No.023_交差する物語_01

 

 

 福岡空港への便は朝6時頃出発予定だったので、終電で夜中に成田まで行き、出発までの4、5時間を空港で過ごすことにした。唐津までどうやって行けばいいか調べてみると、国内線が便利だと分かった。成田から福岡までは飛行機で2時間もかからないし、福岡から唐津までは電車で1時間半ほどでたどり着ける。予定通りにいけば翌日の昼頃、佐用姫とゆかりのある鏡山のふもとに立つことができるだろう。2日間の旅に必要なものだけをリュックに詰めて、夜の22時頃に寮を出て空港に向かった。

 

 深夜の空港は昼中の慌ただしさとは打って変わって、構内の照明の明るさも低くされておりとても静かだった。待合席の上に横たわって、頭を荷物に乗せて休む人たちが何人かいた。彼らの眠りを覚まさないように、眠れない者は小声でしかしゃべらない。自分も眠らないようにしていた。これは日本に来る前から身の安全のために身に付けている習慣である。日本は安全な国だと分かっていても、油断してはいけないのだ。

 

 ブカレストで過ごした学生時代、そしてドイツに住んでいた頃も一人で旅をすることが多かった。少し離れた町でどうしても観たい演劇が上演されていると、観劇を兼ねた一日旅行に出るのが大きな楽しみだった。終電で家に帰れればいいのだが、間に合わない時は駅構内で夜を明かすしかない。地元のルーマニアの町はともかく、ヨーロッパのどこでもそうだが、夜中に駅の待合室で眠りに落ちるのはあまりお勧めできない。周りに他の人がいてもいなくても、安全そうには感じられないのだ。

 

 こういう時、手元に面白い本があれば、電車の始発までの3、4時間、読書に耽ることができる。今回も成田空港での夜明かしのために、まだ目を通していなかった佐用姫の伝説に関する記事をいくつか鞄に入れておいた。しかしわくわくする旅の前に、勉強関連の資料を読む気になれなかった。明日、目にするであろう風景を想像してみたり、一晩寝なくても疲れを感じなかった学生時代の旅のことを思い出したりしているうちに、いつの間にか頭をリュックに乗せたまま居眠りをしてしまった。

 

 朝4時に、突然空港内が明るくなり、発着アナウンスが聞こえ始めた。ここが日本でなかったら、寝ている間に荷物の中身を盗られずにすんだのは奇跡に近いことである。そう反省しながらターミナルへ向かった。飛行中はずっと寝ていた。突風のせいで着陸前の揺れがけっこう大きかったことを微かに覚えているが、昨晩寝なかった身には揺りかごのようにしか感じられなかった。

 

 福岡に到着し、空港を出たのはまだ9時前だった。清らかな日差しに包まれた町を気ままに見物したいという衝動に駆られたが、何とか耐えて、少しだけ空港前の道路や建物を見て回った。風通しのいいエレガントな町だった。仕事へ向かう人々は忙しそうだったが、長い間目にしていなかった心の余裕のようなものが感じられた。朝食をすませるために姪浜駅の近くにあるカフェに入った。そこにいたお客さんや店員にも、同じような心の余裕を感じた。時間に追われ焦っている感じがしない人たちの町だなと思いながら、サンドイッチをパクパク食べた。本当は少しでも早く隣の県にある目的地に向かわなければならないのだが、カフェに漂う快適な雰囲気から離れるのが惜しかった。

 

 コーヒーをゆっくり飲んでいると、坂東玉三郎が表紙を飾る『婦人公論』1月号がテーブルの端に置いてあるのが目に入った。玉三郎氏のインタビュー記事を読んでから、新年の占いコラムを開いた。色々なところで試される一年になるだろうと書いてあった。星占いなんて信じるものかとブツブツ言いながら、雑誌を閉じた。いいことを占ってくれればすぐ信じるけどね、と一人で笑いつつ、カフェを出て唐津行きの電車が出発するホームへ向かった。

 

 福岡市を出て間もなく右側の車窓に海が見えた。眩しい朝の光をのどかに反射する海はほんの一瞬しか見えず、蜃気楼でも見ているようだった。スマホで現在地を調べたら、今津湾だった。突然〈松浦〉の冒頭で謡われる、博多から松浦潟へ向かう旅僧の道行が頭に浮かんだ。

 

箱崎や 明けゆく空の旅衣 明けゆく空の旅衣 げに不知火の筑紫潟 海(わだ)の原行く沖つ舟 潮路遥かの浦伝ひ 松浦潟にも着きにけり…

 

