社会は激変しつつある。2020年に向けて不動産は、通貨は、株価は、雇用はどうなってゆくのか。そして文学は昔も今も、世界の変容を捉えるものだ。文学者だからこそ感知する。現代社会を生きるための人々の営みについて。人のサガを、そのオモシロさもカナシさも露わにするための「投資術」を漲る好奇心で、全身で試みるのだ。
小原眞紀子
第六回 不動産――様々なる大家 Ⅰ
寄り道が続いたが、やっと王道の不動産にたどり着いた。しかし王道って、何が王道なんだろう。まあ誰もが知ってる、アパートを借りたことがある、という意味で。とりわけ昔の賃貸物件持ちは大家さん、すなわち地域の資産家として認められていた。不動産投資が王道とイメージされるのは、この時代に作られたものに違いない。つまりは不動産は代々受け継ぐものだ、と。新しい物件に投資するとは、お金持ちが手持ちの物件からの収益を貯め、その有り余る現金で買う、と。
わたしもそう思っていた。お金を貯めて、不動産を買って、大家さんになって「アガリ」だと。その間違いに気づいたのは、大家さんたちが集まる物件見学会や食事会に顔を出すようになってからだ。そう、物件も持ってないのに『大家の会』に参加したのである。それも厚かましさと時代のなせる技、Facebookというやつで招待してもらう。今もわたしのFacebook友達はモノ書きなんぞより大家さんが多い。皆さん親切で、いろいろ教えてくれる。特に最初に参加したときは大勢に羽交い締めにされた。オリンピック終わるまで買っちゃダメっ、と。大丈夫、買えませんから(笑)。とりわけ不動産がいかに怖ろしいか気づいた、今となっては…。呑気で羨ましい大家さん、という存在はもはや民話の世界のものだ。
まず、不動産投資は巨額の融資と切っても切れない。融資とは借金である。借金とはお金のない人がするものである、と思ってないか。不動産の世界では、他の大きなビジネスと同様に、融資を引いて事業を起こす。手金はあっても、なるべく使わない。手金は融資を引く際に、自身の信用になる大切なものだから。しかし借りたら金利を払わなくてはならない。金利を払ってでも融資を引くことを最重視するのはなぜか。
そーゆーことを大家さんたちは、ご飯を食べながら教えてくれた。今思うと、大家さんたちとの食事会はいったいにコストパフォーマンスがよくて、美味しかった。男性中心の投資関連の集まりだと飲み放題になるが、普通は呆れるほど貧しい料理しか出てこない。一人5000円では期待できない。証券会社持ちのホテルの立食パーティはまあ豪勢だが、5000円で着席で、それなりのところを見つけ出すのは根気と人脈が必要だろう。大家さんたちは安くて美味しいお店を見つけてくる名人が多い。たしかにそれは「日々の暮らしそのもの」を賃貸に出すという仕事、その余裕と豊かさからかもしれない。
食事会などの世話役を買って出る大家さんは、なかでもお金持ちのリーダー格だけれど、必ずしも代々の素封家というわけではない。一代で財を成した人たちもいる。きっかけは金融だったり、最初から不動産だったりと様々だが、共通して言えることは皆、融資を引くことのプロだ、ということだ。借金をするプロだ、というのは間違いだ。物件が存在するのだから、それへの共同出資者を見つけるプロと言うべきだろうか。しかしフルレバといって全額を融資で賄うのがよしとされるのだから、自分が提案した賃貸ビジネスに対して銀行に出資させる、その手腕と信用を誇りとする、と言うのが正しい。頭金を2割出せ、3割出せと言われるのを沽券にかかわると思う大家さんもいる。
フルレバという言葉からわかるように、融資を受けるということは、レバレッジを効かせるということだそうだ。つまり足りないからするのが借金だが、融資を受けるとは資金を増やしたようにして運用すること。たとえば一千万円持っていたとして、それでワンルームマンションを買えば、そこからの賃料は入る。話を簡単にするのに修繕費や空室リスク、物件価値の下落はないとして、利回りが年10%なら10年で出資金を回収できて、物件も残る。一方で、もし一千万を持っている人が銀行から一千万円の融資を引いてワンルームマンションを買い、さらにその物件を担保に一千万円の融資を引いてもう一つワンルームマンションを買えば、賃料による返済が終わる10年後には2つの物件が自分のものになり、リスクフリーになる。不動産投資を始めて3年で10物件も所有する「成功者」とは、様々な銀行と交渉し、融資をまわしてゆくことに成功した人なのだ。
