社会は激変しつつある。2020年に向けて不動産は、通貨は、株価は、雇用はどうなってゆくのか。そして文学は昔も今も、世界の変容を捉えるものだ。文学者だからこそ感知する。現代社会を生きるための人々の営みについて。人のサガを、そのオモシロさもカナシさも露わにするための「投資術」を漲る好奇心で、全身で試みるのだ。
小原眞紀子
第十七回 事業投資II――革命のエチュード
もし今の時点で自慢できること、恵まれていることを一つ挙げよと言われたら、若い友人が比較的多いことだろうか。週一とはいえ大学で教えているのだから当たり前と思われるかもしれないが、それは違う。学校で勉強するのはわりと好きだし、教えることでしか学べないこともあってありがたい。が、学校組織、いわゆる学校友達、学校の先生は好きではない。一般論だが、教師ほどつまらない人種はないと思う。
自分が属するのは文芸創作学科というところで、それでなんとか保ってるのだけれど、創作すなわち物を作り出すことに関心のある人々については、職業に貴賤はない。学生という存在もいったいに嫌いだが、それは彼らが甘いからだ。物を作り出すことに直面したときのシビアな痛み、それで鍛えられれば変わってくる。ただ小説らしきもの、詩みたいなものでは、成長するのに時間がかかる。書くだけではダメで、打たれに打たれて吐くほどの思いに耐えなくてはなるまい。
それで、わたしの若い友人と呼べるのは、起業家やそれを志す人たちが多い。まだ学生の身分からちょっと歳下までを若い友人と呼ぶなら、その達成度や成功の度合いも幅広くて、よく知られた会社の社長までいるが。まあ、見ていて面白いし、もちろん向こうっ気の強い人たちである。
先日、なかでも若い、大学生の男の子から新しいビジネスのアイデアを聞いた。起業コンサルタントに付いてもらったそうで、わたしにそのコンサルに会ってほしいと言う。40歳手前のコンサルタントさんが自作のラノベを出版したいと考えていることと、大学生のビジネスのアイデアがやはり出版業界に関わるものだったからだろう。若い彼はそのコンサルタントに心酔していて、わたしと気が合うに違いない、と言う。
そのコンサルもまた、有望な若い友人の候補たり得るのだから、できるかぎり接点を持とうとしたのだけれど、結果的にはあまり気が合わなかった。一番のズレは、彼が大学生に言っていたことと、わたしに対して言うことが違っていたことだったから、わたしはそのまだ可愛い大学生の友人に「あの人はあまり信用しない方いい」と言った。するとその坊やの怒るまいことか。何も知らないくせに、というわけである。
そういうのが若い友人のいいところで、これが教室の学生なら、先生に何か言われても黙っている。かといって腹の中で納得しているわけではなくて、さらに話す機会を与えないだけだ。まあ、そもそも我々が20代の人と違うのは、いろんなことを一瞬で見切るところだ。それは問答無用の経験則に基づくから、若い人が納得できないのも無理はない。そして自分が信頼する人を一言で批判されて、怒り出さないような若い男に将来はないのである。
坊やも今にわかるからいいのだけれど、人間関係はともかく、起業コンサルティングという点でも引っかかることがあった。漫画家をフィーチャーした彼の事業企画は、最初から問題点が明白だった。それはわたしが出版業界のことを多少は見知っているから気づいた、というのでもない。どんな世界にも既成の利権はあり、同じアイデアを簡単に実現してしまう大資本が存在する。だいたい起業のプロならば、企画のどこがその成否を決める最大のネックなのか、すぐにわかりそうなものだ。融資の引き方を教えたり、立派な企画書をこしらえたり、そういうことで時給のフィーを取る前に、まず検討させるべきことがあるのではないか。法人を作り、融資を受けるばかりになった起業家気分では、たとえビジネスの中心部分が頓挫していても、代わりのアイデアを見つけ出そうとする。しかし起業のアイデアというのは、そんな簡単に置換可能な、どこにでも転がっているものなのか。
どうしてもこれをやりたい、絶対うまくいく、という決意の起業が資金調達するルートはいくつかある。まず銀行や公的機関から融資を受ける、また新興市場に株式を上場するもの、クラウドファンディング、仮想通貨でICOやIEO、これからならSTOを行うとか。
そして金にまつわるよくあることとして、手段が目的化する。事業を行うために必要だった金のはずが、それを集めるのが目的となる。集めた金を着服して、事業を行わないことが最初から明白なら詐欺だが、そこがグレーであるものがほとんどだ。いずれ言えることは事業にリアリティがない、考え抜いた痕跡がない。そういうものは投資家に損失をもたらすから、結果は詐欺と同じだ。
