釈照太さんの詩誌時評 『No.013 角川 『俳句』 2013年04月号』 をアップしましたぁ。江里昭彦さんの論考 『角川書店「俳句」の研究のための予備作業』 を元に、俳壇メディアについて論じておられます。しっかしメディアについて論じるのは難しいですねぇ。角川 『俳句』 (伝統派) vs 高柳重信編集長の 『俳句研究』 (前衛派) の構図ですが、角川 『俳句』 編集部は基本的にブラックボックスです。編集長はいらっしゃいますが全権を委ねられているわけではない。毎月上から売上と返本率の数字突きつけられる中間管理職だなぁ。対する 『俳句研究』 は、少なくとも多くの人が重信中心の雑誌だったと考えている。経営内実はよく知らないですが。
赤字続きなら出版どころぢゃなくなくなる民間雑誌が、文壇・詩壇の 〝公器〟 になれるのかという設問は面白いです。でもそもそも文学の世界でスポーツのようなルールを決め、公正な審判者を置くのはムリです。また、何の特徴もない網羅的雑誌はジャーナリズムとは呼べない。かくいう文学金魚だって、伝統派・前衛派にかたよらない公器でありたいと望んでいます。しかし外部からは自ずと違う目で見られてしまふのは必然です。それに不肖・石川は文学金魚の編集人ですが、絶対的決定権があるかと言えばとんでもない (笑)。組織は経営陣、現場スタッフ、執筆者を含めた有機体で、それがなんとなくメディアのカラーを作り出しています。
企業であれ個人経営であれ、他社 (者) が運営しているメディアで活動したいと望むなら道は一つ。我を折ってでもそのメディアに付き合い、一定水準以上の原稿を継続的に書ける実績と信頼関係を結んだ上で、そうしたいのなら原稿を書くことで内部からカラーを変えていくことです。ある日突然誰かがあなたの才能を発見して、最初から大先生として遇してくれることなどない。新人賞などを受賞しても茨の道は続きます。
他社 (者) の都合に振り回されるなんて時間の無駄と考えるなら、かくあるべしと信じるメディアを自力で作りあげて、それを既存メディアに拮抗できるくらい大きく育てあげることです。メディアなど無視して、自費であろうと淡々と作品集を出し続ける道もあります。いずれも厳しい選択です。でも現実世界を変えたいのなら、自分が持っている知力・金力・体力・人脈を総動員してコトに当たる必要があります。そうすればちょっとだけ現実が変わるかも。当たり前ですが他力本願で物事が思いどおりに動くことはないです。
■ 釈照太 詩誌時評 『No.013 角川 『俳句』 2013年04月号』 ■