こんちわーわんわん。りょんさんですー。
昨年末に引き続き、マスコミの本質について、だよ。前回はちょっと抽象的な話になっちゃったね。もちろん岸田さんのこと、書いたんだけど、その取り上げ方に注目したわけ。てか、我々って、なんか知ってるつもりでもさ、結局はマスコミを通して知らされてるだけじゃん? 今はSNSとかあるけど、だから「マスゴミ」っていう相対化する言葉も生まれてきたけど、伝聞の知識であることに違いはない。
フランスをはじめ海外では、もともとマスコミの言うことを真に受けてる人が少ないんだって(っていうのもSNSから得た情報なんだけどさぁ笑笑)。マスコミが選挙の行方とか左右できるのは日本ぐらいだって。それってなんで? 日本人の知的レベルが低いから? って、すごくイヤな気がしたんだけど。まぁフランス人って特にそんな感じで、カッコいいな、とかまたアコガレを強くしたり、さ。
日本人が特に従順な民族なのは間違いないけど、特にバカってのは聞いたことない。そしたら、それはマスコミのあり方、そもそもの前提が違うんでねえの? と思い至ったのさ。マスコミは中正中立、信じておけば少なくとも大きく外れることはないって、思わせる建て付けになってるってことだな。(東スポ以外。)あるいは外れてたとしても、それは皆が外れてるってことだから、自分だけがバカを見るわけじゃない、てこと。ここ、けっこう大事。
たぶん海外では、それぞれのマスコミが自分の偏りを明確にして、全知全能の中立者のフリをしない、ってことなんだろう。それが世界一般のマスコミのあり方の前提で、だから「マスコミの言うことは信じない」って姿勢が育つ。そこらのオバちゃん、オジさんまで皆そう言うなら、そりゃ見てる「マスコミ」の姿が違うってことなんだろ。
どこの国だって、広い情報はメディアを通してしか得られないわけだし、オバちゃんやオジさんが昔からツイッタラーだったわけじゃないだろうから、マスコミがそれぞれ自分の立場で好き勝手を言ってるのだ、ってことが顕わで、またそれを顕わにする暗黙のルールがあるんだろ。
複数のメディアがあるってことは、その存在意義は、それしかないよね。考えてみれば。日本は全民放の報道はプチNHK化してるわけで、だったらNHK以外、いらないよね。で、民放の存在意義はエンタメにあったわけで、そこんとこへ今度はNHKが接近してきたわけだ。互いのおいしいとこ取りで、互いに存在意義を薄めてきた。
ほんで三浦瑠麗さん。この人ぐらいマスコミの本質を顕わに示した人物はいないって、後に語られそうだって気がする。すでに歴史上の存在って雰囲気を漂わせてる。それは何かの間違いでマスコミに出てきたんじゃない、必然的な理由があった、それは少なくともマスコミ側の事情に合致するものだったってことだね。
日を追うにつれて、その「事情」がそんなにちっぽけなものじゃなかったのでは、という方向に行ってる。彼女の夫の事務所が詐欺罪で特捜の捜索を受けた。そのことで最初は、よくあるザマミロ論調ばかりで、つまんなかったけど。それから彼女のメンタルがどうとか、幼少期からなんとか、トラウマがこうとか、なおさらつまんなかったけど。だってそれは結局、誰に対しても当てはまるものに過ぎないでしょ。
りょんさん家には、テレビないの。だから三浦瑠麗さんもテレビで観たことない。それなのに論じるのはフソンかなぁ。でも今はテレビを相対化する情報源があるし、距離があるから見える、ってこともある。フランスのオバちゃんやオジさんたちが各マスコミに距離感を持って、そのそれぞれの顕わな立場を勘案して、自分の立ち位置を決めてるのと一緒やん。日本でもそれができるようになってきたんよ。やっと。
で、りょんさんはYouTubeでも三浦瑠麗さんが出ているものは意識して避けてきた。なんでかと言うと、ちょっとオカシイのは、いや三浦さんがオカシイっていうより、その取り巻く環境が何やらオカシイ、どうも臭うのはTwitterに流れてくる画像や記事の見出しから明らかで、しかもこれまではその謎を解く手がかりが、あんましなかった。だから見ると、精神衛生上、よくなさそうだった。
