イケメンチンドン屋の、その名も池王子珍太郎がパラシュート使って空から俺の学校に転校してきた。クラスのアイドル兎実さんは秒殺でイケチンに夢中。俺の幼なじみの未来もイケチンに夢中、なのか? そんでイケチンの好みの女の子は? あ、俺は誰に恋してるんだっけ。そんでツルツルちゃんてだぁれ?。
早稲田文学新人賞受賞作家にして、趣味は女装の小説ジャンル越境作家、仙田学のラノベ小説!
by 仙田学
第二章 ふらのスペシャル★ランチボックス(後編)
ブレザーの裾と乱れた襟足の髪を風になぶらせて、両手でふらのスペシャル★ランチボックスを捧げ持ち、天を仰いでいるのは、
「蛸錦。どうしてここに」
「ふら様を泣かせるやつは、おれが成敗してくれるわっっっ」
蛸錦はカっと目を見開いた。
首から提げていた一眼レフカメラのストラップを握り、ぶんまわしはじめる。
「ちょ、おま、危なっ」
悪霊が乗り移ったかのように、蛸錦は俊敏なフットワークで走り寄ってきた。
池王子に上着の裾を掴まれ、おれも屋上を逃げ惑う。
やがて、池王子がすっ転び、おれたちはフェンスぎわに追い詰められた。
「いひひひひ。おほほほほ」
一眼レフをぶんまわしながら、蛸錦はにじり寄ってくる。
口からよだれが垂れている。瞳孔が開いていた。
「わかった。な。それやるから。弁当やるから。勘弁してくれ」
おれの背中に隠れながら、池王子が裏声を張りあげた。
とたんに、蛸錦は真顔に戻った。一眼レフの動きも止まる。
「いいのか?」
「なんなら、おれからお願いしたいくらいだ」
蛸錦はまわれ右をして走りだす。
屋上の真んなかにふらのスペシャル★ランチボックスを設置すると、一眼レフを構えた。
伸びあがったり屈んだりのけぞったり、果ては転げまわったりしながら撮りまくる。
土埃をはたきながら池王子は腰をあげ、
「気が済んだら食っていいぞ」
と蛸錦に声をかけた。
蛸錦はゆっくりとこちらを振り返る。
「いいのか? おれなんかがいただいちゃって。だって」
「あーいーいー。弁当もひとに食われねえと成仏できねえだろうし」
「え? だってこれ、ふら様の」
ごにょごにょ口ごもりながら、蛸錦は一眼レフとふらのスペシャル★ランチボックスを両手に走り寄ってきた。
「いいのかほんとに? まじでいただいちゃうよ。でへへへへ」
おれたちの正面にあぐらをかくと、蛸錦は膝に乗せたふらのスペシャル★ランチボックスに大粒のよだれをしたたらせる。
焼き鮭に玉子焼きにアスパラのベーコン巻きにポテトサラダに白米。
いたってノーマルな弁当だ。
おれがさっき口に入れた、異様な物体はなんだったんだ?
「…………っっ?!」
その瞬間、おれと池王子は同時に身をのけぞらせた。
殴られたように鼻が痛む。
やがて頭の奥に鈍痛が広がり、涙と咳がとめどなくでてきた。
顔の皮膚が痺れだす。
人知を超えた悪臭の源は、ふらのスペシャル★ランチボックスだった。
「いっただっきま~すっ」
「待てっ早まるな」
おれの伸ばした手はむなしく空を切る。
猛烈な勢いで、蛸錦は焼き鮭にかぶりついていた。
過去五年間の蛸錦との思い出が、走馬灯のようにおれの頭をよぎった。
これまでありがとう。おまえの墓には兎実さんの爪の垢でも供えるぜ。
「んまいっっっ」
……え?
