社会は激変しつつある。2020年に向けて不動産は、通貨は、株価は、雇用はどうなってゆくのか。そして文学は昔も今も、世界の変容を捉えるものだ。文学者だからこそ感知する。現代社会を生きるための人々の営みについて。人のサガを、そのオモシロさもカナシさも露わにするための「投資術」を漲る好奇心で、全身で試みるのだ。
小原眞紀子
第二十三回 相場を張るⅠ―逆張りのロジック
さて、テクニカル分析というものを知ったら、実際に100株でも売買してみる。たいていの銘柄の最小単位は100株だけれど、それがいくらになるかはものによる。100株でも何百万円にもなるものは、資金力の乏しい初心者には向かない。100株買い込んでずーっと待っている、というのはテクニカル分析を学んだ者のすることではなくて、チャートで流れを見て200株、300株と追加して買ったり売ったりすることが前提だからだ。教科書では、最大で10~20分割して売買しました、となる。初心者は、5分割ぐらいでトレーニングすることが多いと思うが。
その「初心者」という概念も、どういうものか考える必要はあるけれど。市場に初心者も何もない、と思う。初心者だから、という線引きが思考の自由度を妨げ、結果として永遠の初心者を作り出す、ということはないか。たとえば高校までの国語の授業などを思い出してみよう。子供や学生に向いた本、模範的な文章を基礎として学ぶべき、と押しつけられていたわけだが、それが文学の本質に触れる基礎であった試しはない。セックスや暴力のシーンを注意深く排除したら、本質に触れられない、というのではない。そういうシーンがないもので、本質に触れている作品はいくらでもある。ただ、そういったものを「注意深く排除」している者の存在を微かにでも感じたら、もうダメである。その者の意図やレベルが、すべてのもののレベルを同程度に引き下げる。
結局、学生や初心者をそこに押し込めておくのが都合がよい、と感じている者がいるのだ、ということは頭の隅に置いておいた方がいい。利権かもしれないし、指導する者の能力の限界に過ぎないかもしれないが。とにかく人というものは、ほんのちょっとでも制限を設けられると、まったく能力を発揮できない、ということがある。それを制限もしくは制限を設ける者のせいでなく、自分のせいだと思ってしまうのが、いわゆる「初心者」の定義として一番相応しいかもしれない。
それで初心者というか、「慣れるまでは」という言い方で推奨されるのが、いわゆる順張りというものだ。ごく普通に、上げトレンドのときは買い、下げトレンドのときは売る、というやり方である。この「売る」というのを買った現物を手放す、と考えると、下げトレンドのときはノーポジション、ということになる。そういうやり方もあるが、一般的には「売る」というのはショート、すなわち空売りである。空売りもまた、初心者にはなんとなく禁じられているものだが、その理由らしい理由は見つからない。
先日、証券会社のお兄ちゃんが「空売りは初心者には危険だから」と言うので、よく聞いたら、その証券会社では一千万円以上の残高がないと、空売りの口座が作れないそうである。それは確かに危険である。そこの証券会社が潰れるかもしれないし。まあ一般には、上げトレンドのときに買いで利益を上げられる投資家なら、下げトレンドでショート(空売り)ポジションを持たなければ、チャンスが半減すると考える。あえてショートしないのは、空売りの手数料だけが異様に高いとか、為替のスワップ金利がショートの場合に負担になるとか、そういう場合しか考えられない。
順張りという概念がある以上、逆張りとよばれるものも存在する。これはいわゆる初心者厳禁といわれるもので、空売り禁止よりは納得できる。言葉の通り、トレンドの逆をいくもので、上げトレンドのときに売りを仕込み、下げトレンドのときに買いを仕込む。プロが本気のときに使う手法で、テクニックもさることながら資金がいる。もうすぐ下がる、と思って売りを仕込んだのに、どんどん上がっていってしまう、というのはよくあることだ。含み損がたとえば何千万円になったとして、それでも強制決済されないためには、億の資金を口座に入れておけばよい。それだけの資金と、含み損をものともしない度胸を持つプロの手法である。
