こんちわん。わんわん。りょんさんですー。
3回目の追加接種が盛り上がって参りましたー。みんなはもう済んだかなぁ。りょんさんはこれからなんだ。なんか、いろいろ言われてるのを目にすると正直、ちょっと怖くなるね。だけど普通は何も起きなくて、何も起きなかった人は騒がないし、過ぎたら忘れちゃってる。結果として、そうじゃない極少数派が目立っているんだよね。
新人賞の受賞者には親切、親身になるっていうのが金魚屋の身上だそうで。聞いたところによると、1回目の新型コロナワクチンをなかなか打てなかった新人賞受賞者に、金魚屋の編集部が予約なしの接種会場の情報をつかんで、それでワクチンを打たせたんだって。いい話だよねー。Twitterでワクチン情報を出してたのは、知念先生っていう小説家でもあるお医者さんなんだって。
りょんさんはTwitterってやんないんだけど、情報をゲットするのには便利だよね。役に立つのはいいことだ。そんで、その知念先生のTwitterってのをちょっと見てみたんだけど、すごーくびっくりしちゃった。せっかくワクチン情報を出してくれてるのに、ものすごい罵詈雑言リプライがいっぱいついてる。それをまた、ブロックもせずにぶら下げてるんだから偉いもんだなぁ。
このところお医者さんが襲われたりして、ホントに医師受難の時代だと思うよ。なんでこんなことになっちゃったんだろうね。りょんさんは厳しい教育を受けてきた世代だから、「先生」って呼ばれる人にはまず、へりくだって接するべき、乱暴な口をきくべきじゃないって思ってる。でもそれは「先生」の権威を信じ込んでいるから、ってわけじゃないんだよ。
「先生」はどうして「先生」って呼ばれるんだろう。たとえば八百屋さんで大根を買うときに、店員さんを先生と呼んだりはしないよね。お客様は神様、とも思わないけどさ。まぁ要するに、決められた対価に見合ったものをもらってるっていう、対等な取引相手ってことだよね。これが普通の商取引だ。
相手を「先生」と呼ぶのは、その人は対価に見合ったもの以上の、もっとかけがえのないものを与えてくれる可能性がある、それを期待できる人だ、っていう意味なんじゃないかな。自分が支払う対価に見合った、最低限のものだけでいいんだったら、乱暴な口をきいてもいいかもしれない。だけど、その人が持っている最大限の力をどうぞ与えてください、って気持ちがあるから、「先生」って呼ぶんじゃないかな。呼ばれた方だって、そうしないわけにはいかないって気持ちになる、というお約束でね。
だから、必要以上に無礼な口をきくっていうのは、自ら最良のものを与えてもらう可能性を振り捨ててるってことで、ソンしてるんじゃないかなぁ、と思うんだけど。そもそも今の時代、「先生」と呼ばれる人が、心の底からふんぞりかえってるってことはないと思う。「先生」と呼びながらも、相手はそのぶん余計に細かく、シビアな視線で自分を評価している。そんなことわかってる、その程度の知性の持ち主が「先生」と呼ばれてるんじゃないか、と思うけどね。
新型コロナワクチンを推進する知念先生や、その他の医師が、Twitterなんかでひどく悪様にコメントを付けられるのは、一方では反ワクチンのお医者さんたちがいて、この人たちを尊敬する一般人がたくさんいるかららしい。彼らはワクチンそれ自体に害がある、すなわち〈ワクチン後遺症〉が存在するとして、ワクチン推進派のお医者さんのアカウントに出張して難癖つけている。そんで、りょんさんは、その〈ワクチン後遺症〉を診てくれるので有名になったN先生の動画っていうのもちょっと見たんだ。
うーん。。。「心情的には理解できるんだけど、言語的には理解できない」って言ったらいいのかな。つまりワクチンを受けたくない理由がある人にとって、この先生が救世主のような、ほとんど唯一の素晴らしいお医者さんに見えるって気持ちはわかる。だけど、この先生の言ってる〈ワクチン後遺症〉ってものが結局、りょんさんにはよくわかんなかった。
その先生が言うには、〈ワクチン後遺症〉の症状は様々なんだって。つまり、これこれこういう症状、っていうふうに定義できないらしいんだよね。ただ共通して「それによって学校に行けなくなったり、仕事ができなくなったり、日常生活に支障が出るもの」を言うんだって。だけどさぁ、メンタル含めて、あらゆる「病」って、そういうもんなんじゃないの。症状が決まらないなら、いったいどうやって治療してるんだろう。そして症状が決まらないなら、何をもってその「病」を定義してるんだろう。N先生が優しく患者に寄り添ってるっていうのは認めるけど、この先生の言うことは、医者の言葉とは思えなかった。
テキスト中心主義っていうか、論文をよく勉強するのが当たり前で、何よりエビデンスを重視し、医療を科学と考えるお医者さんが、N医師を批判するのは当然だと思う。でもりょんさん自身は一般人として、論文がどうだろうと、統計が何だろうと、どうだっていい。ホントはね。つまり、自分の病気さえ治ればいいっていうのが、われわれ普通の患者でさ。で、そのためにこの先生にかかりたいかどうか、ってことが基準なんだよね。
りょんさんはたまたま今、健常な状態で、この〈ワクチン後遺症〉を診察するお医者さんの言葉に矛盾を感じてしまった。それは不安を呼び起こすから、りょんさんは今のところ、この先生にかかりたいとは思わない。だけど論文がどう、エビデンスがこうで押し通すようなお医者さんだったら信用できるかっていうと、時と場合と状況によっては、そうとも限らないよね。患者が気になってるのは、今の自分の状態だけなんだ。たとえばある病気である確率がどんなに低くたって、心配になる理由があるから受診するってこともある。そんなときにいろんな数字を並べ立てられたって、患者は納得しない。
