
子どものころ
アメリカに行ったら馬に乗りたいと思っていた
映画やテレビの中のヒーローたちは
軽々と馬に乗って荒野を走り回っていたから
もちろん一度も馬に乗ったことなんてない
それはそうとハワイで用事があったときに
アメリカ本土に行くことにした
テネシー州とイリノイ州に友だちがいて
一人は言語学者でもう一人は画家
言語学者は「本物のアメリカを見せてやる」と言い
日本旅行を最後に海外旅行をリタイアした画家は
「おまえがアメリカに来い」と言った
西海岸までは日本からハワイに行くよりも遠い
飛行機の長旅は退屈だ
乗り継ぎの多い空のバス便で
小さな窓の外が明るくなり暗くなり
うまくもまずくもないご飯が運ばれてくるだけ
シャーロットはとてつもない大都会で
中心部はニューヨークのオフィス街となんら変わらない
言語学者の車で郊外のシャーロット・モーター・スピードウェイに行った
NASCARの聖地で
日本ではF1やル・マン24時間レースが有名だが
アメリカではNASCARが絶大な人気らしい
観戦したのはストック・カー・レースで
市販車をモンスター・カーに改造したレースだ
インディ方式で楕円コースをひたすら猛スピードで回るのだが
スタート直後にクラッシュが起きた
レース途中でも前に邪魔な車がいると
バンパーをぶつけて容赦なくスピンさせる
度肝を抜かれていると
「クラッシュのないカー・レースなんて面白くないだろ
アメリカ人は正直なのさ」
言語学者は興奮し上機嫌だった
「今日生まれた赤ん坊が二十年後にどんな仕事につくか
誰にもわからない
俺の仕事だってないかもしれない
だけどレースは残るよ
レーサーには強靱な肉体と卓越した技術
それに冷たい狂気が必要だからね」
言語学者の家に二泊してイリノイ州に向かった
アメリカは広い
シャーロット・ダグラス国際空港からセントラル・イリノイ空港へ
画家が住んでいるのはマーティントンという町で
シャーロットとはうってかわった田舎町だ
「いい町だね 気に入ったよ」
「じゃ ビザが切れるまでいたらいいだろ」
言語学者と同じように
読めないだろうけどお土産に二冊の詩集を手渡した
『聖遠耳』の表紙を撫でながら「クートラスは素晴らしい」
『おこりんぼうの王様』の表紙をじっと見つめ
「おまえが描いたんだよな」と笑った
観光名所のないマーティントンを訪ねたのは画家の仕事を見るため
平屋のアメリカンハウスの大きな窓のある北向きの部屋で
午前中から午後三時くらいまで仕事する
彼は風景しか描かない
だだっ広い道路に沿ってポツポツと並ぶ
せいぜい二階建てのアメリカンハウス
よく手入れされた芝生
警報器は鳴るけど遮断機のない貨物線
それにどこまでも続く木製の電信柱と電線
マーティントンの街並みそのままだけど
画の中にしかない風景
十年前と比べると
彼の絵はじょじょに大きく白くなっている
ほとんど白と黒の絵の具しか使っていない
大きな刷毛のような筆で絵具を厚塗りしてゆく
知り合ってまもないころ
なぜ絵を描くのかというバカな質問をした
彼は困惑しながら ”I only wanna paint good things” と言った
「いい絵だね」
画家といっしょに100号くらいの絵を見る
複雑な白と黒と灰色の絵
道路と家と電信柱と電線
まだ完成ではないと言う
いつ完成するのかは画家にしかわからない
空港で別れるとき
画家は小さなブリキ缶をお土産にくれた
フタを開けると底に絵が貼り付けてあった
やはり道路と家と電信柱と電線の小さな世界
「このまま飾れるだろ
見たくないときはフタを閉じろよ」
今回もアメリカで馬に乗らなかった

縦書きでもお読みいただけます。左のボタンをクリックしてファイルを表示させてください。
■ 金魚屋 BOOK SHOP ■
■ 金魚屋 BOOK Café ■