 この歌から旅僧がたどったルートを想像してみると、おそらく舟で浦沿いに進んだのだろう。しかし「不知火の筑紫潟」はその途中にはない。世阿弥先生は能の中の情報の正確さにこだわったお方だが、九州を舞台とする能に、どうしても「不知火の筑紫潟」という歌言葉を入れたかっただろう。「筑紫潟」は、箱崎と松浦潟を結ぶ道筋よりかなり南に離れた有明海を指す。

 

 世阿弥時代の芸人は、公演のためにしょっちゅう地方へ出かけていたので、同時代の人々よりも旅をする機会が多かった。しかし新しい演目で遠く離れた名所を舞台にする場合、歌枕名寄などを参考にするのが普通だった。その土地にまつわる歌言葉を拾いつつ、実際には見たことがない名所の風景を想像の中で作り上げていたのである。誰もが歌に詠まれた名所を身近に感じていたが、本当にそこを訪れた人は少なかった。地理的には不正確でも、言葉の響きさえよければ離れた場所の風景を十分想像できた。世阿弥のような能の作者はそれをよく承知しており、歌枕の機能を自由自在に能の中で生かした。また観客たちも、それによって心の中で旅をすることができた。

 

 筑肥線の電車に揺られて九州の北部地方の風景を眺めたが、建物の形や配置などが目新しかった。自然の在り方も見慣れた風景とは微妙に違っていた。特に路線沿いに立つ樹木の形に目を惹かれた。面白い形の松が多く、変わった形の木の中に神が宿るという、どこかで聞いた話しを思い出した。筑前深江駅あたりから先は、右側に海、左側に緑に覆われた野原や山が見えた。しばらくその贅沢な光景を心ゆくまで楽しんだ。

 

 鏡山に一番近い虹ノ松原駅で降りた。そこから山の麓にある鏡神社へ向かうつもりだったが、虹の松原こそが名所なので見に行こうと思った。駅を出てすぐに松原の中へ入り、珍しい形をした松の間の小道を進んで白砂の浜に出た。右側に見える山と、左側の岬の間に挟まれて遠くまで広がる海の光景に見とれた。海岸近くには緑に覆われた二つの小さな島がぽつんとあった。まるで海の上に浮いているようだった。水平線から目を離し、今度は足元に寄せては返すきれいな波を見た。冬用のブーツをはいたまま海水で濡れた砂の上を歩く感覚は少し可笑しかったが、ブーツを脱ぎ捨てて裸足で波の泡を感じる季節ではなかった。

 

No.023_交差する物語_02

 

 心残りだが虹の松原を後にして鏡神社へ向かった。鳥居に着いた時、鼓動が早くなるのを感じた。ここが伝説の佐用姫とゆかりのある宮だと言われ続けたのだが、本当にそうなのだろうか? 境内をゆっくり見て回った。何を探していたか自分でもよく分からなかったのだが、とりあえずこの神社について知り得ることを調べようと思った。神功皇后が祭られている宮の前に立ち、初詣の期間は過ぎていたが、初詣の気持ちでお参りした。おみくじも引いた。読んでみたら、いくつかの試練が待っていると書いてあり、鳥肌が立った。朝読んだ星占いと同じ内容ではないか。苦笑いして、おみくじを近くの枝に結んで手を合わせた。

 

No.023_交差する物語_03

 

 鏡山に登る前に、鏡神社の境内にある古代の森会館を訪ねた。唐津周辺地域の歴史に関する資料が展示されており、私が目当てにしていた時代についても詳しく知ることができた。大陸との交流が盛んだった地域に住んでいた人たちの生活遺物の中で、佐用姫伝説と関係がありそうなものを探した。特に期待していたのは「鏡」だった。銅鏡に関する情報は確かにあったのだが、当時の人々が日常的に使っていた鏡については新しい情報を得られなかった。期待を鏡山の方に移して会館を出ようとした時、職員の方に話しかけられた。佐用姫伝説の関連で地域の歴史を調べていると話すと、一冊の本をすすめてくださった。鏡地区郷土資料保存会が発行した『まつらの里 かがみん話―鏡校区の歴史』というタイトルの本で、地理や歴史から伝承や物語まで、たくさんの記事を集めた一冊である。本をありがたく受け取って、古代の森会館を出た。

 

 鏡山へ向かう途中で見つけたベンチに座って、手に入れたばかりの本のページをめくった。予想通り、伝承や言い伝えの項には、佐用姫に関する言及がかなりあった。それらを読みながら、前から何となく考えていたことがまた思い浮かんだ。やっぱり口伝か、と自分につぶやきながらまた歩き出した。偶然手にした一冊の本からもらったヒントについて思いを巡らしながら、いつの間にか鏡山に登る道を守る鳥居の前に立っていた。

 

No.023_交差する物語_04

 

ラモーナ ツァラヌ

 

 

 

 

 

 

■ 予測できない天災に備えておきませうね ■