社会は激変しつつある。2020年に向けて不動産は、通貨は、株価は、雇用はどうなってゆくのか。そして文学は昔も今も、世界の変容を捉えるものだ。文学者だからこそ感知する。現代社会を生きるための人々の営みについて。人のサガを、そのオモシロさもカナシさも露わにするための「投資術」を漲る好奇心で、全身で試みるのだ。
小原眞紀子
第十六回 事業投資I――夢の仮想通貨取引所
ICO投資とよばれるものが仮想通貨に関連すると知っている人もいるだろう。仮想通貨投資は大きく2つに分けられる。ひとつはビットコイン、イーサリアム、リップルなどすでに存在が認められて市場での値動きがあるものを売買すること。これは値動きの激しい株式や商品先物CFD、外国為替FXを取引するのとさほど変わらない。税制が違うので注意が必要なだけである。もうひとつがICO投資。イニシャル・コイン・オファリングというもので、株式のIPO投資とよく比較される。
以前に書いた通り、IPOは新たに市場に上場する予定の株式を入手し、初値が上がったところを売却するのが一般的だ。人気のIPOはほぼ確実に値上がりするので、入手さえできればこれほどおいしいものはない。A級のものはなかなか回ってこないが、すなわちその需給ギャップによって値上がりするのだから仕方ない。それだけ厳しく幹事の証券会社グループ、業界によって管理されているということだ。
株式を仮想通貨に置き換えたICOは仮想通貨を株式代わりとして、その仮想通貨を使った新たな事業に投資するものだ。2018年初めまで上場後4、5倍を推移するものがめずらしくなかった。そこから数十倍、百倍という案件もあった2017年に比べると落ちた感はあったが、その後のひどい現状を誰が予想しただろう。しかしながら相場は、とりわけ若い相場は万事オーバーシュートする。経験の浅い若い人の欲望がオーバーシュートするのと同じである。思いつきのプロジェクトを書いた紙切れ一枚と簡単に作れる仮想通貨で、何億、何十億円もの資金が集まり、事業が頓挫したと言えば返金義務もない。詐欺師とすらいえない程度の無能者が無責任に金を集めて逃げるには、もってこいの市場となった。
その被害については、無能といえども責任者を炙り出し、追及すべきことは明白だ。では投資という観点から見たとき、ICOとはまったく無意味な徒花だったのだろうか。ICOの投資家たちは、それと関わりのない人たちが言いたがるように、単に二匹目のドジョウを夢見ただけの愚かな欲張りだったのだろうか。
わたしは、どんな投資は3年もじたばたすれば目鼻がつく、と楽観している。じたばたというのは問題解決に向けて努力したり、辻褄の合うように算段したりという生産的な模索をいうので、感情的に騒ぐという意味ではないが。失敗してない投資でも3年ほどで黒字化するもの、3年で投資金回収できるものと差はあれど、石の上にもとはよく言ったものだ。3年の忍耐は、ほぼ何にでも当てはまる日柄である。
失敗したと思われる投資が日の目をみる、というのはもちろん、必ず3年でプラス転換するということではない。ただ3年間の努力や分析があれば、少なくともその失敗の意味が明らかになる、必ずしも100%の失敗とは言い切れないと感じられるようになる。株価チャートが象徴的だが、すべては波の如く浮いては沈むもの。何が成功で何が失敗かは、いわばそのときの当事者の気分であり、短期的な損得の感覚、すなわちエゴに過ぎない。大きな流れを見失わずに3年も調整を続ければ、いずれうまくいくのではないか。ただ、ここでの「大きな流れ」は、どこまでの川幅になるかわからない。新技術をともなうもの、小さな市場、新しいジャンルの投資なら、それが思わぬジャンルの越境、考えてもみなかった展開をともなって結果的に回収・黒字化・成功へと進んでいく、ということがあり得る。最新のフィンテック、身内案件、一般にあやしいといわれるようなものは、だから面白い。
とはいえ面白がってばかりもいられないし、みすみすやられるのも不愉快である。紙切れ一枚の夢でない、実体のある事業のICOになら、と思われるものの代表が、取引所の発行する独自通貨のICOだ。証券会社同様に日々仕事をしているのだから、その収益というキャッシュフローもあるだろう。取引所コインの価値がゼロになることはまあ、あるまい。ICOというものを、われもしてみんとてするなり。ただし怖いから取引所コインだけね、という考えは一見、なかなか賢そうだ。
そんな投資家たちの熱い視線を浴びていた、ひとつの新しい取引所があった。カッコいいデザイン、ナスダックとの提携、株式を仮想通貨にして取引する仕組み、ターボという新しいタイプのFX、ブルームバーグのスポンサーとなってメディアにも盛んに登場する。しかし確かに、当初からおかしなところはあった。超有名サッカー選手がその取引所のカッコいいロゴの入ったシャツを着ている写真が合成だとか、ホワイトペーパーへのアクセスがほぼ日本からしかないとか。だから絶対詐欺だと、投資を思いとどまらせようとする親切な人もいた。だけど皆、たいして気に留めなかった。すべての案件に対し、詐欺呼ばわりする人が必ずいたからだ。
