No.018_交差する物語_01

 

 

 花を相手にする時、頭の中の言葉のざわめきが落ち着く。花は一言も発声しないのに、とてもたくさんのことを教えてくれる。生け花は、手元に来る花一本一本の話を聞くようにするところから始まる。人(ヒト)と会話するみたいなのだ。長く持つヒトもあれば、一日のうちに咲いて萎れてしまうヒトもあるので、一期一会になる。

 

 花との会話は決まって私の一番知りたいことを聞いてみるところから始まる。どうして頑張って土を貫いて、必死に咲いて、真直ぐに伸びようとするのだ? 一日でも空が見たいから、と花が囁いてきそうだ。種類にも関わらず、みんな同じように答えてくれる。そんなことを言われると、こちらは言葉を失ってしまう。黙って、花が自ら語り出そうとしている話に耳を傾けるしかない。

 

 真直ぐに伸びるハナショウブと、たくさんの小さな花を咲かせて玉のような形をしているビジョナデシコの話はもちろん異なるものだ。そもそもビジョナデシコは口が多い。貴族が登場しそうなユリの物語は、広い野原が好きなグビジンソウの物語とはまた違う。バラが語ってくれるのは恋の悩みばかり。そういえば、柳も泣いてばかりいるから、いつも慰めたい気持ちになる。それとは正反対に、梅の枝は俗なる世界とは全く無関係そうに、幾何学の抽象的な世界からこちらへ引っ越してきたばかりのよう見える。

 

 色々な性格や立場を持つ花が出会う瞬間に生れてくる物語もまた面白い。いうまでもないが、相性がいいヒトと、どうしても互いを気に入らないヒトがあるのだ。生け花ではこの点を十分配慮しなければならい。せっかく個性を持つみんなが同時に同じ場所に集まったのだから、それぞれのベストな形に光を当てながら、みんなで仲良くしましょうというのが生ける側の根本的な姿勢である。

 

 しかし本当に素晴らしい生け花における花の組み合わせが目指しているのは、単なる調和ではない。この時この場所に一緒になった花のそれぞれの特徴を活かしながら、みんなが力を合わせて、何が創れるか、何になれるかがもっとも大事な話になる。

 

 例えば、自由花という作品種の場合、個性的で賑やかなヒトたちが集まる時が多い。人間が少しでも手を入れると、とても面白いパーティーになりえる。あの組み合わせを見るだけで楽しい気分になる。また、例えばカキツバタや水仙のような気品のある花なら、古典的なロマンを作り上げて、観る人間に夢を見させる。そしてたまには、人間技ではないような技術で何本もの花が一体となって、別の世界を想起させる異様な美しさを見せてくれることもある。

 

 花が語ってくれることに初めて気付かされたのは、大学4年生の頃、生け花入門コースに通い始めた時だった。友人が運営していた日本文化関連の事業を行う協会で、4週間にわたって生け花の基礎を身に付ける講座があるのを知って、即座にその教室に入った。そのコースを担当していたM先生は、ブカレストにあった文化センターで日本から来られた池坊流の先生の弟子だった。華道に必要な器や道具は、フランスにある一番近い専門店からこのコースのために購入された。生け花の歴史、その種類や典型的な作品の構成を説明する教材も、先生が所有していたフランス語や英語の生け花の本からの引用だった。

 

 お花を習っている方はきっと、生け花には教材なんて要らない、体で覚えるのだと思っていらっしゃるかもしれない。今は自分も同じように考えるようになったが、生け花に始めて触れた当時は、参考になる教材があってとても助かった。

 

 基本的な作品種ともいえる生花は、真(しん)、副(そえ)、体(たい)と呼ばれる三つの要素からなるのだが、M先生はその三本の枝のそれぞれの役割を「天地人」として説明していた。生花は天と地と人間でできている宇宙の小模型なので、花は宇宙の完璧な形を反映するのだ。

 

 東洋の思想の象徴をこのように目の当たりにしていた私たち生徒は、その理論に心を打たれた。遠い国にしかなさそうな神秘性の匂いがして、一生懸命にその言葉の意味を理解しようとしていた。しかし教材にあった図を参考にして実際に花を生けてみたら、花はそう簡単に「天地人」になるわけがないとすぐに思い知らされた。種類によって花には特徴がある。しかも花一本一本には「性格」がある。その性格を見極めるためには、生ける側の自分が花をこうしたいと思うのをやめて、花はどうなりたいかを「聞く」必要があると、M先生がいつも仰っていた。結局のところ、あの入門コースに参加して分かったのは、花の物語を引き出すようになるには時間をかけて、花と会話をし続ける必要があるということだった。

 

 来日してからすぐに生け花の教室に通い始めた。指導してくださるO先生は花をヒトと呼んでいる。花をよく見て、他の花との関係の中でどのように生けたら一番美しく見えるのか?図や理屈っぽい話はないが、花の話を聞くようにするという基本的な姿勢はやはり共通している。

 

No.018_交差する物語_02

作品 小野 菊香

 

 生け花を習って特に変わったのは、季節の感覚だ。春夏秋冬というよりも、桜の季節、ハナショウブとカキツバタの季節、菊の季節、水仙の季節などというような周期になる。

 

 5月の始まりはハナショウブが咲く時期だ。子どもの日に因んで、男の子たちの元気な姿への祈りを込めてショウブを高く、二輪が競っているように生けるというが決まりがある。勝者と敗者を表現するというよりも、常に上を目指してベストを尽くす志の表現になる。夢を実現する力は自分の中にあると信じよう。これはこの時期に池のほとりで咲く花が囁いてくれる話なのだ。

 

 このように花の中にある小さな永遠と付き合って、知らなかった物語や忘れかけていた物語を教わりながら、今年もショウブの季節を迎えた。

ラモーナ ツァラヌ