この間J・R・R トールキンの『指輪物語』のことを思い出した。映画『ロード・オブ・ザ・リング』の基になった、架空の世界「中つ国」を舞台としているあの物語である。映画化されてから世界中で一気に注目を集めたこの本は、50年代に初めて出版された時から広く愛されている。人気の理由の一つは、その高度な文学性にあるのだとされる。トールキンはゲルマン神話を参考にして、中つ国の歴史やあそこで使われるいくつかの言語を創った上で、その世界の中で展開する物語に何人もの個性的な人物たちを登場させた。
一方、中つ国の「指輪戦争」にまつわる物語は、第一次と第二次世界大戦の間に執筆された。人類史上最大の危機とも言える時期に、一人の英国人作家があえて神話を使った架空の世界で起こる戦争の話をしているのは偶然ではない。第一次世界大戦で自分の醜さを知るようになった人類は、本物の闇は自分の心にあるのだという教訓を学んだはずである。人間の欲望や心中の葛藤を描く『指輪物語』は現代人の精神を鏡のように映し出している。
ただトールキンが作った神話的な世界自体は私たちが幼い頃から聞いてきた昔話の世界と非常に似ており、懐かしい感じがする。中つ国とグリム童話の世界はどうやら同じ規則に従って動いているようで、「薄暗さ」という共通点がある。深い森に入った時に目にするあの薄暗さである。幽かな光の中で神秘的なものを感じるのだが、少し怖い感じもする。そこで息をしているだろう精霊、妖精たちや幽霊などは人間の精神の中にある謎を物語っている。このようなモノたちは、光と闇の間の境界線がはっきりしている世界の住人ではない。彼らは薄暗い世界の中にしか存在しえない。
つまり光と闇、善と悪、白と黒と言った極性だけでは、人の心はもちろん、現実のことだって語りつくせないのだ。光と闇の間には影のグラデーションがある。人間はその影の中に自分の本当の顔を見出し、あるようでないような幽かなものを出現させる物語に自然に惹かれるのである。
『陰翳礼讃』めいた序論になったが、私たちが能の世界に強い魅力を感じる理由は、まさにその薄暗さにあるのではないかと思う。亡霊、神鬼やその他の異形のモノたちが登場する物語の世界には、私たちが子どもの頃に聞いた昔話や神話にも見える、謎に満ちた懐かしい薄暗さがある。
日本人は学校の教科書などで、伝統芸能としての能に出会うのが一般的だろう。先祖代々に受け継がれた型や謡、何百年が経っても衰えないその奥深さに憧れて、能楽堂に通ったり自分でも謡いや仕舞いを習ったりする人も多い。しかし日本の外では、最初は文字で書かれた能の物語に出会う確率の方が高い。
能楽を愛する外国人はみな、彼らが能と恋に落ちた際の運命的な出会いを語れると思う。例えばそれは、文武両道に優れた武将の亡霊が語る修羅道の有様が、本当は夜明け時の闇と光の間の戦いだったかもしれないということを仄めかす『屋島』のような能かもしれない。『源氏物語』などのような王朝文学に出てくる優美な女御たちの幽霊を登場させる能や、国を守る神々や成仏への弔いを乞う魄霊の物語も能の世界への入り口になりえる。
私の場合、『井筒』の翻訳を読んだ時が能との運命的出会いだった。この能では在原業平の妻の亡霊が登場し、業平と一緒に過ごした日々を回想する。子どもの頃、二人で丈比べをしていた井戸が懐かしい思い出を呼び起こす。よく知られているように彼女の思い出話は『伊勢物語』を拠り所にしているので、辛い思い出も一つくらいはあるはずだ。しかし『井筒』の女が思い出すのは幸せな昔の日々だけである。
業平に会いたい気持ちが溢れ、彼の着物を羽織った女は井戸の水鏡を見る。そこで愛する人と久しぶりに再会できたと思ってしまうのは、一瞬の錯覚なのだが、本当でもある。あまりの愛おしさで自分の魂が相手の魂と一つになっているのである。自分の影を愛する人の影と間違えるのは、寂しいことのようでどこか面白く、嬉しいことだ。このような想いをしている『井筒』の女は、懐かしい思い出を語り続けながら舞いを舞って、夜明けの光に溶けて消える。
能『井筒』に見えるこの物語の切なさに心を打たれた。主人公は旅の僧の夢に出てくる女の亡霊であり、彼女の思い出話のきっかけは、古いお寺の近くにある井戸である。その風景は子どもの頃に聞いた昔話にもあった、不思議に満ちた夜中の森にどこかしら似ている。その懐かしい雰囲気に惹かれて能の世界に息づく物語をもっと知りたくなったし、このような物語を作った人のことももっと知りたいと思った。
能『井筒』 ©Karen Brazell (GloPAD)
本物の能を観る機会があったのは、少し後のことだった。能楽の表現に馴れていない者はみんな同じような感覚を抱いたことがあると思うが、魅せられたのは幽かなる雰囲気の物語なのだから、最初は多分もう少し透明で物質性のない舞台を期待しているだろう。だから想像力を働かせないと、しばらくは舞台上で何が起こっているかぴんと来ない。しかし能面の強い存在感といい、役者の動きの格好良さといい、能の本当の魅力を感じさせてくれるものに少しずつ気づくようになる。一つずつ面白い発見を積み重ねてゆくにつれて、この世界に触れる機会があって本当によかったと思うになる。
能の世界へ導いてくれたのは、子どもの頃に聞いた物語とよく似ている、全ての可能性を内包するあの謎に満ちた薄暗さかもしれない。しかし結局のところ、能楽の最大の魅力はやはり他の芸術表現と類似のない部分にあるのではないかと思う。このような未知の部分があるかぎり、能の世界の探検は終りなき物語のように面白い。
ラモーナ ツァラヌ
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