大学2年から住み始めたのは、ブカレストの東にあるアヴリグ横丁のあたりだった。ブカレストには6区があり、今回の家は第2区の区役所の近くにあった。緑が多くて、割と静かな場所だった。そこで同じ大学の心理学部に通っていた友達と一緒に5年間弱を過ごした。色々な出来事があったけど、今振り返れば、平和な5年間だったと思う。
町の中心から少し離れた場所だったので、勿論大学に歩いて通える距離ではなくなった。バスに乗るか、地下鉄に乗るかの二つの選択肢があった。しかし一日中どの時間帯でも関係なく、道路が渋滞する確率が99.99%なので、地下鉄に乗るしかなかった。ただ、ブカレストの地下鉄は決まった時間に来ない。3分おきに来る場合もあるし、10分以上ホームで待っても来ない時もある。急いでいる日に決まって電車が来ないという時の苛々感を、何にたとえればいいのか?
ここでブカレストという都市の特徴を明かそう。予測できないことが毎日あり過ぎて、人は自分の時間を上手く管理できないのである。地下鉄のホームで待たされるし、渋滞の中でも待たされる。公的機関の事務局などで用事がある場合は、もちろん必ず長く待たされる。郵便局はその最も極端な例かもしれない。コンビニという便利なお店がなく、ルーマニア人のみんなはあらゆる請求書(電話代、電気代、インターネット代、テレビ放送代、等々)を銀行か郵便局で払う。ただ銀行を一々出入りするのが嫌だという人が多く、みんなが郵便局で用事を済ませたがる。もしあなたが緊急に大事な手紙や荷物などを送らなければならなくて、急いで郵便局に飛び込んでも、すんなり用事を済ませられない。近所のお婆さん達が電気代を払いに来ていたりして、なかなか進まない列の後ろで待たなければならないのだ。このような事がしょっちゅう起こるので、忍耐力が鍛えられる。ブカレストの郵便局の洗礼を受けた人は、きっととても気が長くなるだろう。
ブカレストではどこに行ってもあらゆる物事が動いてほしい速度で動かないのであり、自分の時間が毎日無駄にされているという感じが半端ではない。ブカレストが住みにくいという人が挙げる第一の理由はまさにそれである。人の時間は見えない力によって無理矢理どこかへ吸い込まれてしまう、無意味に失われてしまう感覚が避けられないのである。私も町はまるで、人の血ではなく、人の時間を吸って、それで永らえる巨大な吸血鬼のようであると、度々感じていた。
しかし日常における何もかもが予測不可能だということが、ブカレストという宇宙の法則だと一旦理解できたら、あそこで問題なく住めるようになれるだろうし、あの町が好きになれるだろう。個人的には、ブカレストに住み始めてから3年間ぐらいは毎日苛々しながら過ごした。自分の中で流れる時間と、町の特殊な時間の流れが全然かみ合わないことに何回も絶望した。しかし3年間ぐらいが経って、仕方がないと悟り始めた。その頃から、ブカレストという町の「性格」をそのままで受け入れるしかないと考えるようになったのである。この都市は人間だったら、大いに手を焼かせる、可愛いけど気まぐれな奴であろう。人の好奇心を誘う深い魅力もあるが、じゃじゃ馬のような予測できない側面もある。また私はなぜか、昔からこのような人物とどうしても友達になりたくなる性分なのである。ちなみに、町の性別はきっと女である。間違いない。
そういうわけで、アヴリグに引っ越してからは大学へ地下鉄で通ったのだが、電車が何時来るか分からないので、余裕を持って家を出るようにした。とは言っても地下鉄は直通ではない。家から駅まで歩き、乗り換え、降りてからまた歩くのである。ある時、地下鉄の使用時間は、家から歩いて大学に行く時間とほぼ同じだということに気付いた。それで行きは地下鉄を使い、帰りは必ず歩くことにした。