かといって、りょんさんは三浦瑠麗さんがキラいだったわけじゃない。(だって見てないんだからさ。)マスコミ的には、ちょっとアブナい感じの女性って絵になるというか、オモシロキャラの一種としても使えるんだろうなーって、思ってた。危なっかしい女優さんほど注目されるのと一緒だよ。結婚したりして落ち着いたら、つまんなくなるのと同じ。(まぁ最近は結婚してもお騒がせで、花の命がけっこうた長くなってさ。イイコトだよ。)
ただ、それがフィクションの世界でなく、ニュース番組に出てる人、ってことになると、民放の報道のフィクション化、というか。終わってんな、という批判とは別に、何かの現象を端的に示してるとは思ったけど。「端的に言って幸せすぎる!」ってのは三浦さんの名言だけど笑、そんな人が世間を論じればこう言う、という報道スタンス、それ自体はちょっとオモロい。ただ、三浦さん本人ばかりでなく、そのすべてにフィクションの臭いがあった。
で、フィクションっていうのはまぁ、物語ってこと。こーゆー文学サイトでは物語は文字通り、プレーンな意味での物語になるけど、世間一般の物語ってのは利害関係が絡んでいる。事実として扱われていたものが物語だった、ってときには必ず誰かの利害関係で作られた物語だってことよ。
三浦瑠麗さんの発言が横紙破りであっても、そういう意見もある、ということに過ぎないし、テレビショーとしての華が保てれば、専門性は二の次という価値観もある。だけど彼女の存在の時間経緯的なあり方、発言の利益誘導性、若い頃からの自民党との距離、紹介者なしで入居できないと言われているネジロ(伊藤詩織さん暴行事件の山口氏もそこにいる)といったことが出てくると、また別の物語が読み解かれることにはなる。
どんなコモンセンスがはたらこうと、一般からの批判がどれほど浴びせられようと、びくともしないマスコミの方針、特に登用があるときには、たいていあの電通の影がある、と言われている。オリンピック汚職の捜査の進捗はこのところあまり聞こえてこなかったけれど、ここ数日、談合を認める証言が、とも報道されている。電通に捜査が入ったのは、安倍元首相が亡くなって何日も経たない頃だった。
三浦さんの夫の詐欺疑惑については、単独の詐欺なら警察が動くはずだけれど、今回はいきなり特捜だ。それも10年も前に告発があったのに、警察が受理を渋ったとも言われている。(警察が握りつぶしなんかしていいの、と思わせるのは、伊藤詩織さん暴行事件を彷彿とさせるね。)その当時、三浦瑠麗さんが警察の広報誌に連載していたので、警察のメンツが、と書いた記事を見かけたけど、そもそもどんな経緯で警察の広報誌に連載することになったん? その経緯をたどれば、もしかして伊藤詩織さんのケースともっと近似してくるんじゃね?
それでも安倍元首相がああいうかたちで亡くなったのは悲劇だった。ああいうことは為されるべきではなかった。倫理的なことを別としても、そう思うよ。あまりに惜しい人であった。今、ポスト岸田として嘱望されるのは菅さんだろうね。菅さんのような盟友を持つ人が悪人だったとは思えない。仮に悪人だったとしても日本に必要な人だった。宏池会に跋扈されるよりは、よくない?
何回これ言ったか覚えてないけど、善人だったからこそワキが甘かった。その甘さが魅力だったのだろう。大宰相はどっか抜けてないと、ね。で、彼を愛した人、彼が重用した人には素晴らしい人たちも多くいたんだろうが、人の懐に入り込むプロフェッショナルみたいな連中も多くいた、ということだ。小者ほど勘違いするのは、ほかにやる術を知らないんだからしょうがない。大成功した全能感に満ち溢れて、見るからにオカシな人になるから悪目立ちする。それを持ち上げてみたり、非難したりしてもそんなのは瑣末なことだ。国民全部に影響する政策からの目眩しになってしまう。だけど意図せずそれをやる、意図せず自分たちの利益誘導を果たす、その無意識こそがマスメディアの本質なのだと思う。
りょん
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