海の景色を目の前にして育った人は何を考えているだろうか、ずっと知りたかった。空と海の境界線が曖昧になって無限になるその風景は、地平線がはっきりしている風景しか見ていない人を少し不安にさせる性質を持つのではないかと思う。
私の実家の家から歩いて3分の所から広い風景が見えるが、昔からずっと気になっていたのはその風景の限界だった。遠くに見える山の端まで2日~3日間歩いて行けば問題なくたどり着くだろうと、その風景を見ながらよく思っていた。
その風景の限界は、特に高校時代の自分にとってよく考えるべき事柄だった。遠方に見えるあの山の上にたどり着いたら、あそこからまたより高い山を目指せばいいというような欲望のことではない。より高い山に登っても満足できないと確信していた。どうにかしてそのパターンを破らなければならないと思っていた。次々に現れる遠い地平線を目指すのではなく、そのパターンをやぶって別の次元にたどり着けばいい。つまり別の考え方をしてみたいと思っていた。(高校生は難しいことばかり考えていますからね。)それで果てしない海の風景が、何かしらの手がかりになるのではないかと思うようになった。自分には分からないあの風景。
私の生まれ育ったスチャヴァ市はルーマニアの北にあるスチャヴァ県の県都だが、小さい町で、遊びに行くなら町に出かけるか、町の外に出て草笛でも吹きながら大自然を眺めるという二つの選択肢しかない。町に出かけるというのは町の中心に行くという意味で、二三回行けば全てが分かる。公園、ショッピングモール、映画館、博物館、カフェやレストランなどが全部揃っている。
町の中を離れずに日常から少し息抜きがしたいなら、スチャヴァ城の旧跡がある。町の主な観光地で、デートスポットとしても最適らしい。現地の人にとってスチャヴァ城はみんなが尊敬する先祖、シュテファン大公ゆかりの場所である。シュテファン大公はスチャヴァ県が含まれるモルダヴィア地方の歴史にとって、日本の織田信長と同じくらい大事な存在だった。彼が権威を握った時代(1457年~1504年)はモルダヴィアが独立国でいられたことが決定的だったし、400年くらい後にルーマニアという国が成立できたことにも重大な役割を果した。
スチャヴァ城の旧跡
スチャヴァ市内やその周辺に、シュテファン大公の時代から多数の教会が残っている。町の中心にある聖ゲオルゲ教会は最も有名である。もちろん観光地でもあるが、現地の人にとっては信仰の拠り所なのだ。特に受験の時期に、日本で文殊菩薩を祭るお寺のように、この教会が非常に人気である。信仰者ではなくても、受験や大事な願い事がある時に、ここに祭られている聖イオアンにお祈りして神様の力を借りたいと思う人が多い。スチャヴァ市では町の中心に教会があり、町の最も高い建物も教会であるわけだが、これが何を表わしているかについては、また機会を改めて書くことにしよう。
聖ゲオルゲ教会
ちなみにスチャヴァには劇場はない。文化会館のような施設があり、そこに隣の県から劇団がやってきて公演をする。にも関わらずこの町生れの演劇愛好者や演劇人は少なくない。昔からスチャヴァに劇場がないことを、ちょっと不思議に感じている。
うちの家は町の端っこにあるのだが、通っていた高校は町の中心にある。何時来るか分からないバスを待っていられないから、学校まで毎日歩いていた。家から歩いて20分ぐらいの距離である。町の中に住んでいた同級生には、よく「あんたんちから先は田んぼだろ?」と笑われることもあった。「田んぼだよ。今度田んぼを見に来ない?」「けっこうだよ。」「そうだね。そっちは田んぼのことをよく知っているから、田んぼを見る必要はないだろう」というような楽しいやりとりをしたりしながら、平和な高校時代を過ごした。
時間の流れ方が穏やかであるスチャヴァ市の人々の性格は、いい意味で大らかである。悪い意味で言えばマイペース。森がすぐ近くにあるからか、みんな伝説や謂れなどを好む。詩や小説を書く人、絵を描く人が多く、歌や物語のようなものを求めている人も大勢いる。日常的な会話さえも、急に迷信に満ちた話になったりする。
スチャヴァっ子ならではの、想像の世界を通して現実を探検しようとする傾向が尋常ではないとを知ったのは、ブカレストなどのような大都会に住んでみてからである。現実や世間に対してもう少し真面目にならないと、都会で生活するのは大変だとよく分かるようになった。スチャヴァ地方生れの人が持つ想像力はあらゆる自由な創造の契機になるが、それは限界にもなり得るのだ。その枠から抜け出さないと、他の人間は何を考えているか、自分たちの生きている世界はどう動いているか分からずに一生過ごしてまう恐れがある。
日本に来てよく聞かれるのは、ホームシックにならないかということである。全然なっていない。故郷から離れている気がしないからだ。故郷のことも、そこから見えるあの風景も一緒に日本へ持ってきたのだ。どうにかして破らなければならないあの限界もまた。
ラモーナ ツァラヌ
* 写真は著者撮影
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