講評 文学金魚編集部
講評
無数にある『不思議の国のアリス』の、それも無名の若者の翻訳である。意味を見い出すには単なる翻訳であってよいはずがない。
翻訳者はそのことに意識的であるだけでは足りない。翻訳とは何か、という問いの根底に、わずかでも触れている気配がなくてはならない。それも文学金魚が賞を与え、掲載するからには創作の謎に資するまで迫ってこなくてはならない。
星隆弘の訳文は、文字通り現代を掬いとろうと意図しつつ、そこにある種の気魄、念と呼ぶべきものが籠る。言語が孕むエネルギーの息吹き、その生命感のみを創作に通じるものとして認め得る。
文学金魚編集部
受賞の言葉
大学の学部時代、通っていた英文学科の入っている棟のちょうど同じ階に詩や小説、文芸批評を専門とする学科がありました。棟の入り口から見て左翼が英文、右翼がそっちです。ぼくは毎日そこを左折しました。
この左折のそもそものはじまりは、大学入学前に遡ります。作家になりたいと思っていた高校生のぼくは英文学科に進みました。
それは英語の達人になりたいとか、英米文学に傾倒していたとかいう理由からではなく、創作の道具たる日本語を外国語を通して見てみたいと思ったからでした。つまり自分の日本語のために、翻訳をしたかったのでした。
いまもぼくは外国語へと切り返した左折の果てに自分の所在を感じています。よくある話で(運転免許を持っていないのに言うのもなんですが)交差点の右折車レーンの渋滞を回避するためにあえて左折をすることがあります。左折、左折、左折で右です。
ぼくという左折者もようやく三度目の角を迎えられそうです。学校をすべて終えた年に思いもよらず、文学金魚新人賞でカドデを飾っていただけた幸運が嬉しいかぎりです。
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■