ただ若いコは、何をしたいではなく、ボクがどうなりたいという望みの方が切実だ。それも一種の手段の目的化で、そこへ公的機関が型通りに融資し、ポシャっても返還義務はないという。起業コンサルに授けられた知恵で、法人化した甲斐があった、というものだろうか。税金を飛ばしても罪悪感は感じなくて済むらしい。金の流れとしては、そのコンサルの懐に入るフィーに化けたことになるが。
アイデアという名の思いつきに出資させられるのは、個人であれ国であれ、いい面の皮だけれど、一世一代の悲願を達成したいのだ、と言われても困る。最近の若いコは、かつてのテレビ番組『マネーの虎』を知らないかもしれない。ほとんどの起業アイデアは素人の独りよがりで、他人から金を引っぱる重みと難しさを伝えるという点では、まあよい番組だった。
戦略コンサルタントの渡辺一誠さんはインタビューで、「起業家がビジネスモデルを考えるのはナンセンスだ」と言われた。考えたところで、どうせ穴だらけになる。起業家のアイデアが思いつきでなく、それなりの背景や過程があるほど、長期の見通しという名の希望的観測にどうしても偏る。詐欺でなく本気なのだから、話を聞かされた投資家も巻き込まれてしまう。成功までが気が遠くなるほどの長期に至らないために、プロフェッショナルな戦略コンサルタントが必要となる所以である。必ずしもしなくていい起業へと素人を煽るコンサルとはフェーズもレベルも異なる話で、コンサルタントという名称で呼ぼうと呼ぶまいと、いずれ誰かが引き受けねばならない仕事だ。起業家やその組織の従業員にできるというなら話は別だが。
■リーダー 渡辺一誠さんのインタビュー■
前回述べたように渡辺さんを中心に、詐欺取引所の被害者グループを最初の投資家とした、興味深いプロジェクトが進んでいる。このグループでの情報共有、その他の人たちへの発信と、通常は機密保持契約を結ばされる戦略コンサルティングであるが、例外的に全貌が開示されつつある。前述したように、取引所機能はこのプロジェクトのごく一部であり、全体像はすぐに把握できないほど大きなものだった。渡辺さんの思考法から推測するに、最初から大プロジェクトだったのではなくて、考えられるリスクを徹底的に埋めようとしているうちに、むしろ構えがどんどん大きくなっていったのではないか。
今となっては笑ってしまうが、わたしは当初このプロジェクトを、あるゲームの仮想空間における不動産の権利を売買するものだ、と思い込んでいた。「うちの社員がさっきアメリカ買ってきました〜」という渡辺さんのコメントが印象的だったせいだが、その機能もまた、もしかしたら組み込まれるかもしれない一部にすぎなかった。そもそもそんな企画だけなら大コケしたICOにいくらでもありそうではないか。A-Lifeと呼ばれるこのプロジェクトの背骨は、様々なサービスで使われているポイントを通貨のように一元化し、他人に送ったり、別の商品を手に入れたり、またそれを種銭として投資や運用ができるようにするものだ。
この参加者の中にも、「同じプランをよそで聞いたことがある」と言っていた人がいた。ホリエモンもかつて「Tポイントをブロックチェーンにしなかったのは大失策だ」と批判したぐらいだから、ポイントに注目しているプロジェクトは多いだろう。そもそも聞いたこともないアイデアはない、と思った方がいい。もしアイデアのオリジナリティが売りならば、漏れた途端に大資本にしてやられる。
では、この件について何が一番面白いかといえば、描かれた未来の地図に、現存するサービスが組み込まれていく3Dパズルのわくわく感そのものだ。「飛び出す絵本」が好きだった向きにはたまらないだろう。それはインチキ取引所で価格操作をして架空の価値を捏造することとは違う。数字が好きならそれにも興奮するかもしれないけれど、この世界をパズルに当て嵌めていく楽しさとは比べものになるまい。それが本来の事業投資というもので、ある程度組み上がれば、アイデアを盗んだくらいでは誰にもどうにもできなくなる。A-Lifeの箝口令が解かれているのもそういうことなのだろうが、しかし事業を前に進めていくのにはエキサイティングなゲーム的面白さだけでは不十分だ。本当に人を前に駆り立てるのは、自分にしか見えていない大きな、大きな見通しだ。
「世の中を変えたい。革命を起こしたい」と、渡辺さんは言っていた。なんのこっちゃ、と思われてよいと思う。革命は実際に起こるまでは、なんのこっちゃかわからない。そして大事なのは「変える」ことだ。特定のプロジェクトに固執することなく、ときにはそれを大資本に売却する。それは起業コンサルが言うような自分たちが「売り抜ける」目的ではなくて、さらに世界を大きく変えていくための方途である。
小原眞紀子
* 『詩人のための投資術』は毎月月末に更新されます。
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