社会は激変しつつある。2020年に向けて不動産は、通貨は、株価は、雇用はどうなってゆくのか。そして文学は昔も今も、世界の変容を捉えるものだ。文学者だからこそ感知する。現代社会を生きるための人々の営みについて。人のサガを、そのオモシロさもカナシさも露わにするための「投資術」を漲る好奇心で、全身で試みるのだ。
小原眞紀子
第五回 IPO――年忘れソフトバンク祭りⅡ
さて、ソフトバンク携帯電話会社IPO騒ぎの続きである。
が、この1ヶ月の間に、例のアービトラージ詐欺と思しき案件に動きがあった。わたしが担当者と電話で話したやつで、どうやら飛んだ。例によって突然ではあるが、「年末から3ヶ月間のメンテナンスで出金しにくくなる」というアナウンスがあったらしい。良心的というか、それで元本以上に出金しておいた人たちもいる。わたしを勧誘した男女二人が、まさにそうである。これら少し前から始めていて、リスクを顧みる余裕があった人たちは逃げ切れている。ババを掴んだのは、彼らに勧誘されて後から参入した人たちだ。では逃げ切れた人たちは小躍りしているかというと、やはり落ち込んでいる。今や億万長者、の自己イメージが崩れたので。そもそもそれが画面上の空疎な数列に過ぎなかったと納得するには時間がかかる。それでもプラスで終えた人たちがいる以上、詐欺として立件されにくくなる。ポンジスキームに違いないのだが、そこまで考えての「良心的」なアナウンスだろう。
このことからも、大切なのは逃げ足だ。わたし自身、逃げ足が速くはないので自戒を込めるのだけれど、でも結局、納得いかなければ逃げることはできない。行動の結果をしかと確認しなければ、何もわからないまま、同じことを繰り返してしまうからだ。人より速く逃げられる、というのは人より経験を積んで、それで見切るのが早いということにほかならない。
それで、ソフトバンク携帯電話会社のIPOである。最寄り駅までやってきた中堅証券会社の担当者は、どうしますか、と当然訊く。「ぎりぎりまで、金曜まで待って返事します」と答えた。待ったからどうとも思わなかったが、まあ、なんとなくだ。何であれ、判断を下すというのはエネルギーがいる。
が、木曜の午後に、担当者の上司から電話があった。「どうしますか?」。金曜って言ったのに、でも金曜午前中で締め切りだから、もう決めないと都合が悪いのかな。そんなふうに思って、「では全力で」と返事した。半分も当たらないそうだし、まあいいやと、これもなんとなくである。証券マンの上司は、わたしが考えていたより多くの預託金があったこと、そこにさらに追加入金するという建前で、全力以上に申し込みをさせること、なぜならその方が多く当たるから、と言って電話を切った。ちょうどその日、ソフトバンクの通信障害で、日本中のビジネスが(プライベートも)半日も滞る大騒ぎになっていたことを知ったのは、その木曜の晩のことだった。
それをもって、証券会社に謀られたと思ったわけではない。ただ、このIPOはあまりに不運続きだ。政権は各キャリアに携帯料金の値下げを迫り、まるで狙いすましたよう。ソフトバンクは15兆円の有利子負債を抱え、サウジアラビアからの出資を受けるが、その王族が事件に関与する疑いが浮上するし、相場は下げているし、ここへきての大規模な通信障害である。通信障害そのものはソフトバンクのせいではないが。またPayPayというスマホ決済サービスが100億円還元キャンペーンを張っていたところ、クレジットカードの不正利用があり、PayPay登録者以外にも被害が広がった。このPayPayはソフトバンクとヤフーの合同出資会社である。わたしは基本、ノンポリだが、社会不安を起こすような企業は絶対に許せないと思っている。しかも原因は、あまりにもお粗末なセキュリティだ。クレジットカードの裏に書かれたセキュリティコードを総当たりで破れるようになっていたという。たった3桁の数字のコードを突き止めるのに、1秒もかかるまい。それを防ぐにはただ、入力ミスが何回かあればロックするようにしてさえおけばよかったのだ。
このPayPayの一件は、今回IPOを行うソフトバンク携帯電話会社とは直接関係はないといえばないのだけれど、個人的に一番冷めた原因になった。最初から熱くはなかったけど。なんと言うか、ソフトバンクってどういう会社か、思い出したというか。社会不安を起こすものへのアレルギーがあるのは、とにかく平穏に暮らしたいからだ。人に喧嘩を売るのはいいが、社会不安を相手に立ち回る気はない。そんなところでエネルギーを使っていたら、個人は人生を棒にふってしまう。
