日本文学の古典中の古典、小説文学の不動の古典は紫式部の『源氏物語』。現在に至るまで欧米人による各種英訳が出版されているが、世界初の英訳は明治15年(1882年)刊の日本人・末松謙澄の手によるもの。欧米文化が怒濤のように流入していた時代に末松はどのような翻訳を行ったのか。気鋭の英文学者・星隆弘が、末松版『源氏物語』英訳の戻し訳によって当時の文化状況と日本文学と英語文化の差異に迫る!
by 金魚屋編集部
夜顔(「夕顔」)
手塩に掛けた御子を可愛がるあまり七難あろうと目に入らない、乳母とはそのようなものでございましょう。曲れるものも直しと覚ゆ、とも申しましょうか、況してやそれが光源氏の君ともなれば、したたかに眩みし大弐の目にはさながら諸人の鑑とも映り、乳母として傅けることを一生の誉とも思う、その御子に潤み声で慰められれば、涙はひとりでに零れ落ちます。
思えば、と源氏が続けます。「甘えたい盛りに母方の肉親を喪い、それから色々な人に世話をしてもらったが、誰より懐いていたのは婆様だったね。それが、世の常とはいえ、大人になってからはとんと無沙汰をして。しかし、折々に顔を見せなかったのは忘れていたのではないよ、久しく顔を見ていないと心細くてならなかった。いっそ、誰とも別れることのない世の中であればいいのに」
そうして、座を囲む子らに母君の息災延命を一心祈願せよと申しつけると、しからば、と暇乞いをするのでした。
去りしな、ふと花の盆にした扇になにか書きつけてあったことを思い出しました。日はとうに翳り、惟光に紙燭を持って来させて見てみれば、まだ持ち主の美しい手の残り香が染みついているような扇の面に、二行一対の歌が添えてありました――
よつゆいこひしゆふがほの かんばせしろきゆふかげの
さやかひかりにもまさらむ きみにたをれるはなやあるらむ
思うままに書き散らしたのがありありとした、誰の手ともわからない筆運び、しかしそのなかにどこか雅な癖がある。見事なものだ、覚えがなければこうはいかない。源氏が惟光に向き直り、「右隣はどなたの住まいかな」と訊くと、心の中では、出た出た、と呆れつつも、惟光は上の空をよそおい、「さあ、ここにきてもう幾日になりますが、母の世話につきっきりでございましたので、隣など気にも掛けませなんだ」と答えると、物見高しと笑ってくれるな、と源氏が言います。「この扇が気に掛かるが故だ。一寸訪ねて、どなたがお住まいか訊いてきておくれ」

そこで惟光は屋敷に入り家人を呼び出しましたが、そこから覗き見える限りで、もう返答の察しがついておりました。「此方は揚名介様の御邸でございます。今は任国に赴かれておりますので、御若い奥方様の元へ、宮仕えなさられている御兄弟様がよく遊びにいらっしゃいますよ。その他の御親類については存じ上げませんが」かような返答を携えて惟光が戻り、おうむ返しに伝えますと、源氏は、さてはあの歌は内裏の連中の差し金か、と得心しつつも、心のどこかでは返歌を待っているのではないかという思いが捨てられないのでした。これが生まれついての自惚れの性なのでございます。源氏が懐紙を取り出し、他の手を装って(源氏の筆と気づかれないように)認めたことには――
よりてみまほしゆふかげに まみかわせしかのはなの
かんばせのよりうつくしく いとほしからむとおもひなば
そして使いを出して歌を届け、車を出しました。屋敷の簾の隙間からかすかに明かりの漏れるのが見え、蛍の光のようでした。その前を通り過ぎながら、源氏はまだ言葉にならぬ焦がれを感じておりました。今宵の行き先である六条の御殿は壮麗なる造りにて、珍しい木々の悠然と立ち並ぶただ中にあり、どこを見ても心持ちのいい佇まいでございます。そこで源氏はこれもまたどこをとっても申し分のない女主人と、心安らぐ夜を過ごしたのでした。
(第24回 了)
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