Interview:山田隆道インタビュー
山田隆道:昭和51年(1976年)大阪府吹田市生まれ。清風南海高等学校、早稲田大学教育学部教育学科卒。大学時代から放送作家として活動し始め、現在は小説家・エッセイイストとして知られる。そのかたわらテレビやラジオのコメンテーターなどを務める。文学金魚で小説『家を看取る日』を連載中。プロ野球にも詳しく、現在日刊ゲンダイで『対岸のヤジ~プロ野球人物研究~』を連載しておられる。
山田隆道氏は放送作家から小説家に転身した作家である。放送作家時代に培った経験を元に、小説・エッセイの執筆だけでなく、テレビやラジオのコメンテーター、トークライブのMCなどマルチに活躍しておられる。文学金魚では来る六月開催の第一回『文学金魚大学校セミナー』で山田氏に学部長をお願いし、皆さんから募集した山田氏発案の『リード小説』についてのトークディスカッションを、山田氏に主宰していただく予定である。今回は山田氏にリード小説の目的や意義を語っていただいた。
文学金魚編集部
■リード小説について■
文学金魚 今日は来る六月上旬に開催する第一回『文学金魚大学校セミナー』(https://www.makuake.com/project/bungakukingyo/?utm_source=a37&utm_medium=email)で、学部長を勤めていただく山田隆道さんにお話しをおうかがいします。文学金魚のTwitterでは山田さんの発案で『リード小説』を募集しています。セミナーでは山田さんに、皆さんから募集した『リード小説』を取り上げながらお話しをしていただきますが、そのほかにも三浦俊彦さん、遠藤徹さん、仙田学さんによる鼎談なども企画しています。彼ら三人は、ちょっと語弊があるかもしれませんが、文学の世界では数少ない〝偏態(変態?)作家〟たちです(笑)。偏態作家というのは書いている作品が特殊だからですが、既存の文学の世界ではジャンル分けできない作品を書く作家たちということでもあります。逆に言うと、現状の文学の世界は細かくジャンル分けされています。それは理由のあることですが、たいていの作家はジャンルをはみ出す部分を多く持っています。文学金魚は詩や小説といった文学ジャンルを越境する〝総合文学誌〟でもありますから、セミナーでは文学のジャンル性(ジャンル越境性)もテーマにしたいと思います。金魚屋新人賞はジャンルを問わない新人賞ですが、Twitterなどの反応を見ていても、こういった新人賞は珍しいようですから。
山田 文学金魚新人賞は、文学ジャンルを問わないと明文化しているから珍しいんでしょうね。明文化はしていませんが、メディアごとに賞の特性はあります。「すばる」ならこういうの、「群像」ならこういった作品でなきゃという、暗黙の了解として文芸誌が求めるジャンル規定はあります。「群像」新人賞にエンタメ小説を送ったって絶対無理ですから(笑)。
文学金魚 今の文学者志望の若者は、ジャンルに対してとても敏感だと思います。ジャンル性をテーマにすると非常に反応がいい。文学者志望の若者は文学に強い興味を持っていますが、まだ進路が決まっていません。彼らにとっては、どの文学ジャンルを選べば良いのか、あるいはどうしても一つの文学ジャンルを選ばなければならないのかが切実な問題なんですね。もちろん何を書きたいのかが先行するわけですが、それが純文学やエンタメ小説にきっちり分類されるかというと、そうでもない。でも現実にはほぼ必ず何かの文学ジャンルに分類されてしまう。それはなぜなのか、今さら聞けないクエスチョンになっているところがあります。山田さんには『リード小説』をお願いしているわけですが、リード小説は、まず長い小説をきちんと書けるようになるためのトレーニングであり、自分の作品を外にさらして客観的に見るという社会的トレーニングでもあります。一方で詩的なリード小説も集まっています。ほぼ純粋に詩的と呼べるような作品もありますし、自分が書きたい小説のエッセンスを凝縮すると詩的な表現になってしまう場合もある。ただそうなってくると、リード小説を長い小説にするためには、詩とは何か、小説とは何かを把握しておく必要があります。リード小説は基本的には小説のエッセンスを集約した作品ですが、ジャンルの問題をはらんでいる形態でもありますね。
