かなりの泣き虫である。
生まれてからこのかた、男の子は泣いちゃいけませんという世の中の掟があるので、なるべくなら人前で泣かないようにしている。
だけど一人の時は、テレビのニュースを見てもドラマを見ても、ティッシュを目に当ててすぐ泣く。気の毒だなぁと思っただけで涙腺がゆるんでしまうのである。
もうずいぶん前だが、深夜番組であるドキュメンタリーを見た。
長年タクシー運転手を仕事にした初老の男性が、子供たちの大反対を押し切って、奥さんだけ連れて山奥の故郷に戻ってしまう。
空き家だった実家は荒れ果てていた。だけど男性は楽しそうに家を修復し、薪を伐り、畑を耕して自給自足の生活を始めた。奥さんはなんでこんな辺鄙な所にと不満げだったが、まあ旦那のワガママにつきあって忙しそうに働いていた。
男性は七十歳近かったと思うが、痩せて筋肉質で若々しかった。どういう経緯かわからないが、その夫婦を二十年近くにわたって追ったドキュメンタリーだった。途中までは物好きな人もいるもんだなぁという興味本位で見ていた。
夫の方は病気になり病院で死ぬ。家に帰りたいと言っていたが、かなわなかった。奥さんの方もだんだん身体が弱ってくる。三、四人子供がいたと思うが、もういい年になった子供たちが会議を開き、奥さん、つまり自分たちのお母さんを山奥の家から引き取ることにした。
奥さんは老人ホームに入った。あんまり楽しそうじゃなかったのに、すぐ山奥の家に帰りたいと言い出すようになった。ちょっとボケが始まっていたのだ。子供たちは年に数回は身障者用のタクシーをチャーターして、車いすのお母さんを山奥に連れて行ってやる。家は男の子供たちの手で、キレイなまま保たれていた。
「おじいさんはどこ?」
山奥の家でお母さんが聞く。
「山に行ったのよ。もうすぐ帰ってくるわよ。おーいって言うと、お父さん、おーいって返事してくれるから。おーい(と叫ぶ)。・・・ほら、聞こえたでしょ」と娘。
「聞こえん、聞こえんかったよ」
こんなはずじゃなかったのにと思いながら、ティッシュを何枚も引き抜いてグズグズと泣いた。残酷なまでに無私の人の姿に弱いのだ。
ところで今、大昔に書いた『漱石論』をリライトしている。もうすぐ終わるのだが、終わる終わると言い始めてからけっこう長い。それはともかく、ひさしぶりに漱石作品に向き合って、つくづく文学は微妙なものだなぁと思った。批評をまとめる時にはそんなことは言ってられないのだが、作品の完成度とその魅力は必ずしも正比例しない。
団扇はもう翳して居ない。左の手に白い小さな花を持つて、それを嗅ぎながら来る。(中略)それで三四郎から一間許の所へ来てひよいと留つた。
「是は何でせう」と云つて、仰向いた。(中略)
「是は椎」と看護婦が云つた。(中略)
「さう。実は生つてゐないの」と云ひならが、仰向いた顔を元へ戻す、其拍子に三四郎を一目見た。三四郎は慥かに女の黒眼の動く刹那を意識した。其時色彩の感じは悉く消えて、何とも云へぬ或物に出逢つた。(中略)三四郎は恐ろしくなつた。
二人の女は三四郎の前を通り過ぎる。若い方が今迄嗅いでゐた白い花を三四郎の前へ落として行つた。三四郎は二人の後姿を凝と見詰めて居た。(中略)
三四郎は茫然してゐた。やがて、小さな声で「矛盾だ」と云つた。大学の空気とあの女が矛盾なのだか、あの色彩とあの眼付が矛盾なのだか、あの女を見て、汽車の女を思ひ出したのが矛盾なのだか、それとも未来に対する自分の方針が二途に矛盾してゐるのか、――この田舎出の青年には、凡て解らなかつた。たゞ何だか矛盾であつた。
三四郎は女の落して行つた花を拾つた。さうして嗅いで見た。けれども別段の香もなかつた。
(『三四郎』「二の四」明治四十一年[一九〇八年])
『三四郎』は『それから』、『門』と続く漱石の三部作で、若い男女の恋愛を描いているので、新聞小説作家・漱石による一種の大衆小説の試みだと言っていい。『門』の後に書かれた『彼岸過迄』『行人』『心』もそのテーマから言って自我意識三部作と呼んでいいと思うが、いずれの三部作でも、最初の作品の完成度はそれほど高くないのである。
当時のジャーナリズムの状況と漱石の健康状態も影響したのだろうが、夏目さんは年に一、二本くらい長篇小説を書くような執筆ペースだった。現代の流行作家に比べれば、ものすごく寡作ということになるだろう。ただその分、漱石は小説で同じ試みを二回繰り返していない。三部作では作品を重ねるごとに小説の完成度が上がってゆく。
『三四郎』は漱石がモデルの広田先生が登場したりして、三四郎の首根っこをつかまえて「おいおいちょっと待てよ、もうちょっと考えろよ」と説教したりするので、まあ作品としてとってもバランスが悪い。しかし『それから』、『門』と続く三部作で、読んでいて一番面白いのが『三四郎』なのである。