結論から言うと、夢のようにカッコいい取引所は幻、というよりゴミであった。係争がらみにもなろうから、あまり憶測では言えないが、やむを得ない倒産と断定しきれない部分もあろう。またしても多くの日本人被害者が出て、その被害者の会ができて、というところまではご多分に漏れず。ところが予想外の展開はその後である。その後といっても、取引所の倒産からまだほんの数ヶ月しか経ってない。誰も考えもつかない劇的な出来事が、それも人知れず始まっていた。
被害者の会といっても、ホームページひとつで、皆でわぁわぁ文句を言っているだけ、というところが目につく。誰かが司法にはたらきかけてくれているのだろう、と期待しながら動かない人がほとんどだ。被害者の会はガス抜きの役目しか果たさず、なかにはそれを狙って加害者側がこっそり被害者の会を立ち上げ、文句や情報が集まりきったところでホームページごと畳まれて終わり、ということもある。実際、弁護士費用を負担して原告として立つ人の数はほんの数人に過ぎず、彼らの正体もよくわからない。
その倒産した仮想通貨取引所に対する被害者の会のコアなメンバーは、二十人を数えた。これでもかなり多い方だろう。それだけ怒りが強かった、というだけではない。ここではリーダーを中心に、ちょっと前例のない、面白すぎることが始まっていた。夢見た取引所がとんでもないゴミクズと化したのなら、自分たちが協力して素晴らしい取引所でも何でも、作ってしまおうという。
もちろんそんなことはいつでも可能なわけではない。そのリーダーがたまたま、そういうことができる立場と能力を備えていたという。それは非常な偶然、僥倖に思えるが、実際のところ仮想通貨のような小さな市場ではプロやセミプロ、運営と近い人、インサイダーが一般人に混ざって点在している。ここで面白いのは、普通の誰もがそうするように、その立場を利用して自分だけどうこうしようとするのでなく、皆の立ち会いのもとで理想を実現してしまおうという試みだ。訴訟より何より、それが最大のリベンジではないか。
■リーダー 渡辺一誠さんのインタビュー■
まるで映画にでもなりそうな話だ。ただ、それが起きてしまう可能性があるのが新しいジャンルなのだ。仮想通貨だから、というより生まれたての赤ん坊のような起業ジャンルには、そういう夢みたいなプロジェクトが発生する面白さがある。
ただ、上記のインタビューを終えても、わたしにはまだひとつの大きな疑問があった。これほどの戦略を練ることのできるプロフェッショナルであるこのリーダーが、なぜ素人同様、潰れた取引所プロジェクトの脆弱さを見抜けなかったのか。なぜ初期段階で、プロとしてのデューデリ(調査)をかけなかったのか。
その問いの答えは、渡辺さんが関わる取引所プロジェクトのあまりにスピーディーな展開にあった。わずか2ヶ月半でソフトローンチにこぎつけ、しかも最新技術によって驚くべき流動性を示している。あの潰れた取引所のICOから1年半もの時間は何だったのだろう。すなわちリーダーの渡辺さんにとっては、この程度の案件がうまくいかない、ましてや詐欺的行為をはたらくなどということ自体が想定外。普通にやればちゃんと儲かるのに、なんだって投資家を裏切る必要があるのか…? 実際のところ、詐欺が生まれる土壌とは、マンガや小説で描かれるすぐれた「悪賢さ」などではなくて、ほとんどの場合が「無能」なのではないか。
興味深いのは、この新しい取引所は、単に取引所として機能するためのものではない。これは大きな、もしかしたら社会をちょっと変えるかもしれない、大きなプロジェクトの一部に過ぎないという。たとえば広大な大学キャンパスを人力車が走り回るとしたら、その人力車を整備したり予約するためのセンターが必要になる。この取引所は一義的には、プロジェクト内をめぐる血液のようなプロジェクト独自トークン(コイン)を取り引きし、プロジェクト全体を推進させるためのものだ。同時にこの取引所の登録ユーザーになることは、どこまで成長するかわからない、生まれたてのプロジェクトの進捗を見守り、その先行者利益を得ることにもなるという。すなわち取引所の概念も、半年や一年の間に変わってしまうのだ。ただ変わらないのは期待と信頼、わたしたちには夢の受け皿が常に必要だ、ということである。
小原眞紀子
* 『詩人のための投資術』は毎月月末に更新されます。
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