹介しよう。(「告白大会」の調書は聴取役による確認的反芻的相槌スタイルで記されることになっていた。ただしそのスタイルを厳密に守って記したのは印南一人だけだったとされている)。
学生時代の君ってやつァまあ、常習者だったわけだ。なるほどね。依存症だとまでは意識していなかったかもしれないが。忙しい期間――卒論、就活、院試――覗きを控えていた期間に禁断症状なんぞ感じることもなかったようだしな。「いつでもやめようと思えばやめられる」そう確認して安心してたんだろ。「病みつきじゃないから大丈夫」「まだ大丈夫」「いつでも大丈夫」と思いながら機会あるたび再開してたと、そのこと自体が、病みつきの証明なんだけどな。自由意思を信じるのは悪いことじゃないけれどね。
初期の頃は、ほう、カエルみたいに這いつくばって仕切り壁と床の隙間から覗いてたんだな。やがて「堕落して」「易きに付いて」手鏡を使うようになったと。
もともと固体を見たときだけメモをとっていたんだよね、君は。放尿だけなら、美人の尻を何千種類見ようが勘定に入れなかったと。大型固体の排泄こそが、男にゃできない出産、あの神聖神秘なる行為の写しだと。女体への畏れを心地よく間接に掻き立ててくれる光景なのだと。
わかる気がするがね、それだと、勢いよく屁が出るシーンに君が並の大便シーンより多くの星印を与えていたのはどうしてかな。まああれかね、息みとともに予定どおり大降臨と思いきや、実体のないガスではぐらかされちまうあれを天然フェイントととって、女体への〈畏怖の念〉を一気に親近感に薄め散らしてくれるようなというかな、アイロニーを感じられて嬉しかったからかな。いや、オナラ大好き人間として俺もよくわかるんだけどさ。あは。
出産とフェイントの中間ぽい液状下痢はどうだっけ。流産の恐怖感覚だったんだっけ。とはいえ君はとりあえず下痢見りゃ必ず激しく勃起したと。ふうむ。といいつつオリモノと血はダメだったんだよね。あずき色が垂れ伸びるシーンには畏れを越えて萎え尽きるのが常だったと。マ、覗き依存症の野郎なんてもともと結構な女恐怖症なわけで、まあどこかで辻褄合ってるってこったね。昔は男も拳の決闘繰り返して女以上に自分の血ィ見て暮らしていたもんだろうけど、文明社会じゃすっかり見なくなったものなぁ、出血コンプレックスは原始の血が疼く証拠かも。
てな具合にまったく、アイロニカルなバランス重視派の、ナチュラリストな君だったから、もって生まれた本能にゃ却って安住できなかったってことだ。覗きの快楽がふと深まってゆくわずかな兆候ごとに一々恍惚を覚えていたんだものな。ターゲットの尻が深く沈んで和式便器縁の地平線下に隠れちまった二重否定状況で、ボトンボトンさぞ大量に落下してる音、匂い、気配にただただ悔しがらねばならん状況に、またそれ独特の喜びを感じられるようになってきた君だったんだものなぁ。「苦労して覗いた視界があえなく遮られたもったいなさすぎの贅沢さ」に感動したりしていたと。ある意味自由な精神ってやつだよね、美意識もそこまでくると。
ゴキブリ目線で拡大された何の変哲もない女子トイレの安っぽい和式便器が、〈見知らぬ女尻〉をちょびっと隠したってだけでドエライ大深淵へ変貌しちまったりね。そりゃなけなしの輝きを俄然倍増した〈見知らぬ女尻〉をもっと貪るしかないわなあ。
寸前ブロック・パンチラ効果まかせの〈悟りの美学〉だけじゃなかったらしいしね。なんだっけ、たしか隣の個室を覗いてて、隣の隣の個室内を遠望できるとき、仕切り壁を二つ隔てて見えるや見えまいやの朦朧情景にあえて視線を集中するってこともやってたんだよな、君ってやつは。わざわざ前景の鮮明な獲物をスルーするこの〈飛び石覗き〉で覗き空間がぐんと拡がってしまったと。気づいてしまったと、覗きの醍醐味に。その無意味きわまる達成感の中でこそ己の濃ーい業と執念が泡立ちまくって、空気が対流して、裏の意味の攪拌の中に全身包まれる恍惚に浸りつつ。そんな説明で合ってるだろうかね?