引用は、今は三四郎池と呼ばれている東大の中の池のほとりで、三四郎がヒロイン・美禰子と初めて出会うシーンである。白い花の匂いをフンフンかぎながら歩いてきて、三四郎をじろっと見て花を落としてゆくことからわかるように、美禰子ちゃん、かなり思わせぶりである。当時のことだから積極的に三四郎にモーションをかけることはないが、明らかに彼に自分の存在を意識させて気を惹いている。
ただまあ、そんな美禰子ちゃんにまんまと乗せられて、ハヒハヒ言いながら走っていって、花を拾ってしまうところが身につまされる。男の子だなぁとしみじみ思う。中学生くらいの時に、好きな女の子の前でカッコイイところを見せようと、生け垣を跳び越えようとして思いきり木に足を取られ、すっ転んで爆笑された思い出なんかが甦ってくる。カッコ悪い。でも「たゞ何だか矛盾であつた」としか表現しようのない男の子の直情である。漱石先生にはほかにも恋愛小説があるが、三四郎と美禰子の出会いほど新鮮なシーンはない。
今の世の中でこんなことを書くと叱られてしまうかもしれないが、男の子が泣いちゃいけませんと言われるように、女の子はいつもニコニコしてなさいとしつけられるようなところがある。これが男の子にとっては難物で、けっこう真意が読みづらい。
漱石さんは誘う女という人物造形が好きだったが、それに乗るか乗らないかは、作品ごとに設定された男性主人公の年齢と知性ではっきり分かれている。田舎者で若い三四郎は簡単に乗っちゃうのである。
美禰子ちゃん、美人だがポーカーフェースで、だけどおりに触れて三四郎にちょっかいを出してくる。「わたし、迷える子羊なのぉ」と言ったりする。当時の社会慣習に従って、年上の男と見合い結婚するか、〝現代的女性〟として恋愛の道を選ぶか迷っているという謎かけなのだが、子羊が二匹描かれた美禰子ちゃん自筆のハガキを受け取って、三四郎はうんうん唸ってしまったりするのだ。
三四郎と美禰子はほぼ同世代で、今ならお似合いのカップルだ。しかし当時は経済力のない三四郎が美禰子と結婚できる確率はほぼゼロである。友達の小次郎は「ムダ、あきらめろ」と言う。にも関わらず三四郎は悩む。あくまで直情的に悩む。美禰子が三四郎を誘いながら、決定的な言質を与えないからでもある。恋の行方は三四郎の決断次第のように見えるが、そうではないのである。結局のところ、すべてを決めるのは常識と品格を兼ね備え、ただ少しだけ恋愛に憧れている美禰子ちゃんである。
三四郎は堪へられなくなつた。急に、
「たゞ、あなたに会ひたいから行つたのです」と云つて、横に女の顔を覗き込んだ。女は三四郎を見なかつた。其時三四郎の耳に、女の口を洩れた微かな溜息が聞えた。
(『三四郎』「十の八」)
三四郎的は「たゞ、あなたに会ひたいから行つたのです」と美禰子に愛を告白する。でも美禰子はハァーッと溜息をついてスルーするのだった。物語ではこの時美禰子の結婚はすでに決まっている。三四郎はあっさり振られたのだ。ただこの男の子の純な直情は身につまされる。前のめりに倒れるんだろうなと思う。男の子はそれでいいんだという気がしてくる。
ところでちょっと前に母方の伯母が亡くなった。あまりよくないと聞いていたので覚悟はしていたが、実家から連絡をもらった時に、自分でもちょっと意外なほど動揺した。伯父と伯母には可愛がってもらい、特に伯父が亡くなった時にはかなりショックだった記憶がある。ただその時には僕は追悼詩を一篇書いている。それだけの元気があったということだ。だけど今回はそんな気力が起こらない。なんだかしょんぼりしてしまった。
伯母に最後に会ったのは今年の正月で、病院から自宅に一時帰宅していた。もうだいぶ悪いようで、僕の顔を見ても誰かわかっていないような感じだった。何度も僕の顔を見て、誰か思い出そうとしているような気配だった。だけど僕と目が合うたびにニコニコと笑った。ああいい表情をしているなぁと思った。
伯父はガンで亡くなったので、やせ細ってはいたが意識ははっきりしていた。痩せるとじいさんにそっくりだったんだなぁと驚いたが、僕の顔を見て「おお裕司か」とはっきりとした声で言った。彼は最後まで前のめりだったように思う。諦念に近いような静けさはぜんぜん感じられなかった。なにか底の部分でつながり、共有しているものがある。
男の子は全員マザコンだと言った人がいるが、そうかもしれないと思う。やっぱり女性的なものに弱いのだ。それは男の子の精神に染み込み浸食してくるが、生物学的なのか後天的なのか知ったこっちゃないが、長年の男の子は男の子を急にはやめられない。
木が倒れるように、長い年月の風雨で壁が腐食して崩れるように、自分も前のめりで砂をつかむように倒れることになるんだろうなぁと思う。でも純な直情くらいしか、男の子には取り柄がないような気もする。
鶴山裕司
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