「詩人と呼ばれる人たちに憧れている。こんなに憧れているにもかかわらず、僕は生まれてこのかた「詩人」にお会いできた試しがない。・・・いつか誰かが、詩人たちの胸ビレ的何かを見つけてくれるその日まで、僕は書き続けることにする」
辻原登奨励小説賞受賞の若き新鋭作家による、鮮烈なショートショート小説連作!。
by 小松剛生
忘れまじた
(小説現代ショートショートコンテスト 優秀賞作品)
今になって思えば、だけど。
子どもの頃の僕はたぶん、何かを探していたのかもしれない。
いや、きっとそうだ。
それの気配を僕は冷蔵庫の中であったり、襖の奥に度々感じていた。
母にはその度に怒られた。
「またこの子はいたずらばかりして」
「冷蔵庫をそんな何度も開けたりしては駄目」
何かしらを開けてはその向こう側を覗こうとする僕に、母は決まって同じ質問をする。
「どうしてそんなことをするの」
どうしてそんなことをするの。
その問いが最も僕を困らせることを母は知っていた。
むっつりと黙りこんでそっぽを向くことで小さな抵抗を示すも、まだ10歳にも満たない僕にとって彼女は世界の秩序であり、それに反抗することは筏ひとつで大海を彷徨うような、果てしない絶望と同じことだった。
秩序は僕が言い返せないことを知っていながら繰り返し、同じ質問を浴びせてきた。
どうしてそんなことをするの。
僕は言葉に詰まり、ただ黙ってその重たいどんよりとした時間経過の流れに身を任せるのみだった。
ときどき、絶望を選択してみようかと思い悩んだことはある。
けれど僕の用意できる筏など、所詮はたかが知れていた。
せいぜいが毎月お情け程度に貰っているお小遣い貯金と、朝食用にと台所に置いてある6枚切りの食パン一袋、首から提げられる携帯ラジオくらいのものだろう。
現代の漂流者としては、その装備はあまりに心細すぎた。
「どうせ大した理由なんかないんでしょう」
違う。
僕は叫びたかった。
母さん、僕は探しているんです。
何かを。
「何かって、何を?」
それは。
小学校の授業で「習字」という時間があった。
硯や墨汁の準備がめんどくさくて、お世辞にも生徒たちから歓迎される授業内容というわけにはいかなかったけど、僕自身は嫌いではなかった。
やたら古めかしいそれらのアイテム、教室に漂う墨汁の何とも言えない匂いは退屈で長すぎる一日を幾分か短いものにしてくれた。
「今日はみんなの好きな字を書いてみましょう」
先生は言って、僕は胸の中で小躍りした。
いつもは「空」であったり「希望」であったり、言われたままの言葉しか書くことを許されなかった僕らはほんとうにわずかばかりの自由を得たのだ。
秩序から解放された瞬間だった。
筆をとり、半紙に向かってエイヤと気合を入れ、僕は書いた。
「忘れまじた」
それが僕の言葉であった。
ついに僕は冷蔵庫の中や襖の奥にあった何かを探し当てた、確かにその感触を得たのだ。
先生が僕の机のそばを通りかかり、注意してきた。
「あら、そこに点々はいらないでしょ。あなたは「忘れました」と書きたかったんでしょう。ならそれは間違いね」
そう言うと、さっさと新しい半紙を用意してくれ、僕の書いたはずの言葉は取り上げられてしまった。
――ああ。
言われたとおり「忘れました」と書いて、そこには無事赤い花丸が付け加えられることになった。
「何かって、何を?」
母の問いに僕は答えた。
「忘れました」
まったく仕方ないわね、とため息を漏らして彼女は疲れた顔で夕食の準備にとりかかることになった。
忘れました。
それが母や先生が納得するであろう回答であることを僕は知っていた。
けど真実じゃない。
本当はそこにあったはずの濁点的何か。
それこそ僕が探し求めていたものであり、世界の秩序とは相容れぬ何かでもあったというわけだ。
やがて僕も年をとり、あの頃の母や先生たちと同じくらいの年齢になってしまった。
冷蔵庫はものを入れるか取り出す時にしか開けないようになってしまった。
秩序を手に入れ、筏を作る気力を失くした今の僕に、あの頃の僕が本当はいったい何を探していたのかなんて。
