僕は他人に配りたくなるほど「泣けるもの」をもっている。
感動屋で泣き虫、それが僕だ。
あまり人に自慢できるようなものを持ち合わせていない人間だけど、とかく何かにつけてすぐ感動してしまう僕は、たぶん人よりも、それを多くもっている気がする。気がするだけかもしれないけど。少なくともそう思わせてくれるほどには自分が泣き虫だという自覚がある。
あと、なぜか僕の部屋にある冷蔵庫の中にはチューブタイプのワサビが配るほどにある。
うん。
泣けるもの。
泣けるもの?
果たして、こんな、30歳を過ぎてようやくドライヤーの素晴らしさに気付くような人間の「泣けるもの」を、世の中の人は知りたいと思うだろうか。
いくら世情に疎い僕でも、自分の「泣けるもの」なんて、これっぽっちも求められていないことぐらい知っている。
たぶん、ワサビのほうがよほど求められてる。
悲しい。
もし僕にドライヤーで泣けるほど文学的な側面があれば、それはそれでまた別の需要があったのかもしれないけど、残念ながらそこまで文学的になることもできない。
僕はドライヤーで泣くことはできない。
もうワサビの話もしない。
先日、僕のことを知る昔からの友人に「ドライヤーの素晴らしさに気づいた」とメールを送った。
友人は「よかったね」と返事をくれた。
その友人とはそれ以来、連絡をとっていない。
悲しい。
泣けるもの。
今この場所でどんなものをあげれば、人は納得するのだろう。
その気になれば人はワサビでだって泣くことができる。
そして僕はそのためのワサビを配ることができる。
2016年4月。
50年以上の歴史ある自転車レース、アムステルゴールドレースにて、3週間前に別のレースの事故によりチームメイトを亡くしたばかりのイタリア人、ガスパロットが勝利した。
強い選手であることは間違いなかったけれど、下部チームに在籍する選手が優勝したのだ。
彼はレース後、インタビュアーに訊かれ、こう答えた。
「最後の坂を登るあなたの肩には、今日は天使がいたのでしょうか」
「いや、ちがうよ。今日はチーム全員の肩に、天使がいたんだ」
写真:砂田弓弦(©YuzuruSunada)
僕は自転車選手のレース中での死亡事故を美談にする気はない。
それは起きてはいけないことだし、改善できる点があるなら改善されるべきだと思う。
ただ、ときどき僕たちの肩には天使が舞い降りることもある。
そもそもなぜ、冷蔵庫の中にこんなに大量のワサビがあるのか。
文学金魚さんに今回のお題を与えられる前から、ずっとだ。
たぶん、天使のせいだ。
結局、配りたくなるほどにたくさんある僕にとっての「泣けるもの」を書くには、あまりにも僕の了見が狭すぎるし、誰かを納得させる自信もない。
代わりに「泣けるもの」が思いつかなかった人のためにワサビを配ろうかとも思った。
あと、人にいきなりドライヤーの素晴らしさについてメールを送るのはおすすめしないと、僕はアドバイスすることができる。
そんな奴にはいつまで経っても天使なんて降りてきやしない。
おわり
小松剛生
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