蛸錦の目は、ラスベガスの夜景のように輝いていた。
焼き鮭を丸呑みにしたかと思うと、すさまじい勢いで箸を動かしはじめる。
ものの三分もかからずに、ふらのスペシャル★ランチボックスを完食すると、蛸錦はそっくり返り、太った猫のように口のまわりを舐めまわした。
池王子は肩をすくめてため息をつくと、
「は~腹減った。やっとメシ食える~」
どでかい風呂敷包みをとりだしてきた。
解かれた包みのなかから現れたのは、五段重ねの重箱だった。
池王子が重箱を崩して広げると、どの段にもびっしりと、ひと目でわかるほどの高級食材が詰めこまれていた。
伊勢海老に蟹にエスカルゴに尾頭つきの鯛。
極厚のステーキ肉の上にはキャビアとトリュフがてんこ盛りだ。
巨大な白身魚のムニエルには松茸の焼き物がふんだんに添えられている。
デザートだけでまるまる一段を占めており、ばかでかいプリンの周囲にパパイアやドリアンやマンゴーなど、トロピカルフルーツがひしめきあっていた。
「またこれかよ。ったく毎日毎日代わり映えしない弁当作りやがって」
池王子はそれぞれの段からふたつみっつずつ、摘んで口を放りこむと、いきなり箱をひとつ手にとり、地面に叩きつけようとした。
「なにやってんだもったいないっっ」
悲痛な声をあげたのは、蛸錦だった。
「なんだおまえ、まだいたのか。いいんだよ、カラスの餌になんだから」
「ほ、本気でいってんのか? 食いもん粗末にしたら目つぶれるってばあちゃんが」
「だ~うざいうざい! 欲しけりゃやるよ!」
池王子は重箱を地面に置き、足で押しやった。
滑っていく重箱を、蛸錦は犬のように飛び跳ねながら追いかけていく。
両手でキャッチするとその場で座りこみ手掴みで食べだした。あいつどんだけ餓えてんだ。
「おまえも食えよ」
池王子はまたもや、おれの口になにかを押しこんできた。
さきほどの記憶が蘇り、両手で口を押さえたおれは、違う意味で絶句した。
「伊勢海老だよ。海老は生で食うのがいちばんなんだけどな。弁当に生ものは無理だから、茹でてある」
やわらかくて、でも弾力があって、ミルキーで。噛む前に口のなかで溶けていく。
気がつけば、おれは蛸錦と並んで重箱に鼻を突っこんでいた。競いあうように手を伸ばし料理を口へ放りこんでいく。
「たまんねえ」
ほどなく、デザートの段のぶどうひと粒にいたるまで、重箱の中身はすべておれと蛸錦の胃袋に吸いこまれていった。
「もう食えねえ、もう無理だ」
蛸錦は腹を押さえて仰向けに倒れた。
明らかに食いすぎだ。
ふらのスペシャル★ランチボックスを平らげたうえにこれだけの量を格納できる、こいつの胃袋はなんの金属でできてるんだ?
