りょんさんはさ、日本の社会が嫌いじゃないよ。外国行くと急に愛国者になるっていうけど、たしかに日本の社会にはいいとこいっぱいある。外国人でも日本にすっかり馴染んじゃって、母国に帰れなくなる人いるよね。でも、うんざりするところもやっぱりあって、そんで昔から思ってんだけど、日本の社会にある諸悪の根源て「天下り」だよね。てか天下りに代表されるメンタリティが効率とかモチベーションを下げて、日本の今のあらゆる低迷を生み出していると思う。
上級国民って言葉を最近よく聞くけど、なんでこんな言葉が今更流行るんだろうって感じ。今この世の中で、いや今こんな風な世の中になったから、そのへんが多少洗い出されてきたのかもしれないけど。ほんじゃ改善されるのかね。上級国民っていうのは例のプリウスで母娘を事故死させてしまった高齢者に対して、ネットなんかで盛んに言われてることなんだけど。
この事故については、みんなが言っていることで尽きてるから、言うことないや。ただ交通事故って、いつ誰が加害者になるのかわからないところがある。だから法的に特別なあつかいになってて、結果的にはかなり軽い罰を受けることになるから、被害者の方がやられ損で、気が済まなくなっちゃうよね。このプリウスを運転していたお爺さんが本当に特別扱いを受けたのか、よくわかんないけど、ただやっぱり同種の事故と比較すると、ちょっとそんな感じは否めないかな。かといって罪が軽くなったりってことはなさそう。事故直後のとりあえずのあつかいが、やっぱりそこらのチンピラと、長いこと高い地位にあった人だと差がつくっていうのはあるかも。なんかやっぱり気の毒、わざとやったわけじゃないんだしって現場の人は思っちゃうんじゃないかな。一方で、距離のある我々からしたら、かわいそうなのは被害者だろって思うわけだけど。
武士の情け、って言葉があるよね。日本の社会は本音と建前でできてる。建前的には厳しい処遇をしなくちゃならないんだけど、武士の情けで体面だけは保ってあげようっていうか。それは日本の美意識でもあると思うんだよね。だけど武士じゃない身分の我々は急進的な革命家と一緒でさ、こんなときこそ吊るし上げるべきって、普段の憂さ晴らしをするわけだよね。あくまで公平に振る舞うことを美意識とする社会も欧米とかにはあるのかな。マリーアントワネットの処刑の仕方とかって、やっぱり我々も眉をひそめるじゃない。
その場でのあつかいに多少手心を加えたところで、以降の裁判での判決とか、そういった最終結果が変わるわけではない。そういうところでは徹底的に公平にあつかわれるんだからって、今だけちょっとって気持ちはあるかもしれない。実際高い地位にいた人は、人一倍話題にもなってしまうし、叩かれ方もすごいよね。そういう我々の反応をいわば先取りして、そこで加減するっていうのは必ずしも全部ダメとは言えないけど、そのせいで余計叩かれるっていうのは、本人にしたらどうなんだろう。
最近もう一つ痛ましいことがあって、旭川の女子中学生の凍死の件だけど。普通だったらいじめた連中は全部SNSで吊るし上げになってるはずなのに、それがないよね。噂だからたしかじゃないんだけど、加害者を特定して拡散しようとした人が逮捕されたとか、テレビで全然報道がされていないのは、いじめた人たちの中に警察関係者の子供がいるんだとか。もしそうだったら許しがたいって気がするんだけど。
でもさ、そもそもみんなで犯人を特定して、吊るし上げるリンチみたいなことが正しいのかっていうと、誰が相手でもそれはやっちゃいけないってのはルールというか、建前ではあるんだよね。それでも吊るし上げてしまえって、まったく思わないってことはない。まぁそれもこれも、学校だとか教育委員会だとか警察だとかがちゃんとこの件で機能してたと思えないからなんだけどさ。
