そろそろ正体を現してもいい頃だと思う。私は実はドラキュラの末裔で、実年齢は300歳ぐらいである。(200歳を過ぎたあたりから正確に数えるのをやめた。)300年前のある日、畑仕事をしている間に突然の嵐に巻き込まれ、森の中を通る帰り道で迷子になってしまった。暗い森を彷徨いながら、目の前に現われたお城の中へ避難した。家の主を呼んでみたのだが、誰かが出て来るのを待ちながらその場で眠りに落ちた。目が覚めた時、変な格好をしたおじさんが近くにいて、お前は今日から人間の血を飲んで永らえる不老不死の吸血鬼だと私に言った。何の話かさっぱり分からず、とにかく気持ち悪くて、そこから逃げたのだが、外へ出て昼の光に当ると、体中が信じられないほどの痛みに襲われたり、お腹がすくと、普通の食べ物でどうしても満足できないことに気付いたりして、結局、自分は本当に吸血鬼になっていたことを認めるしかなかった。ある時期からいい加減に自分の悲惨な運命を嘆くのをやめて、長い年月の訓練を重ねた結果、無事に草食の吸血鬼になれたので、人間と平和に共存しながら、今日まで至った次第である。
一度でいいから、このような話をしてみたかったのだ。私を真面目な人だと思っていた方々、ごめんなさい。10月半ばが過ぎて、ハロウィンの時期が近付いているので、ハロウィンに欠かせないあの人物、吸血鬼のドラキュラについて話をしようと思ったのだが、つい度を越してしまった。
ドラキュラという架空の人物の存在を知ったのは、小学生の頃、テレビでアメリカのアニメを見ていた時だった。そこでよく登場する暗くて面白いキャラクター「ドラキュラ伯爵」は、「トランシルヴェイニア」という所に住んでいるのだと耳に入った。しばらくは何とも思わなかったのだが、英語能力を少し身につけた頃から、ちょっと待ってくださいよ、今のはうちのトランシルヴァニアの話しか?と考え始めた。世界の端っこにあるルーマニアの地方がアメリカのアニメや映画で取り上げられるなんて、ありえない話だと思った。アイルランドの作家ブラム・ストーカーの小説『ドラキュラ』の設定が19世紀末のトランシルヴァニアだと知ったのは、高校の頃だった。あの小説が何回か映画化され、それで吸血鬼のドラキュラが有名になったのに伴って、トランシルヴァニアという地名も世界中で知られるようになったのだ。
しかしドラキュラのことを調べに、わざわざルーマニアの西部にあるトランシルヴァニアに行くのは、外国人が忍者に会いたくて日本に来ると一緒だ。人の想像力によって形作られた物語が現実よりも強い存在感を発揮してしまう事例である。実際は、ルーマニア人にとってさえあまりにも無縁な物語で、現地でドラキュラにまつわる冗談を言っても、意味が通じない確率が高い。
ルーマニアには吸血鬼に関する民話伝承などはないのだが、「ドラキュラ」という名前が、中世に生きたワラキアの国王、ヴラド・ツェペシュのあだ名に基づいて作られたのは確かである。中世の貴族の間で騎士団に所属するのが流行り、龍(ドラゴン)の騎士団に入っていた人物の息子であったツェペシュは「ドラクレア」と呼ばれるようになった。「ドラクレア」という言葉はルーマニア語では「悪魔」というニュアンスを含む。ツェペシュは敵や自分に逆らう人に対して極めて残酷だったことも、彼の「悪魔」のイメージに加わった。
しかしこれも周知のことだが、ドラキュラの住み家だと言われるブラン城には、ツェペシュ国王は住んだことがない。ブラン城は当時、国境を守るために監視や防衛に使われていた城砦であった。
ブラン城 ©深水裕子
現代のルーマニア人はブラン城を訪れる際、20世紀初めの王家時代を思い出す。マリア王妃が20年代にブラン城の改修に力を入れ、ご自分が集めていた美術品を城内に展示した。共産主義の時代にはその美術コレクションの一部が変わったのだが、ブラン城は公共に解放され、現在まで博物館として営業している。
ドラキュラゆかりの城といい、美術博物館といい、とにもかくにもブラン城はトランシルヴァニア地方の見所の一つである。架空の人物を追って、せっかくここまで来た観光客の皆さんは、昔の風情を保つこの地方の町や田舎を訪れてみると楽しいだろうと思う。
カルパティア山脈の東側に生れた自分にとって、トランシルヴァニアはずっと「森の向こうの国」だった。子どもの頃、夏の家族旅行で西の方へ森で覆われた山を越えて、トランシルヴァニアへ行くことが多かった。実はトランシルヴァニアという地名の由来も、ラテン語の”ultra silvam” (後は”trans silvam”)であり、「森の向こうの国」という意味である。
モルダヴィア地方から南へ行くと、風景はあまり変わらないが、西へ山を越えると、全く違う風景が目の前に広がる。例えば、町並みを見てみると、山の東の方では人の家は一つずつ独立した形で並んでいるのだが、トランシルヴァニアでは人の家がくっついて並んでいる風景がよく見られる。これは、トランシルヴァニアが長い間オーストリア・ハンガリー帝国の一部であり、ドイツ文化圏から強い影響を受けたことの一つのあらわれである。
それに、言葉もとても特殊である。トランシルヴァニア独特の方言以外、ハンガリー語の一つの方言であるマジャール語もここでは広く使われている。マジャール語が話せない自分にとって、この地方は昔からまるで異国のように謎の多い場所だった。生まれた環境とは違う風景を見るにあたり、何でも新鮮で面白い感じがした。特にあらゆる所から妖精が出てきそうなマラムレシュ県の田舎の風景、クルージュ・ナポカという大きな町に住んでいる人の寛大さ、中世時代の遺跡が多いシビウやシギショアラの町、そしてルーマニアの歴史において大きな役を果したブラショフ市の風景などが、子どもの頃から強く印象に残っている。
シビウ市の町並み
日本でも、写真家のみやこうせい氏の著書によってマラムレシュ地方の自然と民族文化がよく知られるようになった。そして近年シビウ国際演劇祭が話題になり、毎年数人の日本人のボランティアがシビウに行って、日本や他国から来た劇団と現地のスタッフとのやり取りに協力するかけがえのない存在になった。毎年欠かさずそちらへ向う日本の若者もいるので、あの場所にはやはり、ドラキュラのような架空の人物を生み出したような何かしらの魅力があるであろう。
今年の6月に、シビウ演劇祭に参加した日本の劇団のスタッフとして、約4年ぶりにトランシルヴァニアに行く機会があった。シビウに到着した時、町は二重の虹を見せて、迎えてくれたのだ。日本から来たばかりのみんなはバスを降りて、しばらくの間一言もなくただその虹を眺めていた。その瞬間に多分全員が、この場所の不思議を肌で感じたのではないかと思う。
ラモーナ ツァラヌ
* クレジットのない写真は著者撮影
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