日本文学の古典中の古典、小説文学の不動の古典は紫式部の『源氏物語』。現在に至るまで欧米人による各種英訳が出版されているが、世界初の英訳は明治15年(1882年)刊の日本人・末松謙澄の手によるもの。欧米文化が怒濤のように流入していた時代に末松はどのような翻訳を行ったのか。気鋭の英文学者・星隆弘が、末松版『源氏物語』英訳の戻し訳によって当時の文化状況と日本文学と英語文化の差異に迫る!
by 金魚屋編集部
箒木
小君が召し出されたのは五日六日のちのことです。背丈容貌は十人並でも才智は非凡、立居の作法も申し分なく躾の効能でございましょう。源氏よりこよなき御寵愛を賜り、年端も行かぬ男子の胸は喜び勇んでおりました。そこで姉君のことをあれやこれやと尋ねてみますと、能う限り答えはするものの恥じらってか訝ってか覚束ないので、肚のうちを明かすわけにも参らず、御為尽くを言い繕って勧奨し、姉君に宛てた文をついに手渡したのでした。その意に勘付かぬ小君ではないけれど、思い煩うよりも先に文を預かり、御意のとおり姉のもとへ届けました。受け取るだに姉君は当惑顔、一体弟は何を考えているのだろう、開いた文に顔を隠し、目の色を見られぬようにして読み始めました。
何のかのと長い文に歌が添えてありました、
あまきゆめよりさめぬれば みまほしかりしゆめのつづきの
ふたたびまみえぬまどろみと ともにうせしやゆめのたつきよ
美しい筆でした、思いの丈を注ぎ込んだ詩句を見つめていると涙が込み上げてきて、己が身の上を省みる思いもまた刹那に胸をよぎり、返事を待つ弟を置いて、黙ったまま部屋に引き下がってしまわれました。
幾日も経たぬうちに御召出しの下知があり、小君は姉君に返事を催促しますと、
「この屋敷には読み書きのできる者がおらなんだとおっしゃいな」
「そんなつれない返事がありますか。申し訳が立ちません」
いっそみんな打ち明けてしまおうか、と姉君は半ば心を定めておりました、そうすれば文を受け入れるわけには参らぬ由に得心もしよう、しかし言い難きを言うはあんと痞えることか。「もちろんそんな返事ならしないほうが良いに決まっている。差し障ると思うならそもそも行かねば良いのです」
「御召出にも背けとおっしゃいますか」小君はそう言い捨てて、空手のままで源氏の許へ戻りました。
「あんまり待ちくたびれて、君にも忘れられたかと思うたぞ」と源氏が声を掛けても小君は顔を赤くして俯くばかりでした。「それで何と言って返した」と源氏が続けますと、小君は姉君の口吻そのままに返事を伝えました。
「えっ」と源氏は声を上げました、「何も知らぬのならよくお聞き。姉君とは伊予に縁づく以前よりの付き合いなのだよ。その私がこのあしらいとは、よほど伊予には良い人がいると見える。しかし君は、私の弟でいてくれるか。私より伊予の浅き縁か」
源氏は小君を連れて御所に上ると、御匣殿に立ち寄って小君に恰どいい直衣を見繕ってあげました。一言に申して、我が子を見るような可愛いがりようでございます。

小君の働きによりその後も幾度か文を遣わしましたが、姉君の節操は揺るぎもしません。
ひとたび道を外れれば名を穢して無慚に世を送る外はない、善業も悪業もこの心一つ。
そう心しているからこそ決して返事をすまいと操を守っておいでなのです。源氏の君は慕わしげでございました、たしかに慕っておいでのようでした、しかしかような恋心が胸を訪うたびに決まってこう思い返すのです、道なき恋に通い路なし。
源氏もまた姉君の屋敷を訪うべきか思い巡らしておりました。が、尤もな事情がなければ行かれるはずもない、なにより危ぶまれるのが辛い、そう思われるのではなくそう思わせてしまうことに、堪らない思いがするのでした。
(第19回 了)
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