しかし、そういう関係者とか何かをかばう体質っていうのは、何のためにあるかって考えると、結局ギブアンドテイクというか、利害関係が明確にあるからなんだね。例えば自分が何かやってしまったとき、少しかばってもらうって融通が効かなくなると、生きていきづらいなぁと思うとか。それで手心を加えるって、関係者同士の目配せってのはあるだろう。これは損得なしの惻隠の情とか、武士の情けとか、そういうのとは違うかな。もちろん上級国民はその家族に力を持ってる人がいるから、その人に対して何か利害関係が微妙にあるって可能性もあるけどね。
まぁたぶん日本に限らず、人の世ではそういうことって多少はあるんだよね。それを厳しく非難する人だって、自分の周りの半径5メートル以内でそういうことが起これば。やっぱりツテをたどって目こぼしを期待するってことはあると思う。まったくそういうのがない社会って、これはこれでヤダなぁって感じるかも。だって我々って、よく知っている人とか友達とかに対して、安心感を持ったり身びいきにしたりって、そんなこと日常茶飯事だし。それにまったく反応しない人は、義理堅くないって、また非難されたりするよ。
新人賞とかオーディションとか、いわゆる公募といわれるもので、出来試合なんじゃないかってよく聞くよね。それだと公募を信じて応募した人は、いい面の皮っていうか、腹立てるのもわかるんだけど。そういうときはそのコネで採った側も採られた側も、普通以上の責任というか、プレッシャーを感じるべきだね。実際そうなんじゃないかな。コネ採用とかコネ受賞とか、そういう人で周囲以上のパフォーマンスを示すのって、やっぱし難しい。それは力がないのに下駄履かしてもらったせいなのか、それともそのコネクションがしがらみになって力が発揮できないのか、よくわからないんだけど。結局、やったことっていうのは自分に返ってくる。
ただ一般的に公募とかの場合、コネ持つ人を吹っ飛ばしてでも、絶対この人に賞をあげなきゃ、って人が現れたとき、それを無視してコネを優先するってことはないね。次回受賞させるからって話をつけたり、コネ持ってる方か、実力のある方か、どっち優先するかわかんないけど、まぁ両方拾うわけよ笑。つまり具体的な被害者がいないんだからいい、っていう納得のもとにコネ採用してるって部分があってさ。
さっきのプリウスのお爺さんと一緒で、別に罪を軽くするわけじゃないんだから、今ちょっと余分な恥をかかせることはないよねって気持ちがはたらくのとおんなじで、手心を加える側もちゃんとそれなりの理屈というか、加減を知っている。少なくとも、知っているつもりにはなっているわけ。
りょんさんの「世相をわらう」は笑って暮らすにはどう考えたらいいかっていうふうになっちゃってるけど、まぁ不公平だとか上級国民だとかってカリカリこないでさ、結局みんなやったことは自分に跳ね返ってくるんだから、これでいいんだって思って過ごすのがいいと思うわけよ。コネっていうのは、持ってる人をうらやましいと思うかもしれないけど、それでその人が辛くなる瞬間、必ずあるんだから。人一倍辛いだろう立場だから、あえて手心を加えられてるって思うのが正しいんじゃないかな。
間接的に知っている女優さんで、有名な女子高に入るときも、そこからデビューするときも、本人曰くコネ利用とかで「あたしコネコちゃん」て言ってたって、笑い話があるんだけどさ。まぁ、その後やっていけるかどうかは本人次第なわけで。そこそこいけたんだから、実力もあったで、いいんじゃないかな。もちろん大女優にはならないわけよ。コネコちゃんだから笑。でもこういう女優さんが一人増えたからって、別に誰にも被害が及ばないんだし。一緒にオーディション受けて落ちた人だって、そこで選ばれるのがほんとによかったかどうかわかんないわけだしさ。コネ採用がまかり通ると、その組織や社会が疲弊するとは思うんだけど、それぞれ個人がそれで悩んだり、ストレスを抱えたりする必要はないと思うんだよね。
りょん
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