しかしながら、ここでの度胸というのは、根拠のある自信のことだ。蛮勇をふるう、という意味ではない。根拠とは、上がったものは必ず下がる、という摂理である。なぜなら人が買うから上がるのであり、人が買うのは売って利益を得るためだからだ。だから理屈からすると、この逆張りは負けない。絶対に負けるはずのない手法だ。ただ人間のメンタルも資金も限界というものがある。狙ったポイントを抜けて、そこでトレンド転換が起きなかった場合、やはり立ち止まらざるを得ない。アベノミクスのときは確かに、どこまでも上がり続けたのである。買った人が売って、それをまた新たな人たちが買っていけば、そういうことも現実に起き得る。そういった現実との折り合いをつけながらやっていくしかないのは古今東西、森羅万象に通じる。その折り合いこそが経験とプロの技なのだろう。
滅多に起きない、そんなリスクの回避方法に集中するのは実際に戦うプロにまかせて、我々としてはそんなプロが通常、逆張りでどのように勝つのか見たい。プロの逆張りはトレンドに反する玉(ぎょく)をただ仕込んで、トレンド転換するまでじーっと待っているわけではなく、たとえば売り仕込みなら、上がるにつれて倍々で売り玉を仕込んでいく。たとえば株価8000円付近で下げると見込み、7560円で1万株の売りを仕込んだとしたら、さらに8000円に近づいたところで2万株の売り、さらに上がったら4万株の売り…というように。含み損に耐えつつ、倍々で増える仕込みにさらに莫大な資金が必要になる。それで下がりはじめると、より高いところでより多くの売り玉を持っているわけだから、たとえ意に反してちょっとしか下がらなくてもかなりの利益が得られる。暴落などしようものなら、素晴らしいことになるのである。
ここで我々シロートが思うのは、だったらもっと8000円に近づいてから、いっぺんに7万株なり、15万株なりを売ったらいいではないか、と。だが、それはできるものではない。人間の心性として、様子を見ながら少しずつやっていくことがストレスを軽減し、つまり現実にたくさんの玉を張ることができる唯一の方法なのだ。さらに8000円ちょうどで下げると決まったわけではない。月足を使った分析などにより相当な確率で下げると見込んでも、その下げが早めに訪れるかもしれない。そんな場合にも、それなりの利益を得るには、やはり早めに玉を仕込む必要がある。かといって、上がっていくときの含み損をそこそこに抑えるには、早めに入れる玉は少量でなくてはならない。価格が上がれば上がるほど、次の瞬間に下げる確率は高まるので、玉は増やしていくべきなのである。
この手法はマーチンともよばれ、FXの自動売買などでもよく見られる。怖いという感情のない機械なら、マーチン手法で決められた通り倍々で掛けていくことに躊躇しないだろう。しかしながら、マーチンを使った自動売買ツールは飛ぶ、とわたしは思っている。飛ぶとは、資金が足りなくなり、強制ロスカット、すなわち資金のすべてを失うことを言う。無限に証拠金があるならトレンドが反転するまでかけ続ければよいというのは前述した通りだが、入金した額を効率よくまわせるようにレバレッジをかけるプログラムになっているから、わりとすぐに証拠金不足となる。人間なら怖くなってやめるところも、機械は無言で突っ込んでいくのだ。そこを手動で調整しつつ、となったらそれは自動売買ではない。最初から裁量でやった方がよい。
結局、市場とは膨大なメンタルの集積である。実際にはツール全盛であり、FXなどは銀行間取引の動きを察知できなければ勝てない、とも言われているが。いずれにしてもプロは機械のように感情が麻痺しているがゆえにプロなのではない。市場に自身のメンタルをすり合わせる術に長けた者こそが、テクニカルの優れた使い手とよばれるようである。
小原眞紀子
* 『詩人のための投資術』は毎月月末に更新されます。
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