山田 『リード小説』はTwitter上の小説ですから、約一四〇字、実際には一三二字の短い小説です。僕が考えるリード小説本来の目的は、自分が書いた、あるいはこれから書くだろう作品のセールス能力や、自己プロデュース能力を鍛えるための訓練です。ただリード小説にも似たような形態の先行ジャンルがあります。一つは『書き出し小説』で、これは某ネット媒体で天久聖一さんが主宰して、新潮社から単行本も刊行されています。面白そうな小説の冒頭だけを集めた本です。またTwitterの黎明期に一四〇字小説が始まりました。これも確か本が出ているはずで、一つの固定ジャンルになりつつあります。この一四〇字小説は、リード小説に応募して来られる一部の方もやっているような詩的な豆篇なんです。一四〇字で起承転結をつけられるはずもないですから、余韻や詩的な抒情を重視した小さなパッケージ小説です。もちろん短い表現ですから、書き出し小説も一四〇字小説、リード小説も、形態や内容が重なってくるところがあります。そこから色々な可能性が生まれてくることもあるかもしれません。ただ僕はリード小説は――書き出し小説や一四〇字小説と重なる部分を排除せず、それも許容しますが――やはり長い小説のエッセンスを集約したものだと定義したいんです。読んだ人がどれだけ想像を膨らませることができるのか、想像力のスイッチになるようなものが僕の考えるリード小説です。
文学金魚 リード小説は架空のものであれ長い小説があって、それのエッセンスを集約した小説ということですね。リード小説を読んで本編も読んでみたいと思わせるような。エッセンスが詩的なものになる可能性はあると思いますが、詩的雰囲気を漂わせた完結したパッケージ小説ではないと。
山田 それだったら詩でいいわけです。実際、一四〇字くらいの短詩はたくさんあるでしょう。もちろんこれは大原則であって、いい意味でリード小説の原則を外れて「おおっ」と驚かせてくれるような作品があれば嬉しいことです。今だいぶ作品が集まってきていて、常連のような方もいらっしゃいますが、もっと頑張ってリード小説を盛り上げていただきたいです。またセミナーでは僕だけが秀作を選ぶと偏ってしまうので、三浦俊彦さんや遠藤徹さんらにもベストリード小説を選んでいただいても面白いと思います。重なる作品もあるでしょうから、それが今回一番優れたリード小説作品ということになるでしょうね。
文学金魚 選考者によって必ず好みが出ますからね。
山田 文芸誌の新人賞でも、しばしば選考委員が同じジャンルの人ばかりになっちゃうことがあります。そうなると同じ傾向の作品ばかり選ばれるようになって、ちょっとつまんないですよね。幸いにして三浦さんや遠藤さんは僕とまったく違う資質の作家ですから、彼らにも選んでもらうと面白いと思います。
山田隆道著『虎がにじんだ夕暮れ』
PHP研究所刊
平成二十四年(二〇一二年)十月刊
文学金魚 だって偏態作家ですもの(笑)。
山田 うん、僕、まっとうですから(笑)。僕も若い頃は、作家というと奇異な人物だというイメージがありました。ところが僕はぜんぜん奇異な人間じゃなかった。それがちょっとコンプレックスで、もっと奇異な人にならなきゃって思ったりもしていました。そういう自我の萌芽とか、自意識の反乱って誰にでもありますよね。でも四十歳になっちゃうと、僕はまっとうなままでいいんだという気にだんだんなってきた。ただまっとうな人間だと自己規定しちゃうと、三浦さんや遠藤さんなんかの作品を読んで、ああ本当に奇異な作家っているんだなとしみじみ思ったりもします(笑)。
文学金魚 でも彼らは自分のことを、極めてまっとうだと思っていますよ。三浦さんなんかはとてもロジカルな思考をする人ですから、常に自分が一番正しいと思っているでしょうね(笑)。
山田 就職の面接試験アルアルの一つですが、自分から「人から変わってるねって言われます」と言う人の方が、たいしたことないってことがよくありますよね。みんな自分はまっとうだと思っているから、本当に奇異な人が目立って見えるんだと思います。(笑)
■放送作家の仕事について■
文学金魚 『文学金魚大学校セミナー』の学部長として、リード小説を投稿してくださる方々にアドバイスはありますか。
山田 大事なのはバランス感覚です。作家は基本的に自意識の高い人間の集まりです。そうじゃないと表現しようなどとは思わないですから。皆さん自意識が高く、自分が考えていることは面白いと思っているのは素晴らしいことだと思います。ただそれは必要十分条件ではなく、あくまで最低条件です。そこからバランス感覚を養って、いかに社会との折り合いをつけるのかが一番大切です。ただ作家が社会に迎合し過ぎても、僕の経験では恐らくしんどくなると思います。書くことの目的が有名になることや、とにかく金を得たいということであるならば、徹底的に社会に寄り添っていいと思います。それが目的なら百田尚樹さん、あるいは秋元康さんの広告的考え方は絶対正義です。若い学生さんの中には、百田さんや秋元さんの考え方をバカにする方もいると思いますが、広告的なものを突き詰めるというのも、よほどハートが強いか、よほど金銭欲求や名誉欲求が強い人でない限り、精神的にもたないです。僕は最初テレビの放送作家でした。テレビの作家にとっての絶対正義は視聴率であり、マーケティング、広告なんです。そこを徹底して突き詰めてゆくと、僕は精神的に破綻してしまったんですね。これはもう、俺はできないなと思ってしまった。