大学に行く時は家から一番近いオボル駅で地下鉄に乗って、ヴィクトリア駅で乗り換え、ロマナ広場か大学広場駅で降りるのがいつものルートだった。電車の中で過ごす時間がたまらなく長く感じる時は、車両の中の風景しか映らない窓ガラスを見ながら、子どもの頃初めて地下鉄に乗った時のことをよく思い出していた。「モグラが見ている風景」という新鮮な感覚を甦らせ、大人になった自分の心を落ち着かせようとした。このような工夫が役に立たない時は、別の考え事をした。ブカレストの地下鉄は1979年に開通した。当時の大統領チャウシェスクによる開通式が行われ、大統領自身が初めての地下鉄の乗客になった。その時チャウシェスクは、電車の速度が速すぎるという感想を述べたらしい。その感想に周りのみんながぞっとした。大統領の考え方がどれほど時代遅れなのか、初めて気付いたそうだ。その逸話を思い出しながら、「チャウシェスク同僚、これは速くなんかないじゃないですか?」と心の中で呟いて、電車の遅さに対する苛々した気持ちをユーモアでねじ曲げて晴らそうとした。
ロマナ広場駅
夜、家まで歩いて帰るのは、朝とは違って楽しみだった。大学院に入ってから遅い時間の授業が増え、帰りはすでに暗くなっていた。黄昏や夜になってからの町の風景が面白く、その時間帯によく歩いたルートは特に好きだった。大学を出て裏道を歩けば公園がある。その辺りは大使館や文化機関の建物が多く、静かで少し豪華な雰囲気である。町の東の方へ進むとさっきの町並みとは違って、古い建物がぎっしりと並んでいる。これらはみんな第二次世界大戦以前に建てられた家で、建物も、そこに住んでいる人もあまり豪華な生活をしていると言えない。トラムの線路に沿って真直ぐ行くと、色々な店やスーパーに挟まれた、明るくて広い道路にたどり着く。さらに東へ進むと、2000年以後に建てられた真新しい第2区の区役所が見える。その前にある公園を通れば、アヴリグ横丁の家に到着だ。
このルートで帰る夜はいつも不思議な気持ちになった。ブカレストという町が、まるで話しかけてくるようだった。闇に飲み込まれそうな、素早く移りゆく幽かな街灯りや、道路を走る車の音、通りすがりの人間の声、どこからともなく聞えてくる音楽などで、町は話しかけてくれたのだった。明りと影、音と声が次第に渦のようなものになり、私の心の中に忍び込んで、そこで数え切れない物語を展開させてゆく。物の怪が人に憑くように、無数の物語を教えてあげるから、あなたの時間をくれ、というような姿勢で扱われた私は、毎夜町の聴き手になりながら、ゆっくりその薄暗い道を歩いていた。町は聴き手がいることを喜んでいるようだった。そこでいつも私に魔法をかけて、人間の言葉では語れないなにかを耳に囁いてくれた。変な灯りと影の渦ばかりを目にしていたため、目はすっかり闇に馴染んでいた。家に着いて一緒に住んでいたSちゃんの陽気な声を聞いて、はっと我に返るのだった。
ブカレスト旧市街
毎夜のように町に魔法をかけられても、私はかまわなかった。心の奥底で分かっていたのだ。寂しい町だな、と。そんなに寂しいなら、その物語をいくらでも聞いてあげるよ、今のうちに。どうせいつかあなたの魔法から自由になるんだからと密かに思っていた(町に聞えないように、一度も言葉にしなかったのだが、いつも考えていたことだった)。
あの巨大な渦からいつか自由になることを夢見ていた私は、ブカレストいう存在との不思議な関係を2010年の夏まで持ち続けた。そこで私たちの道は別れたのだが、度々帰る機会がある。その時に、色々が変わったんだね、と毎回気付く。ブカレストが女性だったら、今はちょうどモテ期かもしれない。お洒落している。新しい建物や企業も数々現われた。あそこに住んでいる人も、「心の余裕」のようなものができたような気がする。それはみんなの前向きな姿勢にも、昔はあまり見かけた覚えがないその明るい外見からも分かる。ブカレストは、相変わらず例の予測できない側面を保ちつつも、年々魅力を増しているような気がするし、特別な引力を持つ町だと今でも感じる。もし私が現在もっと大きな渦の引力に巻き込まれていなかったら、きっと今でもあの町にしか語れないものを聴いていたのだろう。
ラモーナ ツァラヌ
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■