そうすると、なんだか不思議な気がしてくる。不動産投資はそれぞれの物件に個性があり、当然のことながらオーナーには愛着もあり、というものだろうと素人は思うが、なんかそうでもないみたいだ。物件の固有性は利回りやリスクに関わるもので、出口すなわち売却を前提として購入する。あまり頻繁に転がし、すなわち売買を繰り返すと税金面で不利になるが。さらに銀行も転売を嫌うという。彼らは不動産「投資」に出資するとは言わない。形式的なものだが、安定して金利を払ってくれる「事業」に対して融資する、というタテマエがある。
そんなわけで(どんなわけだ?)大家さんたちとの食事会はいったいにご飯は美味しいけれど、あまりエキサイティングなことはない。皆、聞けばぞっとする額の負債を抱え(抱え、かな?)ているが、しかし自身でなく物件が淡々とそれを返済している。何事もなく、それが進むことが一番の幸せだ。大家さんたちがのんびり、自分のことだけにかまけて過ごしているのは、あるべき理想を体現しているのかもしれない。物件を他人に貸すとは、実際には自分ではどうすることもできないストレスを抱え(これは間違いなく、抱え)ることだ。滅多にないことだが、あるアパートでは女子大生が殺害され、犯人は放火して逃げた。わたしたちはニュースで、気の毒な美人女子大生と憎むべき犯人の面しか見ないが、そのアパートの大家さんは当然のことながら融資を引いておられ、自己破産されたという。
見かけほど呑気かどうかはともかく、基本的には自己完結の世界に生きる大家さんも、たまに不動産価格が高騰すれば、ささっと手仕舞いしてキャピタルゲインを得る。が、高騰時にはそれ以上は動けず(オリンピックが終わるまで買っちゃダメ!)、増えた手金で再び大きく融資を引くチャンスを待つしかない。本当にエキサイティングな瞬間は、不動産価格の高騰よりは暴落時に訪れる。語り継がれる伝説として、西武の礎を築いた創業者が東京大空襲の最中、東京の土地を買いまくった、というのがある。尊敬していいのかどうかわからない、並みの神経ではないわけだが、それでも揺るがぬ確信がなければできないことだ。目の前の状況を相対化できる視点は、見習いたい。
食事会で出会ったある女性投資家も、あの3.11の原発騒動の真っ最中に赤坂の一棟建てマンションを購入した。皆が東京から逃げようか、と震えていたときに、である。その物件は都心なのに利回り9%をマークしている。(安く購入すればするほど表面利回りの数字は上がる。)この方はわたしと歳は変わらないが、大家さんにはめずらしく圧倒されるほどアグレッシブである。金融機関の出身であること、それとむしろ女性であることが理由かもしれない。不動産投資の世界でも、業者は男ばかりだ。女だと思ってナメられてはならない。甘く見られたらロクなことはないのである。
一方でアグレッシブに展開していても、ごく穏やかな投資家もいる。結局、その方からビジネス用の物件を借り(つまり、わたしの大家さん)、お世話になっている男性は、怒ったのをあまり見たことがない。しかし穏やかだから甘い、ということではない。先の3.11で購入された赤坂の一棟建てマンションの話をしたら、「ふーん、でも3.11のときは意外と下がらなかったんだよねー」と言われた。この男性はリーマンショック直前に、何かイヤな予感がして外資の証券会社を退職された。で、文字通り大暴落した都内のオフィスビルを6棟一気買いされたが、その都心のひとつの利回りなど驚くなかれ14%である。その辺の顛末を書籍で出されて、講演などもする。あるサラリーマン大家さんが「僕の憧れの人だ」と言っていた。サラリーマンといってもごくプライドの高い銀行員である。(ちなみに銀行員の副業は、不動産投資にかぎって認められている。)
大家さん業と言えども投資であるからには、追い詰められて勘が冴えわたる瞬間はあるだろう。大家の鑑たるべき境地を導くものも、鏡のように静かな心境、なのかもしれない。
小原眞紀子
* 『詩人のための投資術』は毎月月末に更新されます。
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