泣いてもわらってもいいんだけど、とにかくこの連載は世相を語ることになってんだけどね。ただ、なんで世の中がこんななのかなぁ、とかそういう考察はあったっていいよね。タイトルそのまんま、自己愛の時代だからだ。と思うんだけどさ。でも卵が先か鶏が先かでね、自己愛の時代だからこんな世の中なのか、こんな社会だから自己愛の時代になるのかってのはわからない。
で、この自己愛って言葉に含まれる非難がましい感じは何なんだろうね 笑。誰が何を愛そうとその人の勝手だし、自分自身を愛せないよりはまぁ、いいような気もするんだけど。ただ、愛ってのはやっぱり、それにふさわしい対象物があって成り立つものだからさ。自己愛ってのは何か他のものを愛してるふりして、実は自分がかわいいだけってのが透けて見えるとこがあるよね。そんでなぜか自己愛が過ぎると、自傷とあんまりかわんなくなったりする。外界に背を向けるのが過ぎて、それがどんだけ危険なことか全然わかってないとね。うまく立ち回っているつもりになればなるほど、実は敵が増えてたりするね 笑。自己愛的な振る舞いについてはみんな結構敏感だからね。
前回の不平等感にしても、問題が表に出てきたぶん、抑圧が外れてきたとはいえる。問題が大きくなったんじゃなくてさ。そんな中で、自分の感情だとか日常の不満とかを声高に言うことがむしろ褒められるようになってきた。それは解放された世の中になったんだから、いいと思うんだけど。それじゃ今まで抑圧してきたものは何なのかっていうと、やっぱり大きな主語とか、社会性とかそういうもんだよね。でこの社会性とは何か、大きな主語っていうのはどういうもんなのか、それが全然ぴんとこない世代が増えてると思う。
自分たちを抑圧するものは何が何でも悪い、で済んでるうちはいいんだけどさ。かつてそれが機能してた時代のこと全然知らない、っていうのもかわいそうかな。ま、自分の知らないものは全部悪いものと決めつけるのが人の常だからね。でも、じゃあそれがなくなってみんな幸せになったかっていうと、そうでもないからブーたれてるわけ。
端的に言えば、よくも悪くも大きなリーダーがいなくなった。悪口を言われる政治家は多いけど、悪と言い切れるほどの悪人もいなくてさ。ただ、上から下まで自分のささやかな利権を守ろうとしてるだけって感じ。そこらにいる人の自己愛とあんまりかわんないね。だから言われ放題になるわけだけど。昔の利権っていうのは、社会を変えるような大きなエネルギーと表裏一体だった。よいことか悪いことかっていうと悪いかもしれないけど、よい悪いを越えて時代や社会を大きく変えるエネルギーがあった。角栄なんか嫌い、とそこらの女子高生が言ったところで社会はびくともしないし、ただそう呟くことで女子高生がちょっぴり大人に近づいた気になるって意味しかなかった。社会の胸を借りてさ。赤ずきんちゃん気をつけて。
実際には、今も昔もトップに立つってことは、外から見えないいろんな面倒事、いろんな調整があってさ。そりゃ大変だと思うわけよ。だけどなにか、我々と同じ地平線上にいるようにしか見えないっていう、時代のいいとこでもあるし悪いとこでもある。それでまぁ、まるで対等みたいに、何かに対していっぱしの口をきくってので、本気で自分が大きくなったような錯覚を覚えるっていう、幸せなのか不幸せな時代なのか、よくわかんない。
与えられた自由は謳歌していいと思うんだけど、そのためか特に若い人たちが打たれ弱くなったよね。Twitterで見たんだけど、小説みたいなものを書いてる人が「お願いだから悪く言わないで」ってフォロワーさんに懇願してた。それはちょっと笑っちゃった。それだと悪く言われなくとも、これはお願いしたからだ、ってことになって不安にならないのかな。ただ、それよりも批判めいたことを言われることのショックの方が大きいんだね、きっと。
今の時代、批判と中傷との違いがわかんなくなっちゃってる。正しい批判を受けるっていうのは貴重な体験なんだよ。だけど、そのことと単に悪口を言われた、中傷されたってこととの違いがわからない。というか、その違いを実感する前に、悪く言われることの恐怖感でがんじがらめになっちゃってる。とにかく恐怖しか感じないんだから、褒め言葉しか言わないでって懇願するって、はたから見ると滑稽なんだけどね。