それにほら、すぐ眼の前でミチミチミチミチ粘着音たてて美味微香脱糞が始まってるにもかかわらず、本来の目標粘膜からわざと視線ズラして、視界の縁からふと落ちかかる髪、翻る裾、尻の脇の吹き出物、尻と背の境目のホクロ、うっすら浮き出る静脈、ふくらはぎ筋肉のひくつき、ソックスのくるぶし部のたるみ……そういった日常的すぎるミクロ模様にあえて非日常ぶった視線を据えるなんて、そんな真似を始めたらしいじゃないか。そんな誰に褒められるわけでもない秘密のひとり遊びに二重丸快感を見出し始めたりしてたってんだから君って因業野郎は。盗み見ならではの焦点のふらつきが、新しい焦点を無闇にピンポイントしまくるメカね、なんともまあ。この視線の柔軟体操を〈自主規制覗き〉〈寸止め覗き〉〈肝心そらし覗き〉〈中心周縁反転覗き〉〈UFO把捉用覗き〉〈意図的空覗き〉等々等々君ゃ際限なく名づけてはほくそ笑んでいたわけだが。あ~あ。
とまああれやこれや、
それにしても中心と周縁の反転かよ……。
まあんなんとも懐かしくも杜撰な。
なんとまあ懐かしくも杜撰なポストモダン口調を改めていじくりまわすまでもない、半ば本能的な倒錯だったんだな。
空なる恍惚、ってか。
こんなメタ覗き境地に達しかけてた君だからこそ、ついにほれ、現場を。
ついにほれ、現場を押さえられちゃったあのときには――
あのときには――
君にもついに訪れたへまな瞬間、
あのときには――
不特定ターゲットの一人が入るや否や、君はベンチから廊下を進んでささっと聖域に滑り込む。
後ろの個室に入り込んでドアを閉める。
その時、ドアを閉め切らぬ一瞬前、ターゲットが。
いったんドアを閉めたはずのターゲットがさっとドアを開ける。
ドア列の向かいの鏡に、今後ろ個室のドアを閉めんとする君の姿がくっきり移っているのを君自身は見る。見たんだよな。
ターゲットはそのままダーッと女子トイレを飛び出してゆく。
(気づかれていた……)
君はいつも通り、物音は立てなかったはずだが。
廊下突き当りのベンチで待ち伏せしていた姿を怪しまれたのか。
とにかくついにその時が来た。
長年やっていればそういうものさ、いつかは見つかる時が来る。
それがそのときだった。そうだよな。
そしてそのときには――
そう、何が起こるか。不意に何が起こるかわからないのが環境ってもんなんだ、運命の瞬間は必ずや君の身に降りかかるはずだったのだよ。おそらく被視体はいつになくちょっと踵がかゆくなって振り向き加減に、そしたら隙間に気配を……程度のことなのさ。
あるいはすでにトイレに入りぎわに、廊下突き当りのベンチで待ち伏せしていた君の姿が怪しまれたのかもな。
とにかくピンチ到来だったな。
被視体は、手も洗わずにフロアへ出て行ったと。そりゃ用を済ましてないのだから手は洗わないさ。手も洗わずに、は相手がパニクッてた証拠にはならないよ。パラクッてたのは君の方なのだから。今さらなんだい、そんなにトラウマかい。覚悟してやってた所業のくせして柄にもなく。
君はとりあえずじっと立てこもっているしかなかったと。
やがて外で「まだいるんですか……?」囁きかわす声がしたんだよな。
さあきたぞ。
(第71回 了)
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■ 予測できない天災に備えておきませうね ■