3月8日は国際女性の日で、ルーマニアでもこの日とその前の立春の日(3月1日)には女性がプレゼントをもらう。日本ではひな祭りもホワイトデーも3月にあり、春の季節が始まる今月はなぜか女性がちやほやされる時期である。女性は嬉しいが、出費がかさむ男性にはあまりやさしい季節ではないかもしれない。女子祭りの3月は残りわずかだが、前から気になっていた話題に触れてみたい。
ヨーロッパに行く日本人の方は、きっとみんな現地の女性に関するとある現象に気付く。筆者は長い間少しも不審に思ったことはなかったが、日本人の知り合いに指摘されてみると、あの現象は本当に起きているのだと認めるしかなかった。あの現象とはずばり、街を歩くヨーロッパ人の女性の殆どがズボンをはいていることだ。日常的な場でスカートをはいている女性、またはワンピースを着ている女性は少ない。
それで?と訊かれそうなところだが、女性が日常的にスカートをはいていることが多い日本に暮らしてみると、出身国の女性があまりスカートをはかないことが気になって仕方がない。どうしてこのような状態になったのか?この現象は何を表しているのか?と色々考えさせられる。
実は筆者も日本に来る前は、女性らしい洋服を着ることはあまりなかった。大学や仕事の場ではもちろん、遊びに行く時もズボンだった。結婚式などの特別な日でもない限り、スカートをはくことはめったになかった。周りの女性もそうで、特別な日でもちょっとおしゃれなブラウスをズボンに合わせると、大体何とかなる、というような考え方をみんなが共有していた。ちなみに男性の方も、それを別に気にしていなかったようだ。そもそも女が綺麗になろうと思って髪形を変えたり、新しいピアースなどをわざわざつけたりしても、彼らは何も気付いてくれない連中だし。
子どもの頃は、きれいなワンピースを着て毎日仕事に出かけていた母親にとても憧れていた。あの頃の女性向けの雑誌を思い出すと、スカートやワンピース姿の女性の写真ばかりが思い浮かぶ。世界中の女の子みんながそうだと思うが、小さい時の好きな遊びの一つとして、母が出かけているうちに、母の洋服やハイヒールを箪笥から出して身につけたりしていた。大人になったら、自分もこのようなワンピースを着るようになるのがとても楽しみだった。もちろん母が帰ってくるまでに洋服は元通りにしまっていた。母は多分毎回ごちゃごちゃになった洋服の異変に気付いていただろうが、一度も怒らなかった。自分の娘が大人になって、女性らしい服を着るようになることを楽しみにしていたのだろう。それは期待通りにならず、それどころか、いつの間にか母親もズボンばかりをはくようになってしまった。
高校の時は制服を着ていたのだが、女子はズボンとスカート両方を持っており、どちらにするかを自由に選べた。同級生の中にはたまにスカートをはいて学校に来る子もいた。しかし自分は卒業式の日以外、スカートをはいた覚えがない。
大学の時も動きやすさを重視したり、面倒くさがったりして、毎日ズボンだった。周りの女子もほぼ同様。これは変だと初めて気付いたのは、2008年に日本からルーマニアに留学に来た友達のYさんの一言によってだった。当時、服のデザインを勉強していた彼女は、ある日ブカレストを散歩していた時に、「ルーマニアの女性はあまりスカートをはきませんね」と言った。それをきっかけに、本当にそうだと気づいた。デパートの洋服屋を一緒に回った時も、ルーマニアの女性の服は日本のような「かわいい系」ではなく、「かっこいい系」だとYさんが教えてくれた。
ルーマニアの人も、女性があまりスカートをはかないことを不自然に感じていたらしい。翌2009年の夏、ある日街を歩くと、ピンク色のドレスを着た女性の写真が印刷された大きなポスターが、あらゆる場所に貼ってあった。キャッチフレーズは「ワンピースを着て、女性らしくになりましょう!」という内容だった。Pe Tocuri(“ハイヒール”)という女性ファッション雑誌が始めたキャンペーンだった。ルーマニアの女性があまり女性らしい服を着ないので、その雑誌は数ヶ月にわたって様々なイベントを行い、ワンピースを着ることの楽しさを女性にアピールしたのだ。
ファッション雑誌Pe Tocuriのキャンペーンポスター(撮影 Andrei Stavila)
キャンペーンの成果なのかどうか分からないが、その後は服装に関する女性の趣味が少し変わった。特別な機会でなくても、日常のお出かけの時などにスカートをはいたり、ワンピースを着たりする女性が増えた。それがとても喜ばしいことだと思うのは、女性がズボンばかりはくのはどこか不自然だと感じ続けていたからだろう。
とは言っても、ルーマニア以外のEU諸国でも同じ現象が見られる。ドイツでもフランスでもイタリアでも、女性の日常的な服装としてズボンが広く好まれている。動きやすいから当たり前だろうと言われそうだが、どうやら動きやすいという理由だけではないようである。
男女同権にまつわる問題はヨーロッパの各国で大きなテーマになっている。女性は仕事の場で不公平な扱いを受けていることが明らかになり、ドイツをはじめ各国で男女不平等を是正する動きが生じた。しかし男女平等を推進することで、女性が男性化することになるとは多分誰も予想していなかっただろう。
ただルーマニアを含む東欧の場合、西欧の国とは少し違う側面があるのも確かだ。25年くらい前までは共産主義だった国の場合、性差別はほとんど話題にも上らなかった。何故かといえば、男女問わずみんな物を生産できる労働者だから、立場が同じであるのは当然だという社会的理解(建前)があったのである。旧共産国や現在の共産主義国でフェミニズムがあまり流行っていない理由は、そんなところにあるのではないだろうか。
しかし男女平等が建前の国でも女性があまり女性らしくないのは事実で、それには別の理由があるだろう。公的な場所での安全性が十分でなかったり、家庭内暴力の率が高かったりするのである。多くの女性にとって、身の安全のために女性らしさを隠すことが一番手っ取り早い手段だった。また知らないうちに私たちは、心の奥底で「男」にならないと何もできない、というような考え方をするようになってしまったのかもしれない。いつの間にか「女性らしさ」が「脆弱性」と同意味になっており、傷つきやすさを見せてしまうと踏み台にされるから、できるだけそれを男っぽい態度で隠すようになったのである。「男」になる姿勢は先ず精神的な行為だが、その精神がやがて外見(服装)に出てくるようになってしまったのだ。
現代の欧州社会では、女性らしくいるためにはかなりの勇気がいる、というのは個人的に痛感している現状である。日本では女性が日常的にスカート姿で出かけられるのが、純粋に嬉しい。あらゆる社会的場面で男に扮装しなくても、つまり別人にならずに女性のままで戦うことができるのは、当たり前のようで当たり前ではないと思う。
日本に来てから持っている服の中で、スカートの数がズボンより多くなったと母親に伝えた時、信じてくれなかったので、スカートを並べて写真を撮って送った。その話題で会話が盛り上がり、しばらく母と笑い合った。しかし今度またヨーロッパに行く時に、異性に扮装せずにいられるかどうかはまた別の話だ。
ラモーナ ツァラヌ
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