
加藤郁乎さんに初めてお目にかかったのは
新倉俊一先生主催の西脇順三郎を語る会だった
公民館のような渋谷の会場で
三、四人の方が講演なさったが
郁乎さん以外のお名前は忘れてしまった
それなりに広い部屋に聴衆はまばらだった
西脇順三郎は萩原朔太郎と並び立つ偉大な詩人だ
もうあまり人気がないのかなと思った
ところが郁乎さんの出番が近づくにつれ
どんどん聴衆が増えていく
〝誰について語るのか〟ではなく
〝誰が語るのか〟によって聴衆の数が変わる
そんな当たり前のことに気づいた
郁乎さんは写真のなかの中原中也のような
古風な大正時代風のマントをはおり
持ち手が銀色のステッキをついて現れた
隣に飯島耕一さんが座った
オバケのQ太郎に出てくる小池さんのような風貌だが
僕が知っている詩人の中で
最も謹厳実直な方だった
飯島さんの紹介のあとユーモアたっぷりの郁乎さんの講演が終わり
誘われてレンガビル内にある駒形どぜうに行った
新倉先生と郁乎さん 飯島さん
それに藤富保男さんがいっしょだった
郁乎さんは上機嫌ですぐに酔っぱらい
「天皇陛下バンザーイ!」と叫んでいた
左系詩人として知られた飯島さんは
ニコニコ笑っておられた
「晝顔の見えるひるすぎぽるとがる」
俳句の神に愛され選ばれた郁乎さんは
1959年に『球體感覺』で鮮烈にデビューした
しかし残酷な俳句の神は彼を冥界へ
俳句本体へと誘った
「落丁一騎對岸の草の葉」
1962年『えくとぷらすま』
霊的流出の
「こつくり」さんの一句
形式を失った俳句の真姿は無慚だった
郁乎さんは荒れた
「もののあり余るあわれ
始めにも終わりにも通じる筈がない
途中に言葉ありき」
詩集『荒れるや』1968年刊
世界にはモノが
言葉が溢れている
大地深くに堆積して
始まりも終わりもない
「冬の日のやつがれいくや出ていくや」
『牧歌メロン』1970年で
郁乎さんは冥界を出て現世に帰ってきた
俳句定型に戻ってきた
そして江戸俳句の方に回帰していった
荒れるや
ハレルヤ
僕らの国で喜びと救済を求める声は
虚空に抜けて消えてゆく
美しい音楽のような調べではなく
まず漢字として眼裏に現れる
それからぎこちない声に
すべてを押し切る強い声明になる
僕の実家は浄土真宗だから
母親が亡くなってすぐに床の間に
「南無阿弥陀仏」の大幅の軸が掛けられた
軸の前に母親の遺影が置かれ
その両脇に花が添えられた
四十九日法要が終わったらやめていいそうだが
三年経った今もそのままで
父親が週に一度
花瓶の花を活け替えている
郁乎さんが荒れていた1968年
僕は小学一年生だった
両親が共働きだったので
すでに鍵っ子だった
真夏生まれのせいか
夏が大好きだった
学校から帰ってくると水道の水を飲んだ
ときどき冷蔵庫から白と青の水玉の紙に包まれた
大きな茶色いカルピスの瓶を出し
水で割ってゴクゴク飲んだ
真夏でも台所の床はひんやりしていた
家のなかはしんと静まりかえっていた
窓から青空が見える
その子どもを僕は遠くから見ている
荒れるや
ハレルヤ
晴れるや

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