もうすっかり。
忘れました。
おわり
* この作品は小説現代2014年7月号(講談社)に掲載されたものになります。
なお、出版社様に許可をいただいた上での掲載となります。
昼休み2012
僕がこの世で一番嫌いなのは予定帳を持ち歩いているタイプの人間だ。
そんな人たちのことが心の底から憎らしく感じるし、予定帳をはじめにつくった奴を殺してやりたいとさえ思う。
僕がそう言うと中村先生は「ふむ」と両手を自分の膝の上に乗せて僕の顔をじぃっとのぞきこんできた。
「殺したい?」
僕はうなずいた。
「どんなふうに殺したい?」
「まず大きなガラスを二枚用意します」
「うん」
「それでその人をはさみます。機械的な何かでもってゆっくりと左右からその人を押しつぶすんです」
「ガラスが先に割れるかも」
「割れないくらい強いガラスを用意します」
先生はもう一度、「ふむ」。
「なぜガラスなんだい」
「見せしめです」
そのはじめの人の内臓がつぶれていく様がよく見えるように、ガラスを使うんです。
「誰への?」
「予定帳をもっているすべての人たちへ、です。そうすることで人は予定帳をもつことがどんなにいけないことかわかるだろうし、今後予定帳を持ち歩こうと思う人も出てこないでしょう」
先生は僕にただの一度も「なぜ予定帳なのか」とは聞いてこなかった。
それは僕にとって少し嬉しかった。
世界には「なぜ」が多すぎる。
なぜ。
どうして。
はて。
もううんざりだった。
その代わり、なのかどうかはわからないが先生は僕にこう言った。
「毎日コーヒーを3杯飲みなさい」
指を3本、僕の前に立ててみせた。
人差し指と中指の隙間から校庭のグラウンドに立つサッカーゴールが見えた。
ちょうどそこに誰かの蹴ったらしいボールが飛び込んでいく。
歓声が聞こえる。
僕の昼休みはもうすぐ終わろうとしている。
「でも先生、僕はコーヒーが飲めません」
「なら小説を書きなさい」
「なぜ」
世界には「なぜ」が多すぎる。
先生は怒らずに答えてくれた。
「予定帳にスケジュールを書き込むのと、小説を書くという行為はまったく正反対の位相にあるからだよ。なぜなら小説に書かれているおよそすべての行動は「やらなくていいこと」だからね」
そして僕は小説を書き始めた。
僕はたくさんの「やらなくていいこと」をメモ帳に書き続け、10年が経った。
予定帳を持ち歩く人間は僕のまわりにどんどん増えていき、中には電子端末に自分の予定をデータとして入力する人まで現れた。
コーヒーショップが増え、自然と僕もコーヒーを飲めるようにもなった。
電話ボックスの行列は消えて、2次元の女の子が流行の舵をとることに対する違和感も消えた。
時代は確かに変わっていった。
たくさんの本を読んで(小説ではない種類のものもあった)、僕はこの世に多くの文章が存在することを知った。
中でもいっとう気に入ったやつを今ここに述べることにする。
――もちろん彼女は彼に罵声を浴びせ、2人の間を隔てているドアを開けないでおくこともできた。そして。彼女はそうしなかった。
もちろん僕も小説を書くことをやめて予定帳を持ち歩くことだってできた。
彼らをつぶすことのできるガラスなんて、この世には存在しないのだ。
そして、僕はそうしなかった。
おわり
参考及び引用文献
『倒錯の森 サリンジャー作品集2』(東京白川書院 1981年)
著・J.D.サリンジャー 訳・鈴木武樹
理由工場アルペジオ
彼らは。
いや、正しくは彼らと彼女らはとてもきちんとした身なりをしているように、僕には思えた。
ブレザーとネクタイのような正装をしているわけではないが、清潔そうな服をそれぞれがきっちりと着こなしていて、しわだらけのポロシャツに丈の長すぎるジーンズを履いた僕とは大違いだった。
きちんと。
きっちり。
嫌な言葉だ。
見たところ年齢は僕とそんなに変わらないだろう。
30歳には届いていないように見えるけど、わからない。
荷物はやたらと多い。
ギターケースが三本、それとは別に手提げかばんやらリュックサックを席の傍らにひとり一つずつ置いている。