だから新型コロナにしても、もしイベルメクチンで治るんだったら、少なくともイベルメクチンで治ったような気がするんだったら、それはそれでありがたい。そのためにワクチンの普及が遅れてしまうんだったら、公衆衛生の敵って言えるかもしれないけど。だけどわれわれにとっては、ワクチンができるまでの繋ぎとして持っていて、不安がおさまったというだけでも助かる。そしてもちろん、他の良い薬がどんどん出てきたら、イベルメクチンが効こうと効くまいと、それにこだわることはない。巨悪によって陥れられているらしいイベルメクチン派にとっては、裏切り者かもしれないけどさ。
そもそも最初の対立は、そのイベルメクチンが効くかどうか、だった気がするんだ。それがいつの間にか、ワクチンが有害かどうか、みたいなところにずれてっちゃって。イベルメクチンが効かないんだったら、ワクチンが効くまでの間ごまかせればそれで良かったし、またイベルメクチンが効くんだとしても、もっと効くワクチンや他の薬が出てきたんだからそれはそれでもういいじゃない、って言いづらくなってきた。われわれは日々を健康に過ごすことができさえすればいいんだから、論文や統計がどうだろうと、知ったことではないんだけど。
実際、その〈ワクチン後遺症〉を治すって先生のところに来てる患者さんたちが求めているのは、科学的なエビデンスなんかじゃないでしょ。彼らには彼らの問題があって、もしかすると人が疑うように、それはメンタルなものを含んでるのかもしれないけど、とにかくまずそれに寄り添ってくれる人を求めてるんだよね。たしかに、そこからしか何も改善しないかもしれない。
もちろん、科学者であるお医者さんたちは、そういった患者固有の事情を念入りに除外して、正しい診断を下さなければいけないと思っていて、それはそれでもちろん絶対的に正しくはあるんだけどさ。そうでなければ、他の大勢の人たちをもミスリードして、結果的に命の危険にさらしてしまうかもしれないって言われたら、ほんとにその通りだよね。
理屈としてはその通りなのであって、たとえば子宮がんのワクチンについても、心因性の一種のヒステリートたちのせいで普及が遅れ、結果として(数字として)は何万人もの子宮がん患者が発生してしまった。そう言われると、ホントにそれは被害甚大だと思うんだけど。
でもさ、高価な子宮がんワクチン、それも若い人にしか打てないものを、わざわざ娘に打たせるような、そういう家庭の人たちって、たとえ子宮がんワクチンが使えなくなったとしても、きちんと子宮がん検診に行く意識の持ち主なんじゃないか。で、ワクチン普及が頓挫したために、この人たちがたくさん死ぬ結果になったと言い切れるのかな、ってちょっと思うんだよね。
結局、病気っていうのはデータではなくて、それぞれの人に宿るものだからさ。よく勉強している若いお医者さんは、自分たちが知性の権化で、年配の医者なんか信用できないと思ってるけど。だけど、どんな医者さんにかかりたいかって、りょんさんをはじめとする一般人の直感から言うと、「よく勉強してる若いお医者さん」はまず絶対にゴメンだな。
だって若いお医者さんてさ、素人もまっっつあおの非常識なこと言うんだもん。お酒なんてお相伴がせいぜいの女性に向かって、肝臓の値が悪いのは酒の飲み過ぎ、とかさ。そんなの糖質からに決まってんじゃん。顔見てわからんかね? 昔に比べたら、今はどこの私立医大も難しくなったし、そういう意味じゃ若いお医者さんは年配のお医者さんよりも「優秀」なのかもしれないけど。経験や勘だけに頼るタイプの古い医者は、たしかにとんちんかんな理論にハマるかもしれない。「自分の身の回りの人たちはこうだ」と言いはる素人と変わんないよね。でも経験もなく、人間に対する勘もはたらかない若い「優秀」な医者は、目の前の患者のそのものを初手から読み違える。マイケル・J・フォックスが医者になって出てた映画に、そういうのあったっけ。
映画とは違ってさ、実際には患者は、この医者ヤバいな、と思っても、何も注意なんかしてくれない。黙って他の病院行っちゃうだけだから、50歳ぐらいになるまで気がつかないよね。それこそ手遅れだなぁ。どんなに医学が発達しても、医者のバカ息子の頭は治らないって笑い話もあるけどさ。
あと年齢の他に、専門の違いっていうのもあって、たとえばすごく腕の立つ外科医でも、意外とワクチンに対して懐疑的な人が多い。外科の世界でものを言うのはやっぱり術例数、経験だよね。やっぱワクチンなんて、なんかよくわからんもんなんで、自分の娘だけはなんとなく受けさせてないとか、必要なくなる年齢まで様子を見てる、ってことはある。でもその娘さんを守っているのは公衆衛生、すなわち周りの人がみんなワクチンを受けてるから、なんだけどさ。
マスに対するロジックと、個々に対するロジックとが矛盾する、それぞれの場面で違う動き方をしなきゃいけないっていうことは、しばしばある。これだけ大勢がワクチンを受けているのに、はっきりした後遺症なんか確認されてないんだからっていうのも正しければ、これだけ大勢が受けていて、それを引き金として何か症状が出た人が1人もいないはずがないっていうのも、また正しいんだよね。
りょん
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