「うちのメイド、いっつも作りすぎんだよ。こんなに食えるかっつーの」
「メ、メイド?」
蛸錦の手が無意識に一眼レフに伸びたのをおれは見逃さない。
「ああ。うち、両親働いてるから。おやじはほとんど帰ってこねーし、おふくろは社長やってるから、ガキの頃からメシだの風呂だの、なんでもメイドにやってもらってた」
「ななななんと! うらうらうら羨ましすぎるぞ」
蛸錦が一眼レフ片手に立ちあがる。おいおい、ここにはメイドさんいないぞ。
「んなわけねーだろ!」
池王子は唐突に声を荒らげた。
蛸錦は口を開けたまま固まった。
池王子は目を逸らし、音を立てて重箱を重ねていく。
「よく知りもしねえで、テキトーなこというんじゃねえ。とりあえずおまえらのおかげで、この壊滅的な弁当食わずに助かった。すまねーな」
おれたちとはいっさい目をあわせずにそうつぶやくと、池王子は重箱とふらのスペシャル★ランチボックスを両手に立ちあがった。
「それ、おれらは食ってないからな。おまえが食ったことにしろよ」
おれが声をかけると、すでに背を向けていた池王子は横顔だけで振り返った。
「なんで嘘つく必要があんだよ。だいたいおれ、こんなの食えるわけねーし」
「そうだ思いだした! おまえよくも嘘ついたな!」
蛸錦が池王子の顔を真正面から指さした。
「ふら様からスペシャル★ランチボックスをいただいておきながら、その場で蓋すら開けずに、部活があるからって教室をでてったよな。公認ファンクラブ会長としてせめて写真だけでも撮っておかないとって、後をつけてきたら、なんだよ、部活なんかやってねえじゃねえか。しかも、ふら様の手料理をカラスの餌にしようとするなんて、この……この」
蛸錦は泣いていた。
「ええい暑苦しい! おれはな、おまえらみたいなやつらがいっっっちばん、嫌いなんだよ!」
池王子は唾を吐き、重箱とランチボックスを足もとに置いた。
ジャケットの内ポケットから、手のひらサイズの円盤状のものを取りだす。
陽の光が反射して輝いた。
コンパクトミラーだった。
「昨日の夕方、書類だして担任に挨拶しにくるのに、はじめてこの学校に来たんだけどよ、職員室をでたとこでいきなりあいつに声かけられてさ。新入生? 案内したげよっか、なんていうから頼んだんだけど。案内どころか質問責めだよ。しかも、そのジャケットどこのブランド~? とか、別荘何個あるの~? とか、くっだらねえ質問ばっか。テキトーにあしらってたら、そのうち、新婚旅行はどこ行きたい? とか、子どもは何人ほしい? とか、親の介護はどこまで自分でやりたい派? とか、さりげなく超重い話振ってくんだよ。悪りぃ用事あっからって、ソッコー逃げてきた」
コンパクトを覗きながら、池王子はポケットからファンデーションをとりだし、頬や額をはたきだした。
……ん?
おれは改めて、池王子の頭のてっぺんから足の爪先までを見まわした。
どっかで見覚えがある。
モデルのように整った顔立ちに、真っ赤なジャケットにピンクのワイシャツに青いズボン。
……いや、気のせいか。こんな怪体なファッションセンスの持ち主の知りあいなど、いるわけは断じてない。でも、なんか引っかかるんだよな。
あ! 思いだした。
池王子の顔に、おれの頭のなかで、ある女の顔が重なった。
通学路になっている家の塀で雨ざらしになり、目に画鋲を突き刺された、中年の女のポスターだった。
「おい。おまえんちってもしかして」
「ふん」
ファンデをはたく手を止めずに、池王子はおれをちらりと見た。
「いずればれるだろうから、いっとく。おれの母親は市会議員だよ。この街にもみっつあるスーパーの経営者で、他にも十個の会社の代表取締役をやってる。けどおれは、あんなサイテーなやつ知らねえ」
「話逸らすなよ。なあ、頼む、ふら様をたぶらかすのもうやめてくれ」
蛸錦は泣いていた。
「たぶらかされてんのはおまえだろ。いいかげん目を覚ませ。サイテーだぞあんな女。腹んなか真っ黒だし。この弁当と一緒だな」
音高くコンパクトを閉じると、池王子は真っ白な歯を剥きだして笑う。
なぜだろう。兎実さんのことをここまでボロクソにいわれているのに、この爽快感は。まるで痒くてたまらなかったところを丁寧にこすりあげられたような。
「僕ってかっこいい?」
「こ、このやろ……ぶほっ」
泣きながら池王子に飛びかかろうとした蛸錦は、とつぜん足から力が抜けたように座り込み、そのまま仰向けに倒れた。
白目を剥いている。泡を噴いていた。
ふらのスペシャル★ランチボックスの効きめが、ついに現れてきたようだった。
(第05回 了)
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* 『ツルツルちゃん 2巻』は毎月04日と21日に更新されます。
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