出版もデザインもそうだけど、クリエイティブっていうのは昔から打たれてなんぼだったけどね。打たれた瞬間は、辛いこともあるわけよ。それがマトモな批判ならね。だけど3日ぐらい経って、立ち直ってくる。そこがほんとにその人の力っていうか、先があるかどうかの分かれ目ってとこなんだけどね。経験した人はみんな実感してるんだけど、かわいそうなのはその経験をしたことがない人、その前に逃げ回っている人。まぁそういうのを素人っていうんだけどさ。素人のままで過ごしたいっていう選択だって、もちろん貴重だと思うし、悪くはないと思うよ。それを選んだんならね。ただそれを続けても虚しいって思う感受性は、もう時代がどっかに置き忘れてきたのかな。
まぁ、りょんさんだってあんまり人のことは言えないというか 笑。やっぱ嫌な仕事から逃げ回ったり、不義理をしたり、そんな事はいくらだってあるよ。世の中に出るにあたっての未熟さとか、失敗とか、それはみんなあると思うんだけど、でもやっぱり自分の不始末は自分でなんとかしようと思ってたよね。ごまかすことも含めて。自分は悪くないのストーリーを拡散して自分を正当化したり、お母さんのスカートの影に隠れたりとかはしなかったな。今だって多少マトモな気概のある子だったら、とにかく親に知られるのだけは勘弁って感じだよね。そこは昔も今も変わらない。そうでなければ、もうその子は終わりだよね。
自己愛っていうのはだから、どっかに亀裂がある。その亀裂こそが可能性なんだよね。怖い、自分を守りたい、ってのと、そこを突破しなきゃ、ってところ、みんな揺れ動いている。社会全体もそうなんで、とりあえず現状維持でいいよ、自分たちの細かな利権をとりあえず守ろう、というところから、でもこのままじゃ、長い目で見たら滅びてしまう、なんとかしていかなきゃ、っていうところとやっぱり揺れ動いている。
だからたいていのことは一時的なものと思って、大目に見とけばいい、見過ごしとけばいいっていうのも確かだよ。今、日本はあらゆるランキングが地に下がって後進国になったけど、でも一方で30年前に比べたら、やっぱりすごく便利になってるし、生活の満足度も上がってる気もする。そして日本人はやっぱりお金に対する執着はあんまりなくて、足るを知るというか。だからランキングでは下がったとしても、その物差し自体が欧米のものだとしたら、それで日本人の満足度は測れないとはいえるよね。
まぁ色々と揺れ動いているわけだから、今が底辺だとしたら何かのエネルギーを貯めてて、またびっくりするようなかたちで日本がナンバーワンになる日も来るのかもしれない。日本人ってそういう人種じゃない? 今は戦争直後の焼け野原という感じかもしれないよね。でも復活したいとか、ランキング上位に戻りたいっていう欲望もそんな強くないみたいなんだけどさ 笑。それすなわち、結構みんな幸せってことかな。自己愛が傷つかない環境が整ってんだから年間所得が世界何位だって関係ないよね。
りょんさんは昔、プライバシーの問題で戦ってた女の人と友達だったことがあって。その戦い自体はがんばってたし、勝ってよかったと思うんだけど。結構有名な事件でさぁ、どっかの法律の本で見かけてびっくりしちゃったよ。ただ、〇〇の問題もあるしね、ってその人が別の社会問題のことを呟いたとき、ああ、もうそういう問題がないと生きていけないんだなって感じたのを覚えてる。
彼女に社会的な意識がないってわけじゃないんだけど、結局、社会の問題を内面化して自分の糧として消化することが必要というか、それがその人の養分になってるわけね。それってでも、なかなか非難しづらいじゃない。非難する必要があるかどうかもわからない。だけどそれが純粋な社会性なのかっていうと、やっぱり違うんだよね。
大きな社会性を持った無私の人っていうのは、確かに減ったと思う。そういう人が生まれてくる背景っていうのはあって、やっぱり大きな戦争だったよ。その喪失感みたいなものがないと、やっぱり無私の境地には達しないんだね。じゃあ、そんな大きな戦争があったらいいかっていうと、そんなこと誰も思わない。よくも悪くも揺れ動いている。自分のことしか愛せない、情けない人が多いっていうのは、それだけやっぱり平和な時代が続いたってことなんだよね。
りょん
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