文学金魚 テレビの放送作家さんは、企画会議はどのくらいのペースでやるんですか。
山田 一番多いパターンですと、全スタッフが集まる全体会議があります。それが週に一回で、だいたい二時間から三時間。これは一時間番組の場合です。いろんなことを喧々諤々議論し合う場ではなく、報告会に近いです。ここでスタッフに仕事が割り振られます。それを分科会と言うんですが、一時間番組であればだいたい四ブロックくらいに分けて、そのブロックごとに作家とディレクターがコンビを組むわけです。このコンビで割り振られた番組内容を綿密に作り上げてゆく。その作業は割とフレキシブルです。作家は台本を何度も書き直したりもします。そこで練り上げたものを全体会議にかけて、皆さんの決済をあおぐことが多いですね。
文学金魚 企画はどういう形で出すんでしょうか。
山田隆道著『神童チェリー』
アスキーメディアワークス刊
平成二十三年(二〇一一年)十一月刊
山田 思いついた時に提案する時もありますし、全体会議の時に、毎週何本かの企画を出すノルマを決めることもあります。それは番組のプロデューサーの方針によって違います。放送作家は雇われの物書きなので、プロデューサーという金を出す人間、つまり発注者の要求に沿って、自分の好みとは関係なくひたすらクライアントのために書き続ける仕事です。常に客を意識して、マーケットを百二十パーセント意識して書くんです。それを僕は十二年間やりました。ただ僕はそこでバランス感覚を養ったと思います。だから三十歳を超えて作家になりたい、自分がいいと思うものを表現したいと考えるようになった時に、ナルシシズムやマスターベーション的な作品を書きたいと思うかというと、そうはならないんです。放送作家時代のバランス感覚があるものですから、そういった作品は書けないし、書きたくもないんです。大衆が面白いと思うものを捉えようとするアンテナが発達してしまっているんですよ。もちろん僕は、自己表現と大衆マーケットのバランスを、意図的に取っているわけではありません。むしろ無意識的かもしれない。十二年間マーケットのみを意識して書いてきましたから、いざ自分が書きたいものを書こうと思っても、それは自然に大衆のニーズを捉えているはずだと思っています。
ただそれは、大衆のニーズとして今こういうものが流行っているから、それを書くということではありません。文芸の編集者に、「ライトミステリーが流行ってるから書いてよ」と言われたこともありますが、それはやらない。放送作家時代ならやっていましたが、自分の自己表現欲求と大衆マーケティング感覚が合致していないと魅力を感じないんです。編集者に「一回ミステリーも経験しておいた方がいいよ」と言われたこともあります。でも僕にはマーケットばっかり意識して、お金のために十二年間働いてきた時期があるわけです。自分の表現欲求を燃え立たせないジャンルの仕事はしません。ただそうかといって、自分がやりたいものが大衆からかけ離れているわけではないという自負はあります。今僕は文学金魚で『家を看取る日』を連載していますが、この小説は確かに今流行のものではないです。地味な家族小説ですからね(笑)。ただそれがとても奇異な作品で、大衆のニーズからものすごく外れているとは思いません。今流行には乗っていませんが、大家族物や家族の系譜物は、大衆が必ず関心を持たざるを得ないテーマです。現代であえてそういうテーマを取り上げる方が面白いと思うのは、狙い澄ました上でのことではなく、放送作家時代からの嗅覚です。
小説家志望の方は、若い頃の方が自分のやりたいことを一生懸命やり、自意識を氾濫させて強い自我を表現しようとしますよね。でも三十、四十歳になると家族もでき、家庭のことを考えてだんだん丸くなってゆく。僕はそれは逆の方がいいと思います。若い頃こそマーケットに寄り添って、迎合しまくって金を稼いだ方がいい。自分のやりたいことを持ちつつも、勉強と思って別の仕事をした方が絶対にいいです。僕は株に興味がないんですが、放送作家時代には株式の番組も書いていましたから(笑)。自分の表現とはまったく違うジャンル、違う価値観の世界で仕事をしておくと、なんでもできるという自信が付きます。人間って他者との相対評価で悩みを抱える動物ですよね。学生時代に貧乏が気にならないのは、周りの仲間全員が貧乏だったからです。だけど三十、四十代になってかつての仲間が家を買い、子供が中学生だと聞くと、自分はこれでいいのかと思ってしまう。そういう時、若い頃に社会で活躍し金を稼いだ、あるいはやろうと思えばまたそうできるのは、自信につながります。好きなことをするための蓄えもできますしね。一度も商業的成功を手にしていない人は、「ミステリーを書いて」と言われても断れないかもしれない(笑)。