だから企業は、社会の安全を守る最低限の義務がある。製造業も、情報通信サービスも、実業であればその根幹に関わるセキュリティの要はあるはずだ。それに対してこんな初歩的なミスを犯すのは、その会社の本質が実業にはない、実は何に対するこだわりもない、ということだ。ソフトバンクについて言えば、ただIPOをはじめとする資金集め以外には。
孫社長は面白いし、投資家として立派な人だと思う。日本の社会にきっと言いたいことが山ほどあるだろう。でもソフトバンクという会社の体質は、昔からしっくりこない、共感できない。それは差別なんかじゃない。
今回、さらに日米の合意で中国の通信事業者ファーウェイを排除することとなり、次世代5Gと、もしかすると現状の基地局もすべて見直しとなって、ソフトバンク携帯電話会社には重いコストとしてのしかかる。それも単なる不運だろうか。政権が通信料金値下げを言い渡したタイミングも、もしかしたら本当に狙いすましたのではないのか。しかし、いまや日経平均を動かすソフトバンクグループだ。イジメにあうわけもない。めぐり合わせというものだろう。
で、わたしの申し込んだソフトバンク携帯電話会社のIPOは、全部当たったという。追加分をのぞいた全資金分。生まれて初めての万株が、ソフトバンク携帯電話会社のジャブジャブIPO。そんなこと、あっていいはずがなかろう。
わたしは中堅証券会社に電話して、IPO参加のキャンセルを申し出た。こういうときの人の態度の豹変ぶりは、いつもぞっとする。キャンセルはできない、といわく言いがたい口調で言うのだ。そんなはずはない。ネットではボタン1つでキャンセルできるのだから。わたしはその証券会社の監査部に電話し、全資金より多く申し込まされたと訴え、支店に再度電話して、全資金の即時引き上げを申し出た。担当者はこちらへ向かっているという。来なくていい。「おっしゃるように、ソフトバンクIPOは高騰するんでしょうね。それを買えないんだから、向いてないの。もう株はやめます。いつ出金できます?」
わたしとしてはかなり決然と、迷いなくやれたことだけれど、これが日本中でみられたらしい。店頭配分の客は担当者との人間関係から、なかなか逃げ切れなかったかもしれないが、ネットではキャンセルに次ぐキャンセルで、しまいには当選株数がいつのまにか水増しされた話まで出た。それでもいかにも玄人ふうに、機関投資家の買い上げ予定があるとか、主幹事証券会社の「誠意」とかを論じる風潮もあって、いやもういい、どうぞシロートとバカにしてくれ、とにかく逃げるのだ、といった阿鼻叫喚であった。わたしはしかし、それらの細々としたtweetに背中を押されたわけではない。これでもそれなりに義理は立てようと、日経の地合いの悪さに備えて少額のオプションを購入しようかとまで考えて、詳しい友人に会うなどしていたのだ。
結局、決めたのは肉体感覚的な予感、それとある経済記事で、年配の大口投資家が「あまりにもゲンが悪すぎる。わしらはゲンを担ぐんじゃ」と言っていた、というそれであった。これこそプロの物言いだ、と思った。かっこいいし。
あれこれ考えつくしても、しのごの議論しても、最後はそれに尽きる。なぜならゲンとは、今ここに至ったすべてが現れたものだから。ゲンが悪いのは、誰が悪いのか。運が悪いのか、社会との相性が悪いのか、わたしたちが不義理なのか。それを言うなら、そもそもソフトバンクIPOはなんであんなにジャブジャブなのか、公募価格がなんで1500円もしたのか。孫社長は日本の市場で資金調達することをどう考えているのか。孫社長が好きで、ソフトバンクユーザーで出資した人たちに損をさせたくないとは思わないのか。孫さんは日本人を愛しているのか。そんなモヤモヤも何もかも、すべてが溶け合ってゲンというものを形作る。
ソフトバンク携帯電話会社のIPOの初値は、公募価格割れの1,463円。各主幹事証券会社が課せられた「誠意」から割り出されていた最低限の数字と、ぴったり一致していた。もし割れたりしたら大変なことになる、という話だったが、別にそうでもなさそうだ。
小原眞紀子
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