男が二人に女が三人。
楽しそうに何やらおしゃべりしている。
奴らもまさか今、この渋谷のコーヒーショップでたまたま隣に座った人間が自殺について考えているなんて思いもよらないだろう。
アルベール・カミュは言った。
――ようするに哲学の最終的な問題は自殺なんだ。
僕はカミュが好きだ。
『転落』や『追放と王国』『シーシュポスの神話』どれも読んだ。
でも『異邦人』よりも『ペスト』のほうが素晴らしいというのが僕の意見だ。
あれこそカミュの代表作と呼ぶべきだ。
そして僕は自殺について考えている。
それは人類の長い歴史における最終的な、そしてとても崇高な問題のように思えてくる。
奴らのうち、男のひとりが言った。
「アルペジオで」
あるぺじお。
それは僕の知らない単語だった。
どこかの星の名前だろうか。
アルペジオ星的な何かが最近新たに発見されて、それを今夜見に行こうとしているのか。
いや。
彼らはとても天文学を専攻している大学院生の集団には見えない。
きちんとときっちりを両立している大学院生なんて見たことない。
「あれ」
雨が降ってきた。
表にいる人たちはカバンやらを頭に乗せて小走りに建物の中へと駆け込んでゆく。
ふん、マヌケな奴らだ。
隣の五人もどうやら表の様子に気づいたようで、さほど驚いた様子でもなく外を眺めた。
うん、天文学を専攻しているような連中ではないだろう。
――ああ洗濯物が。
――出るとき窓閉めたかな。
――そういえばこの前買ったばかりのポール・スミスの傘を失くしちゃって。
――高かったのに。
僕は少し安心した。
彼らとて所詮は人間だ。
仮に彼らが洗濯物や傘やポール・スミス云々の哲学を百万個もって攻めてきたとしても、自殺にはかなわないだろう。
なんてったって最終的な問題なのだから。
つまり洗濯物や傘やポール・スミスの延長線に自殺があるといっていい。
それにしてもアルペジオ。
ちくしょういったいなんて奴らなんだアルペジオ。
こんな死の寸前にまで追い込まれた僕にさらなる疑問を抱え込ませるなんて、悪魔みたいじゃないか。
悪魔はテレビアニメに出てくるような角とシッポなんて生えちゃいない。
それはニセモノだ。
ほんとうの悪魔は僕たちそっくりの格好をして、渋谷でコーヒーなんかを飲んでいるのだ。
そうだ、きっと奴らは悪魔なんだ。
でなけりゃあんな楽しそうに笑うはずがない。
それが奴らにとって「人間らしく」振る舞うための偽装なんだ。
けれど失敗したな、僕にはばれているぞ。
デパート最上階にあるような洋風レストランの、ショーウィンドウに並べられたあれみたいなもんだ。
それらしく見せようとして逆に失敗している良い例だ。
それにしてもアルペジオ。
なんだって奴らはそんなものを僕に押しつけていくのだろうかアルペジオ。
――きっとなにか理由があるはずだ。
理由。
僕はうんざりだった。
どこへ行っても理由、理由。
街を歩けばすぐに理由とぶつかってしまう。
トイレットペーパーのほうがよほど役に立つ。
あればお尻も拭けるし、水に溶けやすいから排水溝に詰まる心配もない。
もしかしたら。
アルペジオとは、奴ら悪魔が管理している工場のひとつなのかもしれない。
そこではいろんな種類の理由を製造し、僕らに無理やり背負いこませることで事を面倒なものに変えてしまうのだ。
理由工場アルペジオ。
ひょっとしたら僕が死ぬ理由もそこで作られているのかもしれない。
いやきっとそうだ。
「なんてことだ」
僕は小さくつぶやいた。
カミュは自動車事故で死んだという。
彼が死んだ理由もアルペジオで作られていたとしたら。
「ああ」
それにしてもアルペジオ。
おわり
(第07回 了)
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* 『僕が詩人になれない108の理由あるいは僕が東京ヤクルトスワローズファンになったわけ』は毎月24日に更新されます。
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