学校と家が生活の軸になっていて、子供がそれ以外のことを何も知らずに過ごしてしまうのは、多分どこでもよくあることだと思う。高校2年ぐらいまでは、自分の生まれ育った町を詳しく知っていたとは言えない。故郷以外の広い世界を見たいとしか考えていなかったからだ。しかし、ひょんなきっかけでスチャヴァ市の意外な側面を知ることができた。
高校の頃は新聞記者を目指していたのだが、ある新聞社が私にしばらく“ジャーナリストごっこ”をさせてくれた。その社の企画で、長い間この町に住んできた人にインタビューをして、その人たちの話を記事にまとめよという依頼を受けた。インタビュー対象になった方の家を訪れるので、普段めったに行かないスチャヴァ市の色々な場所に行く良い機会だった。その方々の物語から、自分がその時点まで全く意識していなかったスチャヴァ市の過去が、鮮明に浮かび上がったのだった。
南の方から町を出たところに老人ホームがあり、そこに世界史に詳しい90歳を過ぎたAさんという女性が住んでいる。出身はルーマニアの東南にあるガラツィ県だが、高校を卒業して小学校の先生になってから、スチャヴァ県の学校へ派遣された。40年以上この地方で勤めたAさんは、庭で花を育てることと歴史の本を読むことを昔から趣味にしており、特に定年になってから国内外の歴史についての勉強に熱心になった。
第一次と第二次世界大戦を両方生き抜いた彼女は、「歴史を知れば現代が分かる」という言葉をモットーにしている。読んだものの内容を自分の生きてきた人生と照らし合わせる過程で本に書いてあること以上が分かるようになったAさんは、自分のところへ歴史を語り合える人が遊びに来てくれるのをとても喜んでいる。一人息子に先立たれてしまってから、大人になった昔の生徒たちがときおり訪ねて来るのが幸せだという。その中には市役所や県議会に勤めている人もいる。スチャヴァ市の歴史もよくご存知で、20世紀前半からその歴史を目撃してきたA先生の話を参考にする人もいる。
私もAさんのところへ初めて取材に行ってから、歴史雑誌などを借りに何回か老人ホームへ通った。Aさんは毎回喜んで迎えてくれて、時間の経過を忘れて色々な話を聞かせてくれた。そんなAさんは健在で、来る12月に104歳のお誕生日を迎える。私の代わりにたまにAさんのところへ行く母の話によると、Aさんは相変わらず元気よく昔の話や自分の庭で大事に育てている花の話をしているそうだ。
新聞の企画で出会ったもう一人の女性は、私と同じ高等学校に通ったMさんという先輩だった。前世紀30年代にはその学校は女子高校だったのだが、その頃のことをよく語ってくれた。Mさんの話しから、あの時代には貴族の家に生まれていない女の子が高等教育を受けるのは、贅沢だと捉えられていたことを知った。勉強や日常生活に関するそれなりに厳しい規則もあり、規則が守れない子は容赦なく退学させられていたのだ。
しかし女の子はどの時代でも女の子で、少しでも自分たちの生活に可愛いものを取り入れる方法を考え出すのが上手だったようだ。寮の中を自分たちの手芸作品で飾ったり、日曜日のお出かけ用の私服を自分で作ったりしていたそうだ。お出かけは集団でなければならなかったのだが、町のお祭りや遊園地などに行って遊びの雰囲気が盛り上がると、真面目できつい性格の子たちも肩の力を抜いて楽しんでいた。また、女子校から500メートルくらいの所に男子校があったのだが、男子学生に寮の門前まで送ってもらうことがあった場合、大騒ぎになっていたらしい。Mさんの話しを聞いて、昔の女子高生も今の女子高生も、あまり変わらないことがよく分かった。
深く印象に残ったもう一つの物語は、長年にわたって飛行機制作研究所の職員として働いたNさんという男性の方の話である。Nさんの趣味は、研究を目的とする昆虫採集であり、ルーマニアの生物学者の中でも蝶々の種類について最も詳しい人であるという噂だった。Nさんの家に入った時、目を疑うような光景を見た。室内の全ての壁は上から下まで無数の蝶々に覆われていた。Nさんは一人暮らしだが、一戸建ての各部屋は蝶々が入ったガラスケースでいっぱいだった。Nさんは四畳半ぐらいの小さい部屋だけを自分用にして、他の部屋には蝶々が慎重に展示されていた。その中で宝物として保管されていたのは、昔日本で捕まえた、黒に近い深い青色の一匹の蝶だった。蝶の研究のために世界中を飛び回ったNさんは、日本に三回旅をしたことがあった。日本でとても珍しい蝶を捕まえたことを誇りに思っていたNさんの笑顔を今も覚えている。
他にも民族歌の歌手として活動していた方、絵画や彫刻といった美術製作に携わっていた方、または長年教師として勤めた方々などの人生の物語を聞く機会があった。このような人たちに出会ったことで、自分もいつか他人に聞かせる価値のある物語が語れるようになれたらいいなと、考えるようになった。
故郷は“場所”である前に、“大切な人”がいる所なのだ。故郷のことを思うとまず思い浮かぶのは、家族、友達、そして初めて自分の尊敬の対象になった人たちである。将来の夢や、自分が何に囲まれて生きていきたいのかという願望、または「理想の自分」というものは、たいていの場合、子どもの頃を過ごした環境によって形作られる。
故郷は夢を与えてくれる場所であると同時に、もう一つの不思議な機能を持っている。大人になってから、子どもの時なりたかった自分になっているかどうかを確かめることが出来る場所であることだ。帰るたびに、昔ここで理想としていた自分にまだなれていないことに気付くし、まだまだ道の途中であることを思い知らされる。故郷との関係は、個人としてさらに前へ進むための原動力にもなるのである。このようなことを考えさせてくれるという意味で、できるだけ故郷に帰る機会を作るのはいいことだと思う。
ラモーナ ツァラヌ
* 写真は著者撮影
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