で、原則という意味ですが、リード小説は、社会にアジャストしてゆくためのいい装置の役割を果たしてくれると思います。僕は十八、九の時から放送作家をやっていますが、ドラマやバラエティ、コントであっても、実際に書く前に企画を出せと言われました。時間の無駄だから、分厚い企画書なんか書いちゃいけないと。極端な話し、ペラ一枚、もっと短いと箇条書きの企画書を出すんです。一ネタ四行ですね。放送作家は一番最初にそれをやるんです。毎回毎回繰り返しそういう企画出しの作業をする。その時に必要なのは、三行四行で人に面白いと思わせる力ですよね。三行四行で面白いと思わせる企画は、なにかが想像できるものです。面白くなりそうだと想像できる。それが最初で、そこからもうちょっと詳しいプロット出して、本格的に書いてという流れになってゆく。僕はそれをすごく訓練したんです。
■書く仕事について■
文学金魚 簡単におっしゃっているけど、相当にダメ出しされるでしょう。
山田 されますね(笑)。放送作家の駆け出しの頃は、大学生でしたが、事務所から帰してもらえなくて、夜中から朝まで企画を書いていました。
文学金魚 今で言うブラック企業ですね(笑)。
山田 僕がそういう仕事をしていたのは一九九〇年代の中頃で、その頃はまだ徒弟の感覚がありました。給料なんかもらえませんし、いいものを書いて採用されたら五百円もらえるとかの世界です(笑)。お金はニンジンですね。学生でお金がないわけだから、なんとか稼げるようになりたい。そのためには上の先生たちに認められて企画を通さなければならないんです。一種の調教の世界です。でもそういう辛い作業をやって、自分の資質とかアイデンティティが死ぬかというと、死なないです。そんなことで死んでしまうようなプライドや自我だったら、最初からたいしたことないです。
文学金魚 どんな形であれ書き続けられるのは、かなりハードルが高いですよ。山田さんが放送作家を始められた時は、どんな時代状況だったですか。
山田 僕が放送作家を始めた頃に、放送作家ブームがありました。おちまさとさんとか安達元一さん、鈴木おさむさんとかが世の中に出てきた時代です。放送作家がけっこうテレビに出るようになったんです。もちろんそれまでも青島幸男さんや景山民夫さん、大橋巨泉さん、永六輔さんなど、昔からテレビに露出する放送作家の方はいらっしゃいました。彼らには文化の香りがありました。でも九〇年代の放送作家ブームはテリー伊藤さんが生んだブームです。テリーさんが『元気が出るテレビ』の中で「放送作家予備校」を始めて、そこから出てきた代表的放送作家がおちまさとさんなんです。テリーさんの考え方というのは、放送作家は書けなくてもいいんだ、いわゆる企画屋、マーケッターだというものでした。それはあくまでテリーさんの方針ですが、その方針に沿って集まってきた、放送作家というよりマーケッター、コンセプターとでもいうべき人間がすごく増えたんです。だから九〇年代半ば以降の放送作家と、かつての文化的香りのする放送作家は質的にまったく違うんです。ただコンセプター的作家でいいというふうになってから、放送作家になるためのハードルがグッと下がったんです。すごく放送作家が増えた。俗な言葉で言うと、書かなくていいから、井戸端会議的なところで面白いことを言うヤツが欲しいんだよということです。
山田隆道著『「野球バカ」は実はクレバー』
講談社刊
平成二十二年(二〇一〇年)六月刊
文学金魚 山田さんは放送作家が増えた時代を生き延びてこられたわけですね。
山田 言われてみれば、僕と同期くらいの子たちの中で、残っているのは僕だけです。同じような所にいて、同じような人から教えられたんですけどね。そういう意味では若い頃に厳しい社会に触れて、そこでバリバリ仕事をした方がいいというのは難しいことを言っているのかもしれません。
文学金魚 並みの精神力の持ち主じゃ、人の意向に振り回されながら仕事をし続けることはできませんよ(笑)。
山田 僕は最盛期、番組だけで十一本、それと並行して舞台やアニメの脚本も書いていました。レコード会社から注文されて作詞もしていましたね。それをやっているときは、まあ一つ一つの作品のクオリティは低いです(笑)。
文学金魚 量を書けるというのは、間違いなく一つの才能です。
山田 僕は二十代だったですからね。クライアントが二十代の作家に何を求めているのかというと、圧倒的な体力と機動力、瞬発力です。一筆入魂の素晴らしい作品を、二十七、八の若者に求めたりしないです(笑)。クオリティは低かったですが、一つだけ自負しているのが一度も原稿の穴を開けなかったことです。インフルエンザで高熱を出して倒れたこともありますが、締め切りに遅れるとか穴を開けることは一回もなかった。放送作家の仕事は文学とはまったく関係がなくて、共通点は文章を書く仕事だということだけですが、どんな仕事でもきちんと仕上げる、一つの商品にするという意味ではいい勉強になりました。
文学金魚 夢枕獏さんも原稿の穴を開けたことはないっておっしゃっていました。出張校正の朝には必ず仕上がっているからって(笑)。
山田 今僕らは原稿の穴を開けない、とりあえず書く、締め切りを守るといった基本的なことを、すごく当たり前のように言っていますが、実はそれもまたハードルが高いことなのかもしれませんね。
文学金魚 文学の世界では締め切りを守らない、文学的苦悩かなにか知りませんが、原稿の穴を開けることを特権的文学神話のように語る風潮が一部でありますが、そんなことは自慢にもなにもなりゃしない。物書きとしての単なる基礎能力の欠如です。
山田 これは作家に限らず画家や音楽家、芸人の世界でもそうですが、表現者の世界を社会の不適合者、いわゆるダメ人間でも評価される世界だと考える幻想が一般的にありますね。そういう幻想が転じて、奇異な振る舞いの方がカッコイイと考える人も出てきます。僕は学生時代に「山田君、君は早稲田だったよね。早稲田は中退しなくちゃダメだよ。早稲田大学って中退する方がカッコイイんだ。慶応は出た方がいいけどね」って言われたことがあるんです(笑)。その時に僕は、「絶対中退するもんか」と思った。早稲田はバンカラのイメージですが、そういうイメージに固執する方がよほど凡庸なステレオタイプです。昔大槻ケンヂさんが言っていて面白かったのは、彼は高校時代に絶対にタバコを吸わなかったんですって。それは反抗に対する反抗なんだと言っていました。彼は尾崎豊世代ですね。その時代は権威に対する反抗がタバコであり、バイクを盗むことであったりしたわけです。それが蔓延すると、権威に対する反抗という類型ができあがってしまう。僕の中にも出来上がった類型やイメージに対する反抗というものは、すごくありましたね。物書きを志望してて、原稿が遅れてもいい、落としてもいいと思っているような子がもしいたら、それを思っている時点で平凡な一人になってしまうと思います。そういった出来上がった類型をきちんと把握できていなければ、世の中の趨勢のマーケティングはできません。締め切りは守りましょう(笑)。当たり前のように期日通りに書く訓練は絶対必要です。駄作を恐れず、例えばリード小説ならリード小説で、毎週何本書くと決めてその通りやればいいんです。それをもし一年くらい続けられたら、気がつくと物書きとしての自力がついていると思います。
■アイディアについて■
文学金魚 いくらでも書けると言っている人でも、実際に書かせてみると、短い人で三本くらい、長くても一年くらいでネタが尽きることが多いですね(笑)。
山田 とりあえず書き上げることができるのは、一つの才能だったりしますよね。リード小説も、あんまり考え込まずにとにかく書く、と(笑)。
文学金魚 山田さんは書けるまで座っているタイプですか。それとも気分を変えるためにどこかに出かけるとかしますか。
山田 座っているタイプです。作家によってはトイレに座っている時にフッとアイディアが湧いてくるとか、散歩して森林の匂いをかいでいるとアイディアが降ってくることがあるから、常にボイスレコーダーを持ち歩いているという方もいます。ほんまかいなと思いますね(笑)。僕はアイディアが降りてくるといったことは、経験したことがないです。比喩的に言えば、僕はからっからに乾いた雑巾を思いきり絞って、一滴絞り出すようなアイディアの生み出し方をしています。
文学金魚 夏目漱石がインスピレーションは信じないと言っています。インスピレーションが天から降ってくるのを待っていたのでは小説は書けない、自分は人の作品を読んだりして、自分ならこう書くと思って、人工的にインスピレーションを捻り出すんだという意味のことを言っています。
山田 同感です。黒沢明さんは、アイディアは情報量であり、記憶力だと言っています。結局、何もアイディアが浮かばない時ほど人は情報を自分の中にインプットするものなんです。空っぽの自分にインプットして、そこから溢れ出てきたものがアイディアになるんだと思います。自分が経験してきたもの、読んできたもの、見てきたものの中からしかアイディアなんて出ないです。天から降ってくるわけがない(笑)。たとえばとても好きな作家がいたら、その作品からいい意味でパクったらいいと思います。三谷幸喜さんはビリー・ワイルダーのパクリばっかりですが、彼はビリー・ワイルダーをオマージュして、内容などをアレンジして自分のものにしています。それに大好きな作家をパクったとしても、戯曲や小説の場合は丸パクリにならないと思います。必ずそこに自分の感性や思想が入ってくる。また作家初心者の方は、ああいう作品を書きたいという指標があれば、まるっきりのオナニー的な作品にはならないと思います。
文学金魚 山田さんのお好きな作家はどなたですか。
山田隆道著『芸能人に学ぶビジネス力』
毎日コミュニケーションズ刊
平成二十三年(二〇一一年)八月刊
山田 現代作家なら重松清さん、山田太一さんなどが大好きです。普遍的なテーマで書く作家が好きですね。それに奥田英朗さんかな。奥田英朗さんはちょっとシニカルで皮肉な作品が多いです。そういう意味では筒井康隆さんも大好きです。ただ僕は奥田さんや筒井さんほどシニカルな人間ではないので、自分の作品では、重松さんや山田さん寄りの、人間の普遍的な姿を描いてゆきたいですね。ただ彼らは流行作家です。普遍的なものであれ流行のものであれ、世の中のトレンドを捉えている。僕は自分で書きたい作品の方向性をはっきり持っていますが、世の中のトレンドを捉えた時計盤の上には乗っていなくちゃならないと考えています。編集者から「山田さん、もっと大衆受けする作品を書いた方がいいよ」と言われることもあるんですが、時計盤からズレているとは思っていないんです。ただ僕と世の中全体の時間はまだズレているかな(笑)。でも時計盤の上に乗っていれば、いずれ自分の時刻がやって来るんじゃないかと思っています。それにはトレンドを的確に捉え続けている必要がある。その嗅覚を養うために、若い頃に、とにかく雑文であっても書き散らすのがすごく重要じゃないかと思います。書き散らして人に見てもらうことですね。放送作家って、とにかく人から批評され、コテンパンにやっつけられる仕事なんですよ(笑)。
文学金魚 それは小説の世界も同じですね。ダメ出しの嵐です。ダメ出しがほぼ存在しないのは、文学の世界では詩壇だけでしょうね。ただ一つの作品をきっちり仕上げることも大事ですが、作品それぞれに骨格がありますから、推敲しても限界はあります。次々に新しい作品を書いてゆくことも大事だと思います。
山田 僕は若い頃に、長いドラマの脚本を書くよりも、『世にも奇妙な物語』のような、十五分単位の短い作品をたくさん書いた方がいいと言われました。短くても一本は一本だから、たくさん書くと経験が溜まってゆきます。達成感もありますしね。短いものをたくさん書き続けると、何も浮かんで来なくなりますが、それも経験しておいた方がいい。
文学金魚 リード小説は、そういう訓練にうってつけです。
■リード小説の意義について■
山田 リード小説は、原則として自分が面白いと思う小説のエッセンスである必要があります。今こういう傾向の作品が流行っているから、本当はやりたくないけれどとりあえずその方向で書いてみましたという作品は、トレンドに乗ろうという意図が透けて見えてしまいます。そうではなくて、自分はこんなものをやりたい、絶対面白いんだと思う作品のエッセンスを書いていただきたいです。またそれをどうアピールするのか、そこに智恵を凝らしていただきたい。これに関しては、いろんな手練手管を操ってもいいと思います。マーケットから作品を考えるんじゃなくて、作品をマーケット化するんです。
文学金魚 この人は本気だなと読者に思わせるのは、エモーションがあるかないかだと思います。人のエモーションに触れる形で何かを説明しているときは、これは本当のことを言っているんだなと伝わりやすい。
山田 是非作家のエモーションを伝えていただきたいですが、リード小説は一四〇字で短いですから、現時点でのアイディアが尽きるまで試みていただくのもいいと思います。尽きたところからが勝負です(笑)。
文学金魚 アイディアが尽きたと感じた時に、じゃあどこから新しいアイディアが湧き出てくるかというと、自分が何を求められているのかという社会的視線ですね。そういう意味では放送作家さんのように、クライアントのニーズにこたえる仕事と、作家のように読者のニーズにこたえる仕事は似た点があります。書き手が空っぽになった時に、クライアントや読者からエネルギーをもらえるというのは絶対あると思います。
山田 僕は照れ隠しもあって、お金がもらえるから放送作家をやっていたという意味のことを言いましたが、やはり承認欲求は仕事を続ける上での強いモチベーションでした。学生の時に、十歳も二十歳も年上で、背広を着ている大人から「よかったよ」と言ってもらえることは、すごく嬉しかった。また仕事を続けてゆく原動力になりました。
文学金魚 文芸メディアの新人賞もそうですね。賞金なんてたかがしれているし、将来が保証されるわけでもありません。でも誰かから認めてもらうことは、少なくともあと五年、十年、文学の仕事をやってみようというモチベーションになります。
山田 文芸メディアには必ず新人賞がありますが、リード小説はもう少し気楽な遊びです。長い作品を書ける作家さんには文学金魚新人賞に応募していただきたいですが、まだそういう準備が整っていない作家でもリード小説は書けると思います。そこで評価されれば、ちょっとした承認欲求を満たせるのではないかと思います。そういう承認欲求を満たせるチャンスが六月のセミナーにはあります。文学金魚に書いている、それなりに文学のキャリアを積んだいい大人たちが集まってくるわけです。たかだか一四〇字程度のリード小説ですが、良い作品は良いと評価します。
僕は放送作家になると決めていたわけではなくて、学生時代の遊びだと思っていました。ダメ出しの嵐ですから、何度もやめようとも思いました。でも二十回、三十回ダメ出しをくらっても、たまに誉められる。それが嬉しくてね。気がついたら、当初は教職を取って先生になるつもりだったんですが、それを忘れてしまっていた(笑)。僕は十八歳くらいである放送作家事務所に入って、免許取り立てなのに運転手兼雑用係をやりました。僕が最年少で、一番弟子の方は三十歳を超えていました。最年少だから少し優しくしてもらえた面はあるでしょうが、見事に当時の弟子仲間はいなくなってしまった。僕が仕事を続けられたのは、一つは時々誉められるのが嬉しくて我慢して仕事を続けたからですが、もう一つは粘って書き続けたからだろうなぁ。やっぱり書き続けるのは大切です。書き続けられるのはそれ自体才能だと思います。
文学金魚 作家はみんな思い当たる節があると思いますが、書けない時期は、いつまでも過去の自分の作品を読み返していたりします。どんどん書き始めると、すぐに「こんな作品書いたかなぁ」といった感じになってくる(笑)。
山田 これは六月のセミナーのお楽しみですが、本当にいいリード小説は、すぐにプロット化したらいいと思います。文学の経験を積んだ大人が、これはもっと膨らみそうだねと評価した作品は、まず簡単なシノプシスから始めて、五十枚でも百枚でも書いてみるといいと思います。書いていて一番辛いのは、「この作品、失敗したかも」と思う時です。「俺、泥の船漕いでるなぁ」と思ったりします(笑)。でもへたに四十枚くらい書いてしまっていると、もうやめられない。だけど文学金魚のセミナーで評価されたリード小説は、みんなが最後まで読んでみたいと思った作品です。つまり走り出した方向は間違っていない。東京から大阪に行こうと思って、名古屋方面には確実に向かっている(笑)。評価されたということは、方向性を見失わないための力になると思います。
■文学の現場について■
文学金魚 リード小説は一四〇字なのでお遊びだと捉えることもできますが、エンターテイメント系のジャンルで要求されることと変わらないです。エンタメ小説の世界では、「書く前にまずプロット渡して」って言われますもの。「本の帯を書くつもりで、セールスポイントを書いてよ」とも言われます。
山田 言われますね。それは出版界の実情のお話しとして、若い作家志望の方々も是非理解しておいた方がいいです。若い作家が運良くデビューしたとしても、エンタメ業界なら二作目から、「プロット出して」「セールスポイントはなに?」って必ず言われます。まず三行四行で、編集者が面白いと認めてくれるかどうかという世界です。また作品が本になった時にも営業さんから言われます。「この本のセールスポイントは?」って。現状の出版社の営業さんは本を読んでくれません。取次さんも読みません。膨大な出版物を扱う彼らにはそんな時間がないんです。じゃあ本を読んでくれない営業さんに、この本を面白いと思わせるにはどうしたらいいのか。それはもう、読書欲をそそるようなリードを書くしかないんです。それが気に入らない、間違っているとおっしゃる方もいるでしょうが、現実はそうなんです。営業さんが味方につかないと、本はビックリするくらい売れないですから。
僕はある出版社から本を出しましたが、その出版社は月々四点文芸書を出す会社だったんです。その四点の中に自分の新刊が入ったんですが、ラインナップを見ると、ほかの三点が宮部みゆきさんと東野圭吾さん、大沢在昌さんだったんですね。名だたる流行作家ばかりです。僕はそのラインナップを知った時に、すぐ編集さんに電話して「ひどいよ!」って言いました(笑)。売れ筋ですから、その出版社の月々の宣伝費やマンパワーが、僕以外のお三人の作品に集中してしまうのは明らかでした。出版社の営業さんの力は、本の売れ行きを左右します。これはもう僕の昔の笑い話ですが、でもデビューすれば、若い作家さんの夢はすぐに打ち砕かれるでしょうね。現実を知ることは大切です。
山田隆道著『粘着! プロ野球むしかえしニュース』
宝島社刊
平成二十五年(二〇一三年)八月刊
文学金魚 若い作家は未熟で力不足だということもあるんでしょうが、編集者や出版社から何かしてもらうことを強く期待するものだと思います。でも現実問題、編集者や出版社が作家をスターにすることはできないんです。激しく努力をして、自分から考えて打って出る作家のお手伝いをすることができるだけです。まあ文学金魚は優しいですけどね。エンタメ系出版社の厳しさに触れてみれば、どれだけ金魚が優しかわかります(笑)。
山田 それはホントにそう。厳しいです。僕は文芸メディアの新人賞をもらってデビューしたわけではなく、出版社への原稿持ち込み作家なんです。それがリード小説を発案したことと深く関係しています。持ち込み作家って、ずっと持ち込み作家のハンディを抱えながら生きるんです。作家は圧倒的に新人賞を受賞してデビューする方が多いですよね。特に純文学作家になると、新人賞を受賞する以外、デビューする方法はほとんどないかもしれない。エンタメの場合は持ち込みという方法もあるわけですが、それでも圧倒的少数です。僕は自分で言うのもなんですが、今では少数になった持ち込み作家の一人です。僕がいかにしてあの門前払いの壁を、あらゆることを考え試して乗り越えたのかを、六月のセミナーでお話したいと思います。それは若い作家さんたちにも興味を持っていただけると思います。それはもうあらゆる作戦を練りましたから。そこで一番役に立ったのは、僕が放送作家時代に培った――その時はリード小説という言葉(ジャンル)は考えていませんでしたが――三行四行でどれだけ読み手にインパクトを与えられるかというエッセンスの書き方だったんです。
文芸メディアの新人賞は誰でも応募できます。若い作家さんはどんどん応募されたらいいと思います。ただその気になれば、持ち込みという方法もあるんです。その方法を身につければ、作家として世に出る方法が二つに増えます。そのもう一つの方法を身につけるために、リード小説をとっかかりにしてもらえたらと思います。先ほども言いましたが、リード小説の書き方は、デビューしてからも役に立ちます。特にエンタメ系作家を目指す皆さんには必須の能力です。デビュー後の方がそういう能力が必要かもしれません。新人賞は、大人がよってたかっていい作品にして、話題を作ろうとしますから、スタッフの皆さんがいろいろやってくれる。出版社の営業さんも、新人賞受賞作品だけは例外的に読んでくれたりもします。でも二冊目、三冊目になると、自分で仕掛けていかないとスタッフは動いてくれません。実際、新人賞以降、下降線を辿り、いつのまにか消えてゆく作家も多いんです。新人賞でうまく波に乗れればいいんだけど、そういう作家は十年に一人くらいだなぁ。
文学金魚 馳星周さんは持ち込みでデビューされた作家ですよね。
山田 そうです。僕が好きな作家としてあげた重松清さんや奥田英朗さんも、持ち込みでデビューされた作家です。筒井康隆さんはSF同人誌から注目されてデビューしました。これは偶然ですが、僕が好きな作家さんは持ち込み作家が多いです。なぜかなぁと考えると、持ち込み作家の人って、まずすごくバイタリティがあるんです。そうでないと、あんなクソみたいな扱いを受ける出版社編集部に、足繁く通えないです(笑)。ハートが強い、つまり芯がとてもしっかりしている。書きたいものははっきりしているんですが、一方で持ち込みデビューすることは、編集者や読者のニーズにアジャストする能力を持ち合わせているということでもあります。そういう感覚が自分と似ているので、自然と持ち込み作家の作品が好きになるんだと思います。
文学金魚 夢枕獏さんも、筒井さんの同人誌からデビューしていますね。当初は詩をお書きになっていた。獏さんの詩はうまいですよ。並みの詩人はかなわないと思います。
山田 リード小説は、皆さんの中に鉱脈を見つける作業だと思います。鉱脈が見つかったら実際に書いてみるべきでしょうね。リード小説と一四〇字小説の違いは、一四〇字小説はその作品で終わっている、完結しているんです。リード小説は、その作品で完結しているふうに書いたとしても、書き手の中では終わっていないという意識を持っていただきたい。リード小説は自分が構想している長い作品のエッセンスであり、もっと細かく、面白く書けるんだと考えていただきたい。一四〇字小説はそこで終わっていてその先はないですが、リード小説には続きがある。セミナーの時に、もしリード小説の書き手の方が現場に来てくださるなら、少なくとも選ばれたリード小説の続きをしゃべっていただきたいですね。だって編集者と打合せすれば、「面白そうだね、もうちょっと詳しく聞かせて」「具体的には、何枚くらいで事件が起こるの?」とか言われて、作品の詳細をしゃべらなくてはならなくなりますもの。いろんな意味で、リード小説は書き手の能力を上げるための訓練になります。ダメ出しされること、打たれることの、やんわりとした経験を得るだけでもいいと思います。そんな厳しいことを言うつもりはないですが、セミナーで多少打たれても、作家としてのキャリアが終わるわけではないですから。でもそれだって、自分からそうしようと思わなければ得られない経験なんです。是非参加してみてください。僕も創作系の若い子と触れ合う機会がないのですごく楽しみです。
文学金魚 文学金魚は書け書けとにかく書け、あーもっと書けのメディアですから、優れたリード小説は作品として書いてもらう方向になるしょうね。今日はどうもありがとうございました。六月のセミナーよろしくお願いします。またたくさんのリード小説をお待ちしております